第6話 月代の決断
その言葉に月代は、なるほどと。
ただそう思った。
愛する妻が、男性として第二の人生を生きてみたいと、そう訴えるのだ。
所詮はお互い一度は死んだ身、ならば新しい人生を、新しい体で生きるのだ。
そこで新しい性別を望んでもいいのではないだろうか。
「ええ、榛花さんがそう望むのでしたら。」
月代としても、愛情を示す、その形は変わるかもしれないが、それでもその感情そのものに変わりはないだろう。
そう思って、そう願って言葉を伝える。
ただ、榛花から続けられた言葉は彼の想像をはるかに超えていた。
「ですから、今度は典仁さんが女性になりませんか。
お互いに性別を入れ替えて、生きてみる。
子供向けの娯楽作品で、たまに見る状況。
面白そうではありませんか。」
思考が漂白されそうになった月代は、過去の経験からこの暴走を止めなければ、全てが決まると。
そう予感した。
「いえ、榛花さん。私たちは幸いにも第二の生を得るわけで、遊びで決めていいものでもないでしょう。
真剣に、新しい生と向き合いましょう。」
月代は榛花の手を取り、目を合わせてそういう。
昔から彼女は時に暴走をする気質ではあった。
そもそも結婚に至った、その経緯。
それも、なかなか余人に説明しにくいものであったのだから。
「ええ、遊びではありません。
ただ、どうなのでしょう。第二の生。見た目を変える。
それだけで私たちは実感を得られるのでしょうか。」
榛花の言葉に、それは確かにと月代は考えさせられる。
いくら大幅に見た目を変える、若返るとはいえ、どうであろうか。
人生なのだ、ゲームの延長ではない。
確かに、彼を含め多くのプレイヤーはあのゲームを第二の人生。
幻想の中にある第二の生、などと謳ってはいたが、やはりゲームだから、ゲームだからこそ実行できたような挑戦も多くあった。
英雄譚の再現を願い、龍に己の体と、ただの鉄の塊、無論剣として整備はされていたが、をもって挑んだ男。
酒場で、毎夜のように歌い、新しい歌を作り続けた、今や歌姫。
この世に既知とされて、我が足の通らなかった場所はないと、そう豪語する探検家。
ゲームだからこそできた挑戦も、そこには多くあっただろう。
だからこそ、姿形を変えるだけで、ゲーム感覚を持つのではないか、その懸念は月代には理解できた。
だが、それは性別を変えて、それだけで解決するものではない。
そのはずだと、月代は言葉を重ねる。
「榛花さん。聞いてください。
確かに、あなたの懸念はわかります。今こうして私は胸を躍らせている。
そこにゲームを楽しむ、そんな感情がないとは私も言いません。」
ですがどうでしょう。
月代は続ける。
「姿形を変える、性別を変えるのもその一環でしかないのでしょうか。」
さて、月代が覗き込む榛花の目には、見知った気配が滲んでいる。
「ですが、典仁さん。
私たちが姿を変え、こうして二人で、新しい人生を得る機会を頂けたのです。
この特別な機会に、特別なことを。
そう望むのは、おかしいでしょうか。」
そうして二人はしばし話し合う。
互いに互いの意見を認めるふりをしながらも、自分の意見こそが了解を得られるはずだと。そうした言葉がお互いを行きかう。
それはとても懐かしく、二人の間で、よくあることではあった。互いに互いの正しさは理解しているのだ。そして、お互いに譲れぬものがあり、だからこそ言葉は行違う。これまでは、お互いに譲り合っていた。
その経験で、どこか暗黙の了解はできていたのだ。月代が譲れば、次は榛花が。榛花が譲れば、次は月代が。
月代は、少し考える。最後に譲ったのは、恐らく自分であった。
彼女の死の間際、彼女の願いをすべて受け入れる。それが順番であったから。榛花もそれを理解はしているのだろう、その証拠に、徐々に重ねる言葉に勢いがなくなっていく。
ここに来るまでの道行き、短く感じたそれではあったが、そこでも二人は大いに語らった。
その中でも、月代の話を聞く、そのためにこのゲームを、月代が楽しんでいたものを、榛花は我慢したとそういったのだ。
高々80年。その中で得られた尊厳。その程度の事、これまで我慢させた彼女に。
そう考え、月代は、改めて榛花に尋ねることとした。
「これから先。私が榛花さんの意見を受け入れて、生きていく。
そう決めたとして、それは、榛花さんとって、後悔なく、楽しいものになりますか。」
そう、事ここに至って月代に聞けることなどそれだけしかなかった。
いいのだ、自分のちっぽけな尊厳など。人によっては重要だなどというのかもしれないが。彼にとっては今回比較すべきものとは、比べるべくもないほど小さなものでしかないのだから。
それだけの愛情を彼女は彼に向けてくれ、同じだけ、そう思えるだけのものを、彼は彼女に向けている。
その彼女が、こうしてそれを望み、それが楽しいものだと。これからも楽しんでいけると、そう胸を張って生きていけるのなら。
その我がままに付き合おう。これまで自分の我がままに付き合ってもらったように。
そう思うだけの積み重ねが、確かにそこにあったのだから。
そうして、榛花が笑顔を浮かべて、恥ずかしそうに首を縦に振ったのだから。
月代はそれ以降、何も言うことはなかった。
それから互いに、互いの姿を作り、交換した。
月代も、自分で女性の姿を作れと言われても、どうにもそれが自分であると、そう考えれば手が進まず。それを推した榛花も、そこは同じであった。
月代は自身がゲームで使っていた姿、それと恐らくは同じものを。
榛花はどこか見覚えのある女性の姿を、互いに贈ることになった。
その姿を見た榛花は微笑みを浮かべ、気恥ずかし気に。
月代はただただ表情を硬め、覚悟はあったとしても、早まったか、そう感じていた。
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