叶わぬ望み
「俺がそうすれば…父さんを守れるとでも言うのか?
あの父さんを?
馬鹿な、それは思い上がりだ…!」
「……」
紫苑は無言のままに、梁の反応を窺う。
その美しい瞳は、興味や梁を思う気持ちが溢れていながらも…
“ひどく厳しい”。
「あの誇り高い父さんが、そんなことを望んでいるはずがない…
俺にかばわれるなんて、いや、かばわれているだなんて、後になって父さんが知ったら──」
「まあ、奴の反応はそうだろうな」
実父であるが故か、その性格をよく知る紫苑が呟く。
「だが、俺が聞きたいのは、そんなことではない…
稔の反応ではなく、梁牙、お前自身がどう出るのかだ」
「…、俺が煌牙の元に行けば…
本当に父さんや母さんには、手出しをしないんだろうな?」
不意に、梁が暗い声でそう尋ねた。
それに紫苑は、その目に宿した厳しさを、若干ながらも和らげて答える。
「ああ。…お前も見たはずだ。
母親である彩花には、一切の危害を加えていない。
ただ、お前と稔に関する記憶を奪っただけだ」
「……」
「それもお前が下るなら、すぐにでも元に戻してやる」
「…その口ぶりだと…記憶想起の能力は、煌牙だけではなく、紫苑…
お前にもあるらしいな」
「…、ああ…」
何故かここで、紫苑は歯切れ悪く答え、ほんの僅かながら、梁から視線を逸らした。
しかしそれに気付くはずもなく、梁は自らの、悲鳴をあげ軋む心を抑え込むかのように、己の胸ぐらを強く掴み、手の色が変わるまできつく…
ひたすらにきつく、服を握り締める。
…ついに諦めたかのように、梁は、自らが最も否定していた言葉を、紫苑に告げた。
「紫苑…、俺は煌牙の元へ行く。
…お前の側にも…ずっと居る。
だから頼む…父さんと母さんを…
あの二人を…殺さないでくれ…!」
話しているうちに、梁の瞳からは、恐らく己でもその自覚がないであろう涙が溢れ、頬を伝い、流れる。
それを自らの人差し指で、そっと拭った紫苑は、目の前で悲しみに沈む弟を、静かに抱きしめた。
「…そう、お前の本質は他ならぬ氷藤──
お前の選択は間違ってはいない…」
“例え、歪んでいたとしても”。
間違っては…いない。
「紫苑…っ」
感情が溢れ出した梁は、本来なら弱味を見せるべきではない紫苑の前で、大粒の涙を流す。
「紫苑…、俺は… 俺は…っ…!」
…分かっている。
その全てが不本意だということくらい。
「…うっ… っ…、ぅ…ああっ…!」
…純粋であるが故。
声を抑えて泣くことも知らぬ弟。
「…っ、う…っ…」
その表情は悲しみに彩られ
導いたのが自分であるというのに──
“救いたくなる”。
「…梁牙」
優しく耳元で声を落としてやっても、
梁牙は泣きやむことはない。
ようやく悲しみという感情を知った、天使のように。
ただひたすらに、綺麗に泣き続ける。
…絶望という名の闇を、その胸に抱えて。
…やがてその体は、引力に引かれるかの如く、下に滑り落ち…
梁は、ついにその場に両膝をついた。
それでも梁の目からは、涙が止まらない。
こんな所で涙を見せるべきではないと分かっているはずなのに。
それがひいては自らの弱味となって、いずれはより苦しむのが目に見えているというのに…!
「……」
紫苑は無言のまま、少し体を屈めると、梁の手を引いた。
ぶらん、と、力無いその手は、雨晒しにされた屍の如く揺れる。
まるで支える力が皆無であるかのように。
「…立て、梁牙」
紫苑は、変わらずもよく響く、ぞくりとするような艶のある声で命令する。
「腑抜けになるにはまだ早い…
お前はまだ、何も動いてはいないはずだ」
「…何…も?」
梁は人形のように無機質な瞳で問いかける。
「そうだ。…たかが現実を認識した程度でそのザマでは、これ以降も、お前には何も止められはしない。
ただ…永劫、氷藤という名に振り回され、支配されるだけだ」
「!…」
今だ涙の残る梁の瞳に、はっきりとした意思の光が灯る。
「勘違いするな。逆らわせる為に言った訳ではない。
俺が欲しているのは、運命に絶望した緋藤梁などではなく、絶対的な力と挑戦的な目を持つ、我が弟…
氷藤梁牙の方だ」
「!」
梁の動きが見る間に固まる。
「お前は相応に在らねばならない…
緋藤の名を捨て、氷藤に染まるからにはな」
「──分かった…」
暫しの静寂の後。
…梁は暗い瞳で、それだけをぽつりと答えた。
否、“それだけ答えるのがやっとだった”。
総てが悲しくて苦しくて。
何もかもに絶望しているのは知っているのに。
ただ──…もう、
どうにもならなくて。
→Bluemoon第4部・完
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