第15話 思い出作り

菜々恵が僕の上に覆いかぶさってきたので目が覚めた。まだ、夜明け前だが、薄明るくなっている。


「どうしたの?」


「最後にもう一度可愛がって、お願い。もう思い残すことがないようにしたいの。お願い」


「分かったから」


菜々恵は僕にまたがった。女子は下から見上げるとこんなにも綺麗に見えるんだ。菜々恵の新しい魅力を見つけた。彼女から積極的に動いて僕を愛してくれる。僕はただ、彼女を優しく抱いていればよかった。それがまた心地良かった。


僕がいくと同時に菜々恵はしがみついて来た。彼女も同時にいったのかは分からなかった。僕はそのまま眠ってしまった。彼女も眠ったみたいだった。


◆ ◆ ◆

目が覚めたら、もうすっかり明るくなっていた。横を見ると菜々恵が僕を見つめていた。


「ありがとう。とても良かったわ」


「ひょっとして、いった?」


「良く分からない。でもとっても気持ちよかった」


「それならよかった。ところで今は何時?」


「もうしばらくすると8時。そろそろ起きた方がいいわ。私はシャワーを浴びてきます」


菜々恵は浴室に入って行った。僕はここへ着いてからのことを思い出していた。思いがけないことの連続だった。彼女とはもう3度も愛し合った。


菜々恵が浴室から出てきた。もうすっかり身繕いを終えて化粧もしていた。そして昨日とは違った服に着替えていた。


僕もシャワーを浴びて、身繕いをした。シャツを違った柄に変えた。それから二人で朝食にダイニングへ向かった。


ダイニングはもうひとでいっぱいだった。空いている席を見つけて座った。朝食もビュッフェスタイルで、和食と洋食が準備されていた。僕はいつもパンと牛乳くらいの朝食なので、和食を食べたいと思った。


「私はいつも朝食がパンなので和食が食べたい」


「僕もそう思っていた」


「じゃあ、僕がご飯とお味噌汁を取ってきてあげる。あとはそれぞれ適当に食べたいものを選ぼう」


朝ご飯が美味しい。きっと昨晩と早朝に愛し合ったせいだ。菜々恵も結構食べている。久しぶりの美味しい朝食だった。菜々恵もニコニコしながら食べていた。幸せそうな笑顔だった。今を精一杯生きている。その笑顔から目が離せなかった。


部屋に戻るとどちらかともなく抱き合った。今度部屋の外へ出るともう大ぴらに抱き合えなくなることが分かっている。それから帰る準備を始める。お互い荷物を少なくしてきたから大して時間はかからない。


