【コメディー】人間サンドバッグ
儂はもうじき死ぬ。
幸せな人生だった、と思う。二八歳で結婚して子供が三人、孫が四人できた。大きな病気を患ってしまったが、八〇歳まで生きられたのだから、文句はない。
死んだ後、儂はどこへ行くのだろうか? 天国だろうか? それとも、輪廻転生――新たな人生を送ることになるのだろうか?
死後の世界に思いを馳せながら――儂は、死んだ。
◇
「お帰りなさい。今回の人生はいかがでしたか?」
ブラックアウトの後に、視界が今度は白に染まる。そこは白で構築された部屋だった。天井は非常に高く、物と呼べるようなものはほとんどない。儂は近未来的なデザインをした椅子に座っていて、隣には白い髪の女が柔和な笑みを浮かべて立っている。
「ここは……天国か?」
儂の発した声は、自分の声ではなかった。若々しい男の声だ。混乱した。儂は声が出せず、代わりに誰かが儂の言いたい言葉を口にしているのではないか。しかし、それは確かに儂が発したのだった。
「儂は一体……?」
「記憶が錯乱しているようですね」
「どういう――」
そのとき――。
電流が流れたかのように、脳に刺激が加わった。
儂は――いや、俺は思い出した。これは俺の人生ではなく、人生ガチャで引いた、見ず知らずの他人の記憶。
人生追体験システム――人生ガチャ。
人々は指定の金額を支払い、ガチャを回す。丸いカプセルはランクごとに色が別れていて、中には人の人生そのすべてをデータ化したチップが入っている。そのチップの情報を読み込んで、専用のマシンから物理回線を通じて体験者へと流し込む。うなじの辺りには、USBの差し込み口のような穴が空いているのだ。
「今、体験したのは確か……R(レア)の記憶だったか……」
「ええ、そうです」女は頷いた。「R――佐藤次郎の人生でございます」
「ランクは確か全部で五段階だったよな?」
「ええ。上から順に、SSR、SR、R、HN、N、となっております」
「で、俺が体験してきたのはR――つまり、真ん中なわけだ」
「ええ」
「個人的には、なかなか幸せな人生だったと思うけれど、これでR?」
「『幸せ』の度合いをランクわけするのは、非常に難しいものです。何を基準として幸せか不幸かを決めるのか。何を持って幸せと定義するのか……」
「なるほど」
確かにその通りだ。
幸せというものはひどく曖昧なものなのだな、と俺は思った。
「ここでは、何を基準にしているんだ?」
「そうですね……」女は少し黙った。
聞いてはいけない質問だったか、と思ったが、女はやがて口を開いた。どう説明しようか考えていたのだろう。
「客観的に――私たち第三者から見て、彼あるいは彼女の人生がどのくらい幸せだったか、それと、記憶の本人が自らの人生をどのくらい幸せに感じられたか。主にこの二つをデータ化して、ランク分けします」
「なるほど」
客観と主観。
その二つを足して、データとして数値を出す。
しかし、個人的には大切なのは主観だと思う。たとえ、傍から見て不幸な人生のように思えても、当の本人が自分が幸せであると感じられれば、それはきっと幸せなのだ。他人がどう思おうと、しょせんは他人で、まったく関係ない。
逆に、周りが羨むような人生を歩んでいても、自分自身が幸せに感じなければ、きっと何の意味もない。
そういうものなのだ。
俺はどうだろう? 今のところ、自分の人生に満足しているだろうか? こんなところに来て、人生ガチャを回して、他人の人生を追体験しているくらいなのだから、満足しきってはいない。特別、不幸だとかは思ってないけれど、かといって、幸福だ、満たされている、とも思えない。どちらかというと、不満だろうか。
女は前方――モニターの下に設置してあるガチャを指差して、
「もう一度、人生ガチャを回されますか? それとも、お帰りになられますか?」
と、尋ねてきた。
ふむ、と俺は考えた。自らのエレクトロ・マネーを表示する。悲しくなるほどに、金欠だった。
「もう一度回したいんだが、金がないからな……」
「でしたら、鈴木様の記憶をガチャ化されますか?」と女に提案された。
「ガチャ化? どういうことだ?」
「人生ガチャはご存じの通り、実際に存在する人間の人生をデータ化し、それを追体験するシステムです。鈴木様の人生をデータ化し、それの追体験許可をいただければ、相応の金額をお支払いさせていただきます」
「でも、俺はまだ31歳で、人生が終わるまでにはまだまだ時間がかかると思うんだが?」
うまくいけば、俺はあと100年くらいは生きられる。1分後に死ぬなんてことは、さすがにないだろう。
「我々が独自開発した人生予知システム〈プレディサイト〉を用いれば、鈴木様の現在までの人生から今後――死ぬまでの人生をすべて導き出すことができるのです」
「そんなシステムがあるのか?」俺は唖然とした。「その、俺が死ぬまでの――俺の人生を見せてもらうことはできないのか?」
女は微笑んだまま、ゆるゆると首を振った。
「それは法律によって固く禁じられています」女は言った。「自身の未来を見てしまったら、本来起こるべき未来とは異なった行動を取ってしまいますでしょう? そうすると、非常にややこしくなるのです。ある種のパラドックスが起きてしまう」
「そうか……うーむ、わかった」
「それで」女は続けた。「どうされますか? 自らの人生をデータとしてお売りになられますか?」
他人に自分の人生を見られる。
それは耐え難い苦痛のような気がした。きっと、俺がこうして悩んでいるところも追体験されるのだ。
「俺の人生をガチャ化するとして……どれくらいの金額がもらえるんだ?」
「それはランク等に応じてなのですが……」
SSR、SR、R、HN、N
俺の人生は……はたして何ランクなのだろうか?
「最低でも○○イエン。今までの最高は○○イエンですね」
「そんなにもらえるのか!?」俺は驚嘆した。
それは、今の仕事を真面目に頑張るのが馬鹿らしくなるほどの金額だったからだ。
「当然です。自らの人生を売るのですから」
「よし、売ろう!」俺はもう迷わなかった。
「かしこまりました」
そう言うと、女は様々な契約事項等が記された用紙を俺に差し出した。意外とアナログだな、と俺は思った。
「こちらのほうにサインをお願いします」
「わかった」
俺がサインを終えると、女は俺のうなじにコードを差し込んだ。半透明のモニターを操作して、俺の現在までの人生をデータ化、保存していく。
それが完了すると、そのデータが入ったチップを、別室にある〈プレディサイト〉なるシステムに読み込ませ、解析。俺の今後の人生、死に至るまでのすべてを再現し、データ化、保存する。
その間、俺はただ天井を見るともなく見ながら待っていた。自分の人生がどのくらいの金になるのか――つまり、何ランクなのか――手に入れた金を何に使おうか……。
女が俺の元に戻ってきた。
「お疲れさまでした、鈴木様。こちらが鈴木様の人生ガチャに対する報酬となります」
女は頑丈そうな、表面がつるつるとした銀色のアタッシェケースを俺に渡した。それの取ってを握って持ち上げると、ずっしりと重い。
「エレクトロ・マネーじゃないんだな」
「こちらのほうが、実感があるでしょう?」女はくすりと微笑んだ。「エレクトロ・マネーの文字表記だけでは味気ないというか、自らの人生を売って得た金に対する実感がないじゃないですか」
「そうかもしれない」俺は言った。
俺は立ち上がり、人生ガチャの施設から出た。入口までお見送りに来てくれた女に、最後に一つ質問をした。
「ああ、そういえば、俺の人生って何ランクだったんだ?」
女は微笑みながら、答えた。
「鈴木様の人生は――」
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