第46話 ソフィア

 天に昇って行く黒い影が見えたのは私だけではなかったようである。多くの人たちが「今のは何だ」と口々に言い合っている。


「ソフィア! しっかりしろ!」


 おっと、ソフィアのことを忘れていたわ。レオナールの必死の声が聞こえ、我に返った。急いでソフィアの元に駆けつけると脈を確認する。

 うん、大丈夫ね。魔力が枯渇して気絶しているだけだわ。


「大丈夫よ、レオ。脈もちゃんとあるし、魔力がなくなって気を失っているだけよ」

「そ、そうなのですね。でもどうしてこんなことに……」

「分からないわ。でも、あの飛んで行った黒い影が何だか気になるのよね」


 レオナールはそっとソフィアを抱きかかえている。何だかんだ言っても、やっぱり気になっていたのね。これはソフィアの前では「レオナール」って呼んだ方が良いかもね。ソフィアにしっとされたら困るしね。


「イザベラ、大丈夫かい?」

「フィル様! この通り大丈夫ですわ」


 私は問題ない、とばかりに両手を広げて見せた。


「ほんとに?」


 信じられないのか、私の体をペタペタと触り調べ始めるフィル王子。するとすごい勢いでみんながやって来た。


「何をされているのですか、フィル王子! そのように女性の体を触るものではありませんよ。同じ女性として、私が責任を持ってイザベラ様の体を調べますので、少し離れていて下さい」

「ユリウスの言う通りです。婚約者でもないのにそのように気安く触れるのは、たとえこの国の王子とあっても許されることではありませんよ」


 お兄様は激おこのようである。こんなに怒っているお兄様は初めてだ。きっとフィル王子が王子でなければぶっ飛ばされていただろう。その辺りの理性が残っているところは、さすが公爵家の跡取り、と言ったところか。


「え? だってイザベラが私のことを愛称呼びで呼んでくれたからてっきり――」


 フィル王子と目があった。

 ……うん、確かにドサクサに紛れて愛称呼びした気がする。あのときはソフィアにしっとして、つい、口走ってしまったが、今となっては何だか恥ずかしい。


「あ、あの、その、つい……も、申し訳ありませんわ!」

「いや、謝らなくても……」


 しょんぼりとした王子の声が聞こえる。やばい、くうぅん、と言う子犬の鳴き声も一緒に聞こえてきそうだ。一体どうすれば……。そうだ、こんなときこそ何事もなかったかのように話をそらさなければ。


「そ、そんなことよりも、大地の精霊の声が聞こえたって、どういうことですの?」

「え? あ、ああ、「イザベラに任せよ、イザベラなら何とかしてくれる」って……」


 何それ。大地の精霊さん、完全に私に丸投げじゃない。確かに何とかなったけど、そのありがたいような、ありがたくないような厚い信頼はどこから出てくるのかしら?


「ソフィア! 気がついたんだね!?」

「……え? レオなの? ウソォ! レオなの!? 何でそんなに大きくなっているの!? 男の子って、いきなりそんなに大きくなるの!?」


 ソフィアの声に私たちは顔を見合わせた。これはただ事ではないな。早急にソフィアから事情を聞かなければならない。

 それぞれがうなずくと、すぐに行動を開始した。


 なお、クリスマスダンスパーティーは中止になった。ユリウスが血の涙を流していたが、致し方なし。ここはおとなしく諦めてもらうしかないだろう。



 レオナールによって医務室に運ばれたソフィアは、一緒についてきた私たちを見てぽかんと口を開けていた。そしてレオナールにしがみついた。

 しがみつかれたレオナールはソフィアの胸が当たっているのか、気まずそうな、それでいてどこかうれしそうな顔をしていた。いやらしい。


「ソフィア、大丈夫だよ。みんないい人ばかりだから、俺たちが平民だからと言って不敬罪で捕まえるようなことはしないよ」


 そうでしょう? とこちらに顔を向けるレオナール。私たちはそろってうなずきを返した。

 それを見て安心したのか、ソフィアの顔がいくらか和らいだものになった。フィル王子が言葉を発するまでは。


「レオナールの言う通りだよ。この国の次期国王として、保証するよ」

「じきこくおう」


 大きな目がまん丸になると、ソフィアは微動だにしなくなった。もしかして、俺なんかまずいこと言ってしまいました? となっているフィル王子を全員が無言で見つめた。


 こうしてソフィアの事情聴取が始まったのであった。なお、フィル王子はすぐに後ろへと追いやられた。


「それじゃ、ソフィアは八歳からの記憶が全くないんだね?」


 優しくレオナールが問いかけると、何かを思い出すように何度も目をつぶり答えた。


「そ、そうみたい……です」


 レオナールにしがみつき震える声を発するソフィアは、レオナールを介してでないとまともに話ができなかった。まどろっこしいが今のソフィアの状態なら仕方がないか。頼れる人がレオナールしかいないのだから。


 八歳と言えば、確かソフィアが豹変した年じゃなかったかしら? 私がレオナールに目を向けると、コクンとうなずいた。


「どうやらこの八年間に問題ばかり起こしていたのは、別のナニカだったみたいですわね」

「別のナニカ。あの黒い影のことだね? そのことについては何か知っていることはないかな?」


 優しくフィル王子が聞いた。フルフルと首を左右に振るソフィア。完全におびえられている様子である。かわいそうに。

 哀れみの目をフィル王子に向けると、しょんぼりとした様子で私の後ろに隠れた。


「どうやら何も知らないみたいですわね。ということは、やはりソフィアさんが別人のようになってしまったのは、アレのせいみたいですわね」


 一体アレは何だったのだろうか。どちらかと言えば、ソフィアよりも私に取り憑くべきだったのではないだろうか。

 

「別人って……レオ、私、何をやったの?」

「え? いやあ、それは……」


 ものすごく言いにくそうにするレオナール。でもこれは、いつか必ずソフィアの耳に入ってしまうことだ。黙っておくわけにはいかない。

 レオナールに代わって私たちが、代わる代わるソフィアをなだめながら、これまで起こったことの全てを話した。


 ソフィアはあまりの衝撃の事実に、三日間寝込んだ。

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