「これからどうする?」


「遊覧船で芦ノ湖を一周したい。それから高速バスで帰りませんか?」


「それがいい」


二人はもう一度抱き合ってから、部屋を出た。カウンターで菜々恵がチェックアウトしようとするので、金額を確認した。予想以上のかなりの高額だった。


「僕が払うから」と言ったが「私に払わせてお願い」と聞かない。菜々恵はすぐにカードを係の人に渡して支払いをしようとした。小声で菜々恵に耳打ちをする。


「そういう訳にはいかないから」


菜々恵も小声で耳打ちする。


「私が誘ったのだから、そうさせて」


「二人の同窓会だろう。だったら割り勘にしよう。それなら気が済むだろう」


「分かりました」


僕は自分のカードを係の人に渡して半分の額をこちらから支払うように頼んだ。かっこ悪いとは思ったが、菜々恵は受け入れてくれた。菜々恵もその方が良いと思ったのだろう。


ホテルの外は清々しい空気に満ちていた。今日も秋晴れの良い天気だ。僕たちは遊覧船乗り場の方へ歩いていった。


僕は菜々恵のバッグを持っている。菜々恵が自分で持つと言ったが、疲れさせたくないと僕が持つことにした。彼女はそれに従った。


芦ノ湖を一周する切符を買って乗り込んだ。心地よい風が吹いているが、湖面は穏やかだ。岸辺の木々は色とりどりで見ていて飽きない。湖から見える山々の色も鮮やかだ。


すぐ横の菜々恵が僕を横目でじっと見つめているのに気が付いた。


「どうしたの? 僕のこと見ていた?」


「昔のことを思い出していたの」


「昔って?」


「私たちが隣同士の席になった時のこととそれからの二人のこと」


「同じクラスになった時、僕はいつも君を見ていた。君がとっても眩しかった」


「気が付いていたわ。だからあなたのことが気になっていたの。私のことが好きなのって」


「好きとかじゃなくて可愛いなと思ってみていただけ」


「男子ってそんなものなの?」


「僕は特にシャイだったからね。今思うともっとしっかりしていればよかったと思うけどね」


「ずっと付き合っていたのに私のことを好きだといってくれなかった」


「僕たちは付き合っていたのか? 1年にせいぜい2~3回しか会っていなかったのに」


「私はそう思っていたけど」


「それならもっとはっきり言ってほしかった」


「私から?」


「確かにそれはないね。でも僕は先のことが気になるんだ。高校入試、それが終わったら大学入試、それが終わったら就職、それが終わったら仕事。そういう自覚があるから、ゆとりがなかったんだ。これは僕に限ったことかもしれないけど」


「私から好きだと言っていたらどうなっていた?」


「分からない。僕はほんの少し前までシャイだったから、きっといい加減な答えしかできなかったと思う。なんとなくわかる。お見合いの相談をされたときもそうだった」


「昨日は違ったわ」


「自分の気持ちに素直に従っただけだ。君のことが好きだったことは破談になったと聞いた時にはっきり分かった。今ならはっきり言える。君が好きだと」


「ありがとう。もっと早く言ってほしかったけど、今でも十分です。私もあなたのことが好きです。これでもう思い残すことがなくなりました」


「思い残すことがないって、すぐにでも死んでしまうような言い方だけど」


「思い残すことがないというのは、これまでの二人の関係について区切りができたということです。私は今を精一杯生きていきます。命のあるかぎりは」


菜々恵は寂しそうに湖面に目を落とした。強気なことを言っているがこの先のことを覚悟していると思った。それで肩を抱いた。菜々恵は身体を寄せてきた。菜々恵は手を伸ばしてスマホで二人の写真をとった。


それからずっと二人寄り添って湖面やら対岸の景色やらを眺めていた。そして、元箱根港を経て、湖尻へ戻って来た。


ここにあまり長く居ても菜々恵が疲れるだけと思い、軽食をとってから、予定どおり高速バスで新宿へ向かうことにした。菜々恵もそれが良いと言った。


帰りのバスに乗り込む。この時間、乗客は多くない。ところどころにカップルが座っている程よい混み具合だ。菜々恵を窓際に座らせて通路側に僕が座った。


動き出すとすぐに菜々恵は僕の右腕を抱え込んで肩にもたれかかってきた。そして「少し眠ってもいい?」と言って静かになった。眠ったみたいだった。


バスが新宿に着くと二人だけの同窓会はお開きになる。もうこんな同窓会は二度とできないかもしれない。そしてそこで別れてしまったらもう会えないことだってあり得る。この先菜々恵とどう向き合っていけばいいのだろう。僕は菜々恵を肩に感じながらそう考えていた。


菜々恵は何を思っているのだろう? 途中、何回か目を覚まして窓の外を見ていた。そしてまたすぐに眠った。ずっと腕を抱え込んだまま、ずっと黙ったままだった。


終点が近いとアナウンスがあった。菜々恵は眠っていなかったのかもしれない。


「もうすぐ到着ね。よく眠れたわ。夢を見ていました。幸せな時間を過ごさせてもらってありがとう」


「夢?」


「どんな夢?」


「とっても楽しい夢だった」


「また、会えるよね。体調が良ければまた近場へ二人で行ってみよう」


「この二日間、思い出を作ってくれてありがとう。本当にもう思い残すことはないわ」


「毎日毎日を精一杯生きるんだろう。それにこれからは僕がそばにいるから」


「そのお気持ちだけいただいておきます」


「まあ、また、連絡するから」


僕は菜々恵を抱きしめてキスをした。周りの乗客は気づかなかったと思う。菜々恵は僕を眩しそうに見て「ありがとう。お別れね」と言った。

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