第15話 おかんからの贈り物

 

 懐かしい匂いがする。

 まな板でなにかを切っている、トントントンとリズミカルな音もまた懐かしい。

 子供の頃を思い出す。

 こうやって眠っていたら、その音と匂いがして、やがて優しい声にこう声をかけられるのだ。

「朝ですよ。ご飯できました。起きてください」

 肩を揺さぶられる。

 いや、違うな。

 思い出の中ではこんなに優しい起こされ方はしていない。

 そうだ。俺が覚えてるのは。

「いつまで寝てんの、黒須! さっさと起きなさい!」

「わっ、分かってる、起きてる起きてるから、痛いよおかん!」

 ドカンと肩を殴られた。ひどい起こし方だ。

 でもそれでこそ俺のおかん……。

 おかん? いやいやいや、今俺の部屋におかんなんていないから。

「……?」

 よくよく見れば目の前にあるのは獣の蹄だった。

「!?」

 慌てて飛び起きる。俺のすぐ横にこたつに下半身を突っ込んだ鹿が横たわっていた。

「鹿!? おかんが鹿に!?」

「おはようございます」

 すぐそばからあの優しい声が聞こえた。そこには女神がいた。

「あ……、お、はようございます。きゅー、ぴっど?」

 どこから引っ張り出してきたのだろう。

 多分、会社の忘年会の出し物かなんかでふざけて使った、白いふりふりのエプロンを身につけたキューピッドが困ったように微笑んだ。

「すみません、おかんではないのですが」

「い、いやいやいや、いいんだ全然。その、ちょっと変な夢を見ただけで」

 恥っっ。

 飛び起きながらおかんの名前を叫ぶ三十代後半の男とか、恥ずかしいっ。あああああ。

 頭を抱えて悶絶している俺に構わず、キューピッドは言った。

「ルドルフも。本当に寝相が悪いんだから。ほら、起きて。朝ご飯できたよ」

 鹿、じゃない、トナカイだった。

 トナカイの肩の辺りをキューピッドが揺すると、ルドルフはぱちりとその目を開けた。

「ごはん!」

 覚醒するの早っ。

 ルドルフは素早く起き上がると足踏みした。

「あっ、こら、やめろ。その姿で足踏みなんかしたら床が抜ける」

 立派な蹄で踏みならすのやめて。畳がボロボロになっちゃう。

 見かねたのかキューピッドが言った。

「ルドルフ。その姿でバタバタしません。せっかく今からご飯だっていうのにホコリが立つでしょう」

「あう。ごめんなさい」

 ルドルフは素直に謝ると、子供の姿へと変化した。

 それにしても、だ。

 狭い台所から漂ってくるのは、懐かしい味噌汁の匂いだ。

 しかし、俺の家の冷蔵庫にそんなもん置いてあったっけ? 

 米くらいは常備してるが、朝飯が作れるような材料はなかったように思うが。

「朝ご飯なんて、どうやって作ったんだ」

 俺が尋ねるとキューピッドは言った。

「さっき荷物が届いたんです。その中にお味噌やらお野菜やらが入ってたので、それを使いました」

「荷物?」

「はい」と、頷くとキューピッドは台所から段ボール箱を抱えて戻ってきた。

「お野菜やお味噌、要冷蔵の物は冷蔵庫にしまいました」

「ああ、実家からの荷物か。受け取ってくれてありがとう。タイミングよすぎだな」

 荷物の中には俺が好きな手作りの梅干しの他、即席ラーメンやお菓子なんかが入っている。手紙も添えてあった。

“黒須へ

 寒くなってきたけど元気にしてる? 風邪なんかひいてない? 荷物を送ります。これを使って料理してくれる嫁を早く見つけ、正月に連れて帰ってきてくれることを願っています。あなたの母より“

「よけーなお世話だ」

 自炊なんてほぼしないって何度も言ってるのに、おかんは定期的にこうして自炊セットを送ってくる。

 四十前だぞ。もうそろそろ結婚なんて諦めてもいい頃だと思うんだが、親は絶対に諦めないのだ。

「優しいお母様、おかんですね」

 ふとすぐ真横に吐息を感じて目をやれば、キューピッドが手紙を覗き込んでいた。

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