第三十六話

 オーク座は元々、エドワードの主宰する少年劇団から成長した青年達と、フリーの俳優を呼び込み作られた劇団だ。


 比較的裕福な中流家庭出身の俳優が多い中、エリックだけは、貧しい旅芸人の息子だった。

 たまたま訪れた地方のパブで、一際輝くエリックの美しさに一目惚れしたエドワードが、すぐ様自らの少年劇団にスカウトして、そのままオーク座の看板俳優になったのだという。

 だとしたらエリックは、エドワードに大きな恩があるはずであり、彼の良心に訴え、報酬をさらにあげる約束をすれば、なんとか説得できるのではとジャンは考えたのだ。



「エリック俺だ、夜遅くにすまないが開けてくれないか?」


 エドワードが世話したのだろう、閑静な集合住宅地の一角にあるエリックの家にたどり着いたジャンは、心持ち緊張しながらドアをノックする。意外にもすぐにドアは開き、エリックは驚愕の表情でジャンを見つめた。


「帰ってきてたんですか?」

「ああ、今さっきな。こんな時間に悪いが中に入れてくれないか?」


 エリックは、ジャンを拒絶することなく中に招きいれ、ジャンは拍子抜けしながらも、単刀直入に話しを切り出した。


「エリック、頼むから明後日の御前公演に出演してくれ!アリアンが成功し女王に気に入られれば、主演俳優であるおまえは名声を得られるし、エドワード伯爵も釈放される!おまえだってエドワードを助けたいだろ?」

「そうですね、エドワード伯爵には本当に色々とお世話になりましたから、早く釈放されてほしいと願ってますよ」

「だったら協力してくれ!宮内大臣一座にどんな条件を出されたか知らないが、こちらも必ずそれ以上の報酬を約束する!」

「…」


 エリックは少しの沈黙の後、静かに口を開き語りはじめる。


「ジャン、あなたは何か勘違いしているようだが、俺が宮内大臣一座を選ぶ事にしたのは、何も金の事だけが理由じゃない。あなた、私達に話さず隠してた事がありますよね?」


 エリックに真っ直ぐ見据えられ、ジャンはたじろぐ。隠し事と言われても、オーク座の俳優達には敢えて伝えなかった事が沢山ありすぎて、どれのことだか正直わからない。何も答えられないジャンに構わずエリックは言った。


「エドワード伯爵逮捕に深く関わってるのは他でもない、あなたの父親だ!あなたは真実を我々に伝えず、オーク座の俳優達を利用しようとしていたんじゃないですか?」


 エリックの言葉は事実であり、ジャンは頭を下げで心から謝罪する。


「すまないエリック、確かにおまえの言う通り、オーク座がこんな危機に瀕してしまったのは俺の父のせいだ。だが天に誓って言うが、俺が父に協力した事は一切ない。あの男は、俺をヘッドヴァン家に戻すためにこんなことを…」

「戻ればいいでしょ?」


 全て話し弁解しようとするジャンを、エリックは容赦なく遮る。


「あなたがとっとと父親の言う事を聞いてヘッドヴァン家に戻っていれば、こんな事にはならなかった!言っちゃなんだが、劇作家なんてあなた以外にいくらでもいる。あなたが辞めれば、名も知れず貧困に喘いでいる人間が世に出れるかもしれない、トーマスがオーク座付きの作家になれるかもしれない。

あなたにはヘッドヴァン家の後継者という輝かしい道があるんだから、劇作家なんて辞めても問題ないでしょう?こっちはこれ以上、貴族の道楽に付き合わされるのはまっぴらなんだよ!」


 今までエリックとはそれなりにうまくやっているつもりだったジャンは、エリックの罵詈雑言に、怒りよりも驚愕の感情を強く抱く。


「エリック、おまえ達に父との事を伝えず迷惑をかけたことはすまないと思っている。

だが俺は道楽で劇作家をやってるんじゃない!劇作家として成功するためなら、俺は貴族であることなど捨ててもいいと思ってるんだ」


 ジャンの真剣な言葉を切り捨てるように、エリックは肩を揺らして笑った。


「ジャン様、そんな言葉簡単に言ってはいけない。世の中には、貴族の称号が欲しくてたまらない人間は五万といる。

俺はね、自分達は同じ演劇を愛する対等な同士だと言いながら、心の底では所詮下層の人間なんて自分の一存でどうにでもできると見下している貴族が大嫌いなんだよ!」

「ちょっと待ってくれエリック、俺が父の事を言わなかったのはおまえ達を見下してるからじゃない!俺は単に自分の立場が危うくなるのが嫌だっただけだ、オーク座のみんなに、おまえのせいだと言われるのが怖かった。現にトーマスには全て正直に話しているし、俺は貴族の方が偉いなんて思っていない!」


 エリックがおかしな方向に誤解してると思ったジャンは、なりふり構わず本当の理由を叫んだが、エリックはジャンを見つめ言い放つ。


「分かってますよ、あなたは本当に俺達の事を対等だと思ってくれているんでしょう。

でも、あなたがそんな純粋でいられるのは、生まれながらの強者で貴族だからだ。

何も持っていない人間は、より強い者を見極め従う事で、運命を切り拓いていくしかない。

ジャン、俺は宮内大臣一座を選び、あなたの父親に従います」

「俺の父に脅されたのか?」

「いいえ、利害が一致しただけです。元々俺は、アリアン公演が終わったら、リチャードバーベッジのいる一流の劇団で挑戦すると決めていましたから。脅されたどころか、あなたの父親のおかげで、俺は次回の宮内大臣一座の公演で重要な役を与えられ、今まで以上の報酬を得られる事になった。むしろ感謝したいくらいですよ」


 すでに決意を固めているエリックに、ジャンは必死に食い下がる。


「エドワードを見捨てるのか?おまえがいなきゃ、エドワードを釈放する口添えを女王陛下から得ることはできない。彼が一生ロンドン塔から出られなくてもいいのか?おまえを貧困から救ったのは他でもない、エドワードだろう?」

「エドワード伯爵にはもう十分恩は返しましたよ、あなたも彼の趣味は知ってるでしょ?」

「…」


 その言葉の意味を瞬時に察し、ジャンは息を呑む。


「そんな顔しないでください。この世界ではよくあることだってあなたもわかっているはずだ。エドワード伯爵は、あなたのことも随分気に入ってるようでしたけど、あなたもエドワードと寝ましたか?」

「…いや」

「でしょうね、劇作家とはいえ、あなたはヘッドヴァン家の子息なんですから、エドワードもあなたの意思を尊重し無理強いすることはなかったんでしょう。でも俺は、彼に拾われた10代の頃から、彼に平伏し従い、彼の欲望を受け止めてきた」

「…」


 何も言えなくなるジャンに、エリックは静かに微笑み口を開く。


「さようならジャン、エドワード伯爵が、無事釈放されるといいですね」


 はっきりと告げられた決別の言葉に、ジャンは項垂れ、エリックの家を後にした。

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