消しゴムへの応援コメント
消しゴムを放棄して同じにする『君』、二人のおかしな繋がりが良いですねぇ(●´ω`●)
なぜ中村に投げつけるんだと笑ってしまいましたが(笑)
ちょいと無粋なこと聞きますが、
斎藤の消しゴムに書かれた『あいつ』って中村?君?
読んでけば分かるパターンか、ここまでを読み違えてんのか不安になっちゃって( ̄▽ ̄;)
作者からの返信
あいつ、は中村のことですね。斉藤さんは中村のことが好きなわけでして、その傍観者として私がいます。
ただ、単なる傍観者ではなく、そこには友人として応援したいという気持ちと、自分自身の「君」への想いも重なっていたりします。
四人の感情が絶妙に交わらずに同期していくように書いたつもりです。なので、対象がごっちゃになるのは、ある程度は私の意図した範囲内ではありますが……ちょっとわかりにくかったかもしれません。申し訳ないです。
より明瞭で、魅力的な作品を描けるよう、精進して参ります。
桜の花の咲く季節にへの応援コメント
斎藤さんはBLEACHの石田雨竜のルックスで読んでいました。
キリッとした眼鏡美人。雨竜は男性ですけど。
中村くんは黒子のバスケに出て来る陽泉高校の紫原敦。
運動神経は抜群っぽいイメージを。
「君」は鈴木イチローの学生時代。そんな資料、手元に無いけど。
非凡なるオーラを覇気のようにまとう「君」
「私」はおしとやかなアスカ惣流ラングレー。
ガイナックスからスタジオジブリに移籍、みたいな。
脳内キャスティングは読書の楽しみだけど
絵師さんが専属で就いたら、その作風を尊重すべきですよね。
作者からの返信
BLEACH、黒子はわかりません……不勉強で申し訳ないです。
ぐぐってみました。
斉藤はクール系の美人なので、イメージは近いかもしれません。
中村は私のイメージではもっと男くさいというか、典型的なスポーツマンって感じですね。
「君」がイチローの学生時代、「私」がおしとやかなアスカというのは面白い。「君」と「私」に関してはできるだけ具体的なイメージを持たないように書いたので、読者に好きに読んでいただけると嬉しいです。
ラノベのように挿絵などが入っている場合は、どうしても絵の印象に寄っていくのでしょうね。それでも想像の余地は多分にあります。声とか、所作とか、においとか。
余白がいくらでもあることが、小説を読む最大の喜びかもしれませんね。
春の眠りへの応援コメント
サンボマスターの山口隆さんが、
佐野元春さんのポエトリーリーディングの番組で
歌詞に登場する名詞の妙について語ってたのですが
相手のことを君って言ったり、あなたって言ったりするのは
二人の心の距離が変わるからです
うーん、反論。単純に字数制限からの文字数合わせなんじゃないかなあ。
仮に2文字の箇所に「あなた」って差し込みます?
佐野元春さんは反論しただろうか? ど忘れしちゃったい。
どうでもよくない物語の「君」と言う響きはとても爽やかで
その呼び方に特別感が加わるとしたら、心の距離は縮まるのかな? って。
作者からの返信
二人称の呼び方による距離感というのはなんとも難しい……
少なくとも佐野元春さんの時代と今とでは「君」や「あなた」の意味は変わってきているような気がします。
むしろ、関係性がその呼び方の意味を変えてしまうのでは、とも思います。
少なくともこの作品における「私」のいう「君」には特別な意味があり、親しみがこめられているよう書いたつもりです。
距離は……どうですかね、まだ少し遠いのかもしれませんが、やがて近づいていくことでしょう。
鼓動への応援コメント
痛点の話。
同級生の青木くんは、釣りしている時に
「なあ、魚って痛点無いから、釣針ぶっ刺してもひるむなよ?」
みたいなことを言ってて、でもまな板の鯉ってめっちゃ暴れるやん的な
反論をしたあと、膠着状態。
釣り上げたライギョに尋ねても、泣きそうな声で
「頼むからさあ、お家に帰らせてよ」
まあ、いいか。キャッチ&リリース。
多くの動物には痛点がきっとあって、人間様は神経の本数だけ
痛みを感じる定めでしょうが
僕達がいつまで経ってもアナログなのは
きっと隣人の痛みを代行出来ないからでしょうね。
腹痛すら、解り合えない……。
作者からの返信
人は不思議なことに、たとえ魚に痛みがないとしても、魚に痛みを見てとってしまうものです。
隣人の痛みを代行できない、わかりあえない、知り得ない。なのに何故か、私たちは誰から教わったわけでもないはずの痛みを知っている。
