一②
時間が経つにつれて参拝客が増えていく。授与品を求める参拝客も多くなり、里帆はその対応に追われていく。しかし視界の端に映り込むラファエルの存在は消えてはくれなかった。
夕方になり社務所を閉める時間になっても、ラファエルは正面のベンチの上に居た。里帆は少し気味悪く感じながら、私服に着替えて境内へと出る。
「あ、里帆! お疲れ様!」
境内に出た里帆を待っていたかのようにラファエルが駆け寄ってきた。里帆はそんなラファエルの存在を無視するように歩き出す。
「あ、待って! 里帆!」
歩き出した里帆の後を追って、ラファエルが駆け寄ってくる。どうやら里帆は、この謎の青年に完全になつかれてしまったようだった。
「今日はいい天気だったね」
(無視!)
「里帆、元気?」
(無視!)
「里帆は今、困っていることはないの?」
(無視!)
「里帆は、自分の人生を悔いているの?」
「あなたねぇ!」
寮への帰り道、ずっと話しかけられていた里帆は無視を決め込んでいたが、家の前でかけられた言葉にとうとう堪忍袋の緒が切れた。里帆がぐわっと後ろを向く。しかしそこには、今まで鬱陶しいくらいに声をかけてきていたラファエルの姿はなくなっていた。
(何だったの……? 私、今日どうかしてる)
頭を抱えながら、里帆は鞄の中から家の鍵を取り出すと、その鍵で家の扉を開けた。中に入った里帆はぐったりとベッドへ倒れ込んだ。
(自分の人生を、悔いているのか、か……)
頭の中に響くのは、最後にラファエルが問いかけてきた言葉だった。
今日出会ったばかりの変な人の言葉など、気にしないに限る。頭では分かっていることだったが、心に刺さった言葉はなかなか抜けてはくれなかった。
そう、里帆には悔いていることがあった。
両親を交通事故で亡くしたあの日。久々に家には両親が揃っていた。里帆は嬉しくて、朝から三人でどこかへ出かけたいと騒いでいた。両親は困ったように笑っていたが、最後には里帆に根負けして出かけることになったのだ。
そして、悲劇は起きた。
渋滞中の車の列に大型トラックが突っ込んできたのだ。
それから里帆は、その日の事故を夢に見ることが多くなった。あの日、自分が出かけたいと言わなければ。
考えても詮無きこととは分かっていたが、どうしても年月が経つにつれて考える日々が増えていった。
そんな過去から解放されたいと願う日がないわけではなかった。そのたびに思うことは、
(神様なんて、いないから……)
そう、神様なんていない。
過去は変えられないし、過ぎた時間は戻らない。
分かっている現実を考えているうちに、里帆は意識をゆっくりと手放していったのだった。
うたた寝をしていた里帆は夢を見ていた。それはいつも見る悪夢だった。幼い里帆が朝から騒いでいる。両親は困ったように笑うと里帆を連れて車に乗った。
そして変わることのない現実。
大型トラックに突っ込まれた乗用車は両親を巻き込んで潰れていく。
いつもならここで目が覚めるのだが、今回は違った。前の座席でぐったりしている両親の頭上に黒い影が現れたのだ。その影の顔は車の上にあり、後部座席に拘束されている里帆からは見えない。その影の両手には何かの柄が握られているのを里帆は見逃さなかった。
(まさか、死神?)
里帆がそう思っていると、黒い影は両手に持っていた柄を振り下ろすように構える。
(止めて!)
里帆の心の叫びに、その黒い影が気付く様子はない。影は容赦なく柄を振りかぶり、その先にある鎌を振り下ろす。それは一瞬の出来事だった。黒い影が振り下ろした鎌は里帆の両親の肉体と魂を引き剥がし、魂だけを刈り取って消えようとする。
(待って! お願い、行かないで!)
里帆の心の叫びは黒い影には届かない。どれだけ里帆が暴れようと、夢の中の里帆の身体はぴくりとも動いてはくれなかった。
黒い影が姿を消した瞬間、
(……!)
里帆は上半身を飛び起こしていた。身体中が冷や汗でびっしょりと濡れている。
(今のは……、夢……?)
なんとも後味の悪い夢を見てしまった。
里帆はもぞもぞとベッドから出ると、シャワーを浴びるためにバスルームへと向かう。壁にかかっている時計は深夜三時を指そうとしていた。今日はこのまま、再び眠ることなく出勤することになりそうだ。
バスルームから出た里帆は長い黒髪をタオルで巻くと、冷蔵庫へと向かった。部屋の電気は消したまま、テレビも点けていない部屋の中に冷蔵庫の明かりが眩しい。
里帆は冷蔵庫の中からミネラルウォーターの入ったペットボトルを一本取り出すと、キャップを取って喉が鳴るほど飲んでいく。カラカラに渇いた身体に、ミネラルウォーターが染みこんでいく。
その後濡れた髪を乾かすために洗面所へと向かった。暗闇の中ドライヤーを髪にあてていくが、腰まである髪を完全に乾かすのは億劫だったのか、里帆は生乾きのままドライヤーを元の場所へと戻してしまう。
そのまま狭いワンルームを進み、里帆は暗闇の中ベッドの上に腰をかけた。東の空はまだ暗く、日の出まで時間がかかるようだ。
暗い室内の中、里帆はぼーっと夢に出てきた死神らしきもののことを考えていた。
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