憧れの世界でもう一度
五味
序章
第1話 月代典仁の生涯
その日、月代典仁はやけに、随分ぶりにはっきりとした意識で、終に己の迎えが来るのだと理解した。
ここ数日、彼の子供や孫がベッドの脇に座り、涙ながらに語り掛けてくれるのを、泣くことなどないと。これが当たり前のことなのだと、そう何度も話した。
彼はもう2年もすれば90を迎える。
十分平均とされる年齢を超えて、今日まで生きてきた。
7歳上の妻にはすでに先立たれ、それでも余生を楽しく過ごしていた。
そして、ここまで彼を惜しんでくれる相手が側にいるのだ。そのことに勿体ないと、そう思う反面、不思議な充足も得てしまう。彼らは本当に悲しんでくれている、彼を惜しんでくれているというのに。
彼は己の人生をぼんやりと振り返る。
噂に聞く走馬灯と呼べるような鮮烈さはなく、それはどちらかといえば、ぼんやりと、温かなものであった。擦り切れたアルバムをゆっくりとめくるような。そんなのんびりとした、けれど温かな物。
中でも特に思い出すのは、生れて初めて触れたゲーム。
題名ももう思い出せないし、振り返ってみれば、それは実に安っぽく、内容も単純なものであった。
だが、当時の彼にとっては衝撃的なものであったし、それからの人生、彼は多くの作品を遊んできた。時にはつまらない、自分に合わなかったとそう評するものもあった。それとて、今となっては振り返るにはいい思い出だ。
その中でも彼が特に時間を捧げたのは「Viva la Fantasia」と呼ばれる、未だに後追いすら存在しないゲームであった。
そのゲームは遊ぶのに専用の筐体を必要とし、ロッキングチェアのようなそれに座り、体の数か所を固定。
頭から冗談じみたヘルメットをかぶる。
たかがゲームに、何故そんな大掛かりな装置を使うのだと、多くの者が最初は馬鹿にした。
しかし、そのゲームにはまさしくそれが必要であった。
そのゲームは、プレイヤーに、現実と区別がつかないほど、それでも一部はゲームらしさを感じさせる、素晴らしい五感を提供したのだ。
それはゲーマーに限らず、世界中の多くの人を魅了した。
VRMMOと呼ばれるそれは同時接続数が億を切ることはほぼない、そんなゲーム、もう一つの世界となった。
そこで気の合う仲間を作り、会社を興すものもいた。
仮想の世界で、そこの酒場で歌を歌っていただけの娘は、気が付けば世界で名前を知らぬ人のほうが少ない歌姫と呼ばれるようになった。
現実では得られぬ食材に魅了され、料理の腕をひたすらに磨き、二年は予約が空かぬと、そう呼ばれるほど名を挙げた料理人もいた。
またあるものは、年配の者から多くを学び、気に入られ、そのまま彼の会社へ入社を決める。
そこには多くの、語りつくせないほどのドラマも存在し、だれもが魅了された。
まさに、もう一つの世界であり、現実と共に、そこに確かにあった。
仮想世界は、現実にも影響を与えるのだと、そこももう一つの世界なのだと、そう受け入れられるだけのものが出来上がっていた。
一度そのゲームは続編とし、単純に2と数字を付けただけではあるが、大幅な改修、改善、製作者が己の限界と、それに挑戦し続けた結果、だれもがより素晴らしいと。
そう認めるものが発売され、またさらに多くの人を魅了した。
しかし、後続のゲームはついぞ現れることはなった。
7人の開発者は惜しみなく彼らの技術を教え、助言をし、時にはすべての設計図を公開もした。
しかし、彼ら以外によって作られたものは、だれもがいうのだ。
ただの劣化品であると。
多くの企業が複製だけでもと挑戦し、そこに確かにある壁に敗れていった。
だからであろうか。
7人の開発者がその歳月に耐えられず、一人、二人と、安らかな眠りを得ていき、遂にそのゲームは、40年の歳月に幕を下ろした。
それから30年以上たった今でも、劣化と、そう呼ばれるものしか世に現れていない。
月代はそのゲームの最初から最後までを見てきたひとりであった。
彼は思い出す。
最初に触れたものは確かに素晴らしかった。
アレが無ければ、自分はあのゲームに出会うのも遅れていただろうと。
しかし、最期の時に彼が長く思い返すゲームは「Viva la Fantasia」それであった。
彼はそこで出会った仲間たち、彼らを気に入った気のいい年かさの男。
そういった者たちと、会社を興し、世界各地に支社を持つ、そんな企業に成長させた。
そういったことを、ただぼんやりとし始めた意識で月代は思い返す。
さて、いよいよお別れかと、そんなことを霞む視界で彼が考えていると。
ひ孫が彼に問いかけた。
「なぁ、爺さん。楽しかったかい。」
応えた彼は笑っていただろう。
「ああ。楽しかったとも。楽しんだとも。」
それが彼の最期の言葉になった。
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