それは、他者の苦しみを自分のものにしてしまうような人間の共感の力によるものなのだろうと思います。
本当は苦しみなどその人だけのものですけど、それでも、なにか通じるものがあると信じるからこそ、人に伝える、語ることが可能なのだな、と。
私はもしかしたら、そこにある絶望と希望とを、解剖のなかで学び取っているのかもしれません。
消しゴムへの応援コメント
小学校2年の時でした、
文集に「ハグナリくんはやさしい、けしゴムをひろってくれるから」
「はあ?」
当たり前でしょや! 机から落ちたものを拾って渡す、
先に気づいたのは俺、腕のリーチが長いのも俺。
でも、最近、外勤してて思うんです。
回り道して、皆が作業に必要なアイテムを事前に渡しちゃう俺って優しいなって。
エゴだし、見透かされたら恥ずかしいけど、アンテナを張れる感じが
今日、調子いいなって、バロメータみたくなる。
消しゴムはシャープペンシルの裏蓋の所に付いていたし、
鉛筆もそんな感じだった。実際、消しゴムそのものも常備でした。
どこかで中村と君を混同したかも知れません。
標本を見に行ったシーンだったかな? 再度、読んでみます。
作者からの返信
「君」と中村の位置関係がややこしくてすみません……。
必ず混同する人がいるような書き方になってしまっているので、少し工夫が必要ですね。
優しさってなんぞや、と私は思ってしまいます。
気遣いや思いやりというのは、思考から発するのだろうと思います。そこにほんのちょこっと勇気を足せば、自然と行動が生まれます。それこそ、育成達人様のおっしゃるように「調子いいな」で人の困っている部分を埋めることができてしまうのだろうな、と。
もちろんシンプルに気遣いや思いやりを持てる余裕だけでも十分に素晴らしいことではあるのですけどね……。
優しさってなに?という。謎です。
空と海への応援コメント
古代、世界には四色しか無かったと言います。
「赤」「青」「白」「黒」
なんか椎名林檎の「本能」みたいですが
これって、空が魅せる表情なんですよね。
中国では
「赤=朱雀」「青=青龍」「白=白虎」「黒=玄武」
四神を奉り、伝統を維持しました。
掃き出し窓を開けて見える空を凝視すると
中がバニラのソーダキャンディーとか
貴婦人が着るようなワンピースに見えます。
宇宙からのメッセージ系
気の利いたSFをぶち込もうと企図りましたが、ノーアイデアでござい。
作者からの返信
中国では空に自然の理を見出したのですね。
時々空を見上げると、そこに多くのものを見出す気がします。
今晩もオリオン座流星群のピークだとか。
光が夜空に線を引いてなにを描くか。
それを読み取るのは、いつだって人間です。
スミロドンへの応援コメント
ウマ娘プリティーダービーからコメントをスタートさせますが
例え彼女等がウマ息子だったとしても
走る姿に見惚れる筈だと思います。駿馬が走る以上に人間が走る姿は美しい!
それでも、人間は全く走ることに向いていない骨格みたいです。
例えばふくらはぎに特化した脚に進化したら
平均身長は+30cmは上乗せされるでしょうし
足首から下も改造の余地はあるみたいです。
(※ふくらはぎを中心に+30cmなのでボディ・プラン崩壊)
スミロドンはZOIDに居ましたよ。
「~ドン」だから古代生物なんだろうなあって思っていましたが
命短し恋せよ八重歯でしたね。
古代生物の標本を通じて中村を思う、沁みてます。続きが気になるぜ。
作者からの返信
おっしゃるとおり、人間の走る姿は美しいですね。
人間は二足歩行になったからこそ、脳が大きくなったのだと聞いたことがあります。
走力を失ったことにより、今、私がこのように文章を書くことができる。
そして、多くの動物はそれぞれの特性があり、走ることに向いていない人間だとしても、より速く走ろうとする姿を美しく感じられるのは、私たちが思考する生き物だからなのかもしれません。
人にしろ動物にしろ、その特性が環境に適合するかどうかは運次第、不条理です。
ですが、それに抗うことができるということこそが人間たるゆえんなのかもしれない、と思ったりしました。
つんつるてんへの応援コメント
自分より10cm低い女子かあ、丁度いいなあ。
175cmと162cmくらいがベストかな、基準が自分目線だけど。
中学時代は廊下でスライディングするの流行ったから
つんつるてんの膝小僧でした。
今、履いてるNIKEのジャージも膝が劣化してます。
スミロドンはあかんでしょ、死にますて(゚д゚)!
