第9話 ナイトラン
日が暮れた。
ぼんやりとした薄暮の下、百台近いオフロードバイクの甲高いモーター音が、山の中にこだまする。
発電機のエンジン音が低音でドルドルと響き、超高輝度のLED投光器が四方からスタートラインを煌々と照らす中、トップグループの選手が三十秒間隔で闇の中に飛び出していく。
『次! 暫定十五位から三十位までの皆さん、スタートラインにお進み下さい!』
アナウンスにうながされ、俺たちはスタートラインにバイクを進める。
トモが二十一位、俺は昨日のタイムロスが響いて二十七位。彼女の方が先にスタートするが、最初のCP《チェックポイント》までに俺が追いつけない場合は、そこで待ってもらうことになっている。
「やっつけ仕事だけど、ライト増設しといたからさ。今夜は思い切って飛ばせ!」
耳を聾する騒音の中、ヘルメットに額をくっつけるようにして先輩が大声をあげる。
「ありがとうございます! 助かります!」
目覚めてみると、俺たちのバイクには、前輪の両側に小型のLEDライトが二灯、増設されていた。
通常のヘッドライトだけではどうしても死角になってしまう部分を補うため、照射角の広い高輝度フォグライトをあちこち走り回って調達してきてくれたのだ。
「じゃあ、智子君も激励してくるから」
そういえば、さっき俺がタイヤチェックをしている脇で、二人でコソコソ何か話していた。
何の話題か訊ねたところ、二人は顔を見合わせ、揃って「スケベ!」と言われた。どうやら、俺が触れてはいけない話題だったらしい。
ただ、その後のトモは妙にやる気に満ちた目をしていた。先輩が何かをエサにトモをけしかけたのだろう。
『123番、スタート!』
アナウンスと共にトモのセローが勢いよく飛び出していく。
増設されたライトと先輩の激励、どちらも効果はてきめんのようで、明らかに昨夜よりも切れのいい走りをしている。
「……これ、追いつくのは結構キツいかも」
『124番、スタートして下さい!』
つぶやく間もなくすぐに自分の番が来た。前方の闇を見据え、俺はぐいとアクセルをひねった。
今夜のコースは明らかに昨日より手強かった。
スタートしてすぐ、左の急なヘアピンカーブ。そのすぐ先に見通しの悪い段差があり、そこから先は細かい砂利の浮いた急な
ここでビビってブレーキをかけるとあっけなく転倒する。コース脇に点々と転がっているバイクの中に、トモのセローがないか気にしながら走る。
「今のところ大丈夫か……」
コースの両側に垂れ下がる細枝がビシビシとヘルメットにぶつかってくる。かと思うと、正面に何かが急に飛び出してくる。
ヘッドライトの光を受けてギラリと光る目玉。
「うわっ!」
タヌキか? それともネコか。
コース幅ギリギリで謎の生物をかわし、木の根にぶつかっていきなり跳ねた前輪を力任せに押さえ込む。
くねくねと蛇のようにうねる林道を猛スピードで下る。そのうちに道幅が次第に広く、車の轍がはっきり二条になってきた。どうやらこの先で公道とぶつかるらしい。
さらに二台を追い越す。
ここまで下り坂でパスしたのは六台。ここで二台追い抜いたから、そろそろトモに追いつくはずだ。
だが、見慣れたオレンジツートンのヘルメットがなかなか見えてこない。
後頭部に貼られたネコの形の
遠く正面に白くぼーっと光るガードレールに、赤く光る反射材で右向きの大きな矢印が取り付けられているのが木々の間からかすかに見える。
と、半分滑りながら降りてきた砂利道から突然コンクリート路面になり、後輪が急にグリップを取り戻して反対側に振り飛ばされそうになる。
「っと!」
左足で立木を蹴飛ばし、何とか体制を立て直したところで、闇の向こうに“追い越し禁止”を意味するイエローフラッグが掲げられているのが見えてきた。まもなく最初のチェックポイントだ。
結局、ここまでトモには追いつけなかった。
矢印に沿って三叉路を右へ、路肩に黄色い回転灯の光が見える。本日最初のチェックポイントだ。
前の選手のテールランプが迫ってくる。そして、チェックポイントの先で大きく手を振っているのは、トモだ。
『ナオ! 聞こえる?』
ヘルメットに仕込んだスピーカーから声が響く。
これも斉藤先輩の仕込みだ。特定小電力のトランシーバーで、見通しさえ良ければ一キロくらい離れても話ができる。
「聞こえる。大丈夫だったか?」
「うん。走りやすい! さすが斉藤先輩」
どうやら、マシンのセッティングもいじって貰ったらしい。
『ゆっくり出るから、そのまま追い抜いて! ついて行くよ』
「了解」
『ねえ、せっかくだから入賞狙おうよ!』
現在、俺はたぶん十九位、トモは十二位のはず。十位以内が入賞圏だから、最後まで無事に走り切れれば、十分狙える範囲ではある。
「ずいぶんやる気だね」
『うん。入賞したら斉藤先輩がご褒美だって』
「なんだそれ、俺は聞いてないぞ。何をくれるって?」
『乙女の秘密~! じゃあ先に行くね』
楽しそうな笑い声を上げると、彼女のセローはその名の由来になったカモシカのように、身軽にけもの道を駆け上がった。
短いリエゾンを挟んで2つ目のCP《チェックポイント》を過ぎると、今度は一転、狭い上り坂だ。
以前のトモは苦手だった場面だけど、今夜の彼女はなかなか固い走りで確実に難所をパスしていく。
「この先のコーナーで追い抜くよ」
『りょーかい! アウトに避けまーす』
テンションの高い返事が戻る。
間違いなく、今日のトモはのっている。神懸かっていると言ってもいい。
「スピード、大丈夫か?」
『うん。もっと早くても平気。ナオが前を走ってると、なんだか私まで速くなったみたい』
「いや、実際速くなってるよ」
そのまま急坂を登り切った所で突然眺望が開けた。
『うわあ、ナオ、ストップ!』
言われるまでもない。
並んでバイクを止め、そのまま風景を見下ろす。
眼下には温泉街の灯りが宝石みたいにきらめいていた。
俺はヘルメットを脱ぐと、肩から生えた給水バッグのストローをくわえて水を飲み、ふうとため息をついた。
ふと、横を見るとトモも同じようにヘルメットを脱ぎ、ショートの髪に手櫛を通しながら同じように眼下の灯りを見つめていた。
「ねえ、ナオ、私、どうしよう?」
「?」
「何だか凄く楽しい。このままナオと夜明けまで、ううん、ずっと世界の果てまで走り続けたい気分」
「……わかる。俺も、レースはじめてこんな気分になったのは初めてだよ」
その時、雲が晴れ、稜線の向こうから月が顔を覗かせた。
月はトモの顔を青く照らし、たった今抜けてきた林の木々までもが、まるで妖精の住処のようにほの青く輝きはじめた。
「ナオ」
見つめる彼女の瞳が潤んでいた。
俺は吸い込まれるように彼女に身体を寄せ、初めてのキスをした。
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