第39話 淡い男心

 「廊下は走るなよー」という声が聞こえて振り返ると、ベネディクトらしき金髪の青年が走り去る背中が見えた。


 本日も大変元気な彼の様子に、自然と笑みが零れてしまう。


 元気だなぁと思っていると、私の心の中を代弁するように、ユージーンさんが言った。


「ふふ、彼は元気な方なんですね。なんていうか、生命力の塊って感じだ」


 横にいたユージーンさんは口元に手を当てて、優雅に微笑んでいる。

 その声にも表情にもベネディクトに対する悪意は全くなくて、私は驚いてしまった。


 普通、自分が試合に負けた相手にこんな穏やかな笑みを向けられるものなのだろうか。


 思わずまじまじ見つめる私の様子から察したのか、彼が肩をすくめてお茶目に言った。


「そりゃ、僕だって負けて悔しいですよ。でも、あんなまっすぐな人に今の僕じゃ勝てないなって、剣を交えていて思ったんです。彼以上の熱量が僕にはなかった。だから、完全敗北。むしろ清々しいんです」


 彼の言葉には全く嘘が感じられない。きっと本心から言っているのだ。

 なんて心根のまっすぐな方なんだろう。


「ユージーンさんはとても誠実な方なんですね。一緒に働けて嬉しいです」


 思ったことをそのまま口にすると、彼はニコッと笑って「お褒めに預かり光栄です」と答えた。

 そして、ふと気づいたように私の顔を見て「もしかして――」と尋ねる。


「試合中、ひと際大きな声で『ベネディクト!』って叫んでいたのは貴方ですか?」

「はっ、え、あの。はい、たぶん、そうです」


 ベネディクトに声が届いていたということは、つまり近くにいたユージーンさんにも聞こえていた訳で……。

 恥ずかしくて居たたまれない。あの時は必死だったけれど、今思えば熱中して騒ぎすぎてしまった。


 穴があったら入りたい気分なのだが、穴なんてないので、私は顔を両手で覆った。


「試合中うるさくしてすみませんでした……」


 消え入りそうな声で謝ると、目の前から朗らかな笑い声がした。

 指の隙間から彼を見上げると、彼はちょっと悪戯っぽい顔でにやっとした。


「いいなぁ。僕もあんな大きな声援送ってくれる素敵な彼女が欲しいです」

「沢山の方がユージーンさんの応援をしていましたよ」

「僕は沢山より、たった一人がいいんですよ。唯一最愛の人からの特別な言葉が欲しいんです。僕の両親は貴族にしては珍しく恋愛結婚だったので、自分もそういう、運命の人みたいなのに憧れがあって。まぁ淡いオトコゴコロってやつですね」


 彼の言葉に『男心とはそういうものなのか』と思うと同時に、一つ気になった部分があった。


「あの、私はベネディクトの彼女ではなく、相棒なのです。だから、そこの部分は勘違いといいますか」

「ん?あい、ぼう?それは、珍しい関係性ですね」


 男女間ではあまり聞き慣れない単語に、ユージーンさんが目を瞬かせた。

 

 確かに、異性間では恋人や夫婦という関係の方が一般的だろう。

 相棒というのは珍しいかもしれない。


 ユージーンさんは顎に手を置いて少し考えた素振りを見せると「でも」と話を切り出した。


「相棒っていうのも、唯一無二って意味では恋人と同じというか、それ以上の繋がりを感じます。だから、どっちにしろベネディクトさんとミスティさんが羨ましいです。俺にも、いつかそんな相手が出来るといいな」


 彼の言葉に考えてしまう。

 世の中には、愛を表す言葉が沢山ある。


 恋情、愛情、友情、家族愛、愛憎……私がベネディクトに抱いているのは、一体何なんだろう。

 愛や恋なんて形のない曖昧なもの、正直言って好きではない。

 簡単に消えたり、なくなったり、裏切られたりするから。


 以前の私なら、考えるのを放棄して『そんな面倒なことはごめんです』と言って跳ねのけていただろう。


 でも今は違う。

 私は知りたい。


 胸に手を置いて、自分の心に問いかける。


(私がベネディクトに抱いている感情は……いったいどんな言葉が当てはまるんでしょう)



♢♢♢



 それから数日後、ベネディクトがまるで明日の天気を話すような自然な口ぶりでこう言った。


「俺、明日から二週間くらい出張行くから。しばらく一緒に帰れないんだ。一人でもちゃんと用心しろよ。なんなら、伯爵家の馬車使え。心配だからさ」


 すらすらと話を流していく彼の言葉に私は焦った。


「ま、待って下さい。その出張って何ですか?迎賓館護衛騎士がどうして迎賓館から離れるんです?」


 異例の出張に嫌な予感がする。

 ベネディクトが詳しく話さないということは、危険な任務なんじゃないか。

 

 私の予感は的中して、彼は少し気まずそうな顔をした後、正直に任務の内容を話してくれた。

 

 詳細は明かせないが、賓客の護衛という大役を任された。いつもの任務よりは危険が伴う。それでも自分は行かなきゃいけない。行きたい理由があるんだ、と。


 そして、不安を隠せない私の両肩に手を置くと、まっすぐ瞳を合わせてくる。

 彼の表情はいつになく真剣で、それだけこの任務にかける想いが強いことがうかがえた。


「あのさ、帰ってきたら、お前に話したいことがあるんだ。だから、待っていてほしい」

「分かりました。心配ですが、お帰りを待ってます。どうか、怪我だけはしないで」

「おう!あんま心配すんな!危険って言っても、そんなに不安がることねーから!大丈夫」


 彼が大丈夫と言うと、自然と心が少し軽くなる。

 ベネディクトは嘘はつかない。だから、きっと元気に帰ってきてくれると信じてる。


 その日はいつもと同じように他愛ない話をして、普段通りに「またね」と言って別れた。

 一抹の不安と、寂しさを抱えて、私は小さくなってゆく彼の背中をずっと見守っていた。



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