丁度、鬼刃と言うキャラクターを使役していますが
可愛く「おには」にしよう案を却下して
ストレートに「キバ」って読ませることにしました。鮫島鬼刃。
作者からの返信
「私」は中学で少しだけ背が伸びて、中村はいつのまにか十センチ以上も高くなっているのです。
「私」と中村に元々の身長差はなかったわけです。
つまりこの十センチの差は、時間の経過や物事の移ろい、そして変化の大きさを表しています。結果、中村の制服もつんつるてんなのです。
スミロドン、なんだか切ない動物だなと思って使いました。
中学生たちの攻撃的で不器用でおぼつかない感じにぴったりだな、と。
桜の花の咲く季節にへの応援コメント
恋愛ってホントに難しいなぁ。と考えさせられました。
一番楽しいのは片思いしてる時って言いますが笑
多感な頃の何とも言えない空気感が伝わってきて、懐かしいと言うか追体験してる感じになりました。
当事者にとっては、どうでも良くない物語ですね!
毎年咲くであろう桜も見え方や感じ方は変わってきますし。
こそばゆいようなノスタルジックに浸れた物語でした。ありがとう御座いました!
作者からの返信
コメントありがとうございます!
ちーよー様のおっしゃる通り、まさしく多感、大きな変化の生じる年頃の心の大きな動きを描こうと苦心しました。
>当事者にとっては、どうでも良くない物語ですね!
私がこの小説で描きたかった点の一つでもあるかと思います。
ありきたりで平凡に感じられるときも、かけがえのないときになり得る。
そんななかに懐かしさを感じていただけたのであれば、作者冥利につきます。
お読みいただきありがとうございました!
桜の花の咲く季節にへの応援コメント
こんにちは、初めまして。企画(短編・読み合い)から来ました。
恋愛作品は書いたことがないので、恋愛表現の書き方に感心しながら、
読ませて頂きました。恋愛は表面と心の中があって難しいですよね。
それをさらに文字で表現するのも難しいです。
作者からの返信
企画にご参加いただきありがとうございます!
おそらく、私の恋愛小説は一般的な恋愛小説とは異なるかと思います。恋愛を道具にして、常に別の主題を描こうとしているからです。そういう意味においては、恋愛はとても扱いやすいのです。
恋愛を主題にすると、私自身も書くのは難しいかもしれません……。でも、それが小説を書くことの奥深さであり、面白さであるのかもしれませんが。
お読みいただきありがとうございました!
桜の花の咲く季節にへの応援コメント
すごい。私にこれはかけない。
これが素直な感想です。
私は事実を淡々と書き連ねるのは大の得意なのですが、このような人の心に訴えかけるような文章を書くのは、大の苦手にしております。
私は自他ともに認めるまごうことなき変人ですので、「君」の変人ぶりをもっとみてみたかったなと思っていたりします。
ですが、私も「君」と同様に、変人であることを恥じておりません。むしろ誇っております。
と言いますか、「普通」であることに価値を見出す人がどうしても理解できません。
全部が「普通」な人がもしいたとしたら、とてもつまらない人だと思いますので。
変人最高! 普通なんてポイッ!
作者からの返信
コメントありがとうございます!
多くの人は「普通」からの逸脱を恐れるものかと思います。逸脱するものは常に、「普通」を脅かす革命家(または犯罪者)です。「普通」を生きる人に対する否定性を暗示的に孕んでいる。だから誰もが恐れ、憧れもするのだと思います。
私自身は「普通」や「常識」という枠組みを捨てきれません。それゆえ、作品の中でそうした枠組みにとらわれない存在を無意識的に称揚しているのかもしれませんね。
お読みいただきありがとうございました!
桜の花の咲く季節にへの応援コメント
青春の尊い大切なものを見せてもらったような気になりました。詩のような言葉の連なり、素敵だと思いました。
ただ、私の読解力がないので、お恥ずかしい話なのですが「君」の存在がよくわかりませんでした。ラストで、君と中村が重なって見えたのですが。そういう解釈もありなのでしょうか?
馬鹿なことを言っていたら申し訳ありません。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
「私」は自分を斎藤と重ね、さらには中村を「君」と重ねて見ている部分があります。
「私」にとっての思春期が、自分が他人と異なること、自分が他人と同じであること、それを丁寧に選り分けている時期なのだと思います。それゆえに、「私」は自分を斉藤に重ねたのでしょう。
(中村と「君」は人物としては別人です)
加えて、実際二人(というより四人)はよく似ているのかな、とも思います。
銀野きりん様にとってこれが回答になっていれば幸いです。
お読みいただきありがとうございました!!
桜の花の咲く季節にへの応援コメント
はじめまして、企画に参加させていただきました! よろしくお願いします!
青春の何気ない一コマ一コマを切り取り、なかなか伝えられないもどかしい想いを丁寧に描かれた快作でした。私が最近「あの頃に戻りたいなぁ…」と思うことが時々あるせいか、とても刺さりました。面白かったです!
作者からの返信
福来一葉様
コメントありがとうございます!!
とても嬉しいお言葉の数々……たいへん嬉しく思います。
断片的で、少し奇妙で、苦しくて、もどかしくて、ぐるぐるしてしまうようなあの頃の感覚を、どうにか作品として形にできないかと呻吟した次第でございます。(それが功を奏したか否かはさておき
お言葉に見合うよう、これからもより良いものを書けるよう、もっともっと書いていきます!
福来一葉様の作品も拝読いたしますね!
ありがとうございました!!
スミロドンへの応援コメント
こんにちは、企画から参りました。
スミロドンという動物を知らなかったので大変勉強になりました……!
学生のころって、思い出すと「特別な環境だったなあ」って懐かしい気持ちになりました。
作者からの返信
原作 二階堂きい / 原案 藤堂こうや 様
コメント+企画参加ありがとうございます!
私自身スミロドンに関する記述を何で読んだか忘れてしまったのですが……とても面白いと思い、ちょっとした小道具として用いました。
本当に特別な環境でした。今だからこそ、その特別な環境をある程度俯瞰で眺めることができるのでしょうね。感慨深いです。
コメントありがとうございました。
原作 二階堂きい / 原案 藤堂こうや 様の作品も拝読いたしますね。
鼓動への応援コメント
斑猫です。
きょうび、ネズミの解剖って行うんですね!
あ、でも10年ほど前に男子校でカエルの解剖を行ったという話を聞いたので、
行う所は行うんでしょうね……
生命を知る事は大事な訳ですが、いざネズミを捌くシーンに自分が出くわしたら、きっと悲しくて泣いてしまうだろうなと思ってしまいました。
とりとめもない事をすみません。
ではまた。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
どうでしょう。
高校ならともかく、中学ではやらないのかなあとは思います。
私自身は高校時代にマウスの解剖を行ったのですが、
その時に泣いている生徒はいなかったと記憶しております。
いざ死にゆくマウスを目の前にしたら、
悲しんでいる暇など微塵もなく、ただただ必死でした。
桜の花の咲く季節にへの応援コメント
拝読しました。
残念ながら私個人の青春時代はもう何十年も前に過ぎ去ってしまったので、この作品の登場人物たちの心情にはリアルにシンクロ出来ぬもどかしさを感じつつ読みました。
たぶんあの頃は自身のアイデンティティーを確立しきれぬことに焦りや苛立ちを無意味に感じながら自己肯定や自己嫌悪を同時に抱えてた時期だった気がします。
少年少女時代は友だちというものをずいぶん過大に大事にしている感があります。
そして自分もそれに見合う存在でいたいという変な気負いやカッコつけをやっている…。
大人という時期すら終わりかけてる今、その姿を見ると滑稽ですね。
滑稽に感じるのはその当人たちは必死で真剣だからですね。
作者が気に入ってくれるコメントにはならないとは思いますが、私はそういうふうに感じながら作品を楽しませて頂きました。
すみません。大人って、つまんないねぇ。
作者からの返信
お読みいただきありがとうございます。
子供たちの見ている世界はとても狭く、
自分という像も他人という像も、
大きく歪んでいるものです。(スプーン、空と海)
そんな歪んだ世界の中で、
自分も他人もめまぐるしく変化していく。(つんつるてん)
変化に追いつけずに、不安になる。(鼓動、春の眠り)
変化しながらも、変わらないもの、
変わらないでいて欲しいものがある。(スミロドン、消しゴム)
私はこの小説で、そういうものが書きたかったのだと思います。
大人の世界は変化が乏しいです。
毎日同じ電車に乗って会社に通い、
同じ仕事を、同じ人たちとして、
帰って代わり映えのしない食事をして、
眠って。の繰り返しで、いつのまにか時間が過ぎていく。
毎日の変化のなかで
もがきながら必死に生きる「若さ」は、
確かに滑稽かもしれません。
ですが、
「『必死で真剣』を滑稽として捉えること」の滑稽さをも、
考えざるを得ない。
さらには、そうして考えることの滑稽さすらも。
そうしてメタ化していくと、
私たちはどこまで行っても
滑稽なのだと思いますよ。
(これも大人のつまらないところ
コメントありがとうございました!
スプーンへの応援コメント
testtestさんがどう思ってるのか知りたいな〜!教えて?(*´꒳`*)?
作者からの返信
コメントありがとうございます!
難しいですね……
膨らんでいる側が背で、掬う側が腹、ですかね。痩せ型の猫背って感じで。
まあ、なんとなくですが。