激動の一日Ⅴ
おもむろに俺はどこかに足を運んでいた。
どこかについた頃には冷たい雨が俺を襲い、その姿を濡らし尽くす。
そこは、昔俺が待つ日通い詰めていた公園だった。
昔、ずっとここにいたこともあってか、無意識化で行こうとする場所は実家や一人暮らしの家よりもこの場所だった。
壁には何かを打ち付けたような跡がいくつも残るようにして黒ずみになり、遊具の一つはその塗装が剥がれた跡も残っている。
俺が過去につけたもので、どれも長い時間向き合ってきたものだ。
そんな公園に一つ残っているベンチに俺は座る。
全身雨に濡れた今となっては、ベンチに座ってもそう大差なかった。
どちらかといえば、この冷たさが今の俺には心地よく感じているからかもしれない。
そうして雨に打たれて、目を閉じているといつかの光景が思い浮かんでくる。
全身が水に囲まれて、周りの音が一切聞こえてこなくて、一度伸びれば水をかき分けて進んでいく。
全身がまるで初めから水の中で生きていたかのように動く。
それは俺の原初の思い出だった。
――――――
初めてプールに入ったのは三歳か四歳の頃、幼稚園の小さな息を入れて膨らませるタイプのプールだったらしい。
外から際限なく水が入ってそれに一喜一憂し、いつしか俺はそれを求めるかのようにスイミングスクールに足を運んだ。
きっと俺が一番初めに本当の意味で興味を持ったものは水泳だった。
初めの方はスイミングスクールは年齢に分かれて水遊びをするような感覚で泳ぎを教えてもらっていただけだった。
もちろん水の中で目を開けるとか、バタ足とか、そういう過程を踏んだ上で。
そして一通り泳げるようになると、年齢関係なく泳ぎの形やスピードで級が付けられるようになっていく。
平泳ぎの足がちゃんとカエル足になっているか、とかクロールで頭を上げすぎていないかとか、そんなことだ。
ただそこの過程で見せたのは、俺の吸収速度だった。
俺自身、その頃は本能で感じ取っていたのだろう。
どう意識して練習すればいいか、そして何がいけないのかの問題意識を持つことができる、そういったものだ。
周りからは奇異の目で見られることもあったらしい。
一日中同じ失敗を繰り返し、その失敗が二度と現れることがないようにする。
そんなことを続けるなんて、何が楽しいんだろう。
そういう目線だ。
まだ幼い段階で既に合理的なものを求めていたのだから、奇異に映らない方がおかしいというものだ。
しかし、俺にとってそれは至極単純な思考で行っていたに過ぎない。
泳ぐのが楽しい。
水の中を進むのが面白い。
より早く泳げばもっと楽しくなる。
そして事実そうして速くなっていった俺の泳ぎは、その年齢の中で一番のタイムを常に出し続けていた。
ただし、水に入っていられる時間は決まって夕方から二時間。
多くて三時間しかなかった。
それ以外の時間や、休みの日にその熱意を発散しようとするならば、それは水泳ではない何かをすることだった。
そうして外で遊び出し、ボールを蹴ることの楽しさを知った俺は、幼稚園の頃から水泳に興味を持ちスイミングスクールで習って、サッカーに興味を持ちボールと向き合って自己研鑽を続けていた。
その頃から俺の怪我は絶えなくなり、身のこなしを習得したのは言わずもがなだろう。
そしてそんな生活もそう長くは続かなかった。
親の都合で引越しすることになり、同じ東京内でも都心に近い地区に移ることになった。
その影響で俺がこれまでボールを蹴っていた場所とはおさらばになったものの、俺を惜しんでくれる仲の人はもういないこともあってか、当たり障りもなく家が変わった。
俺にとってしてみれば場所は変わったものの、ボールを蹴って水に入れるという環境があることが全てだから何も問題はなかった。
周囲の人がいなくなっても特に何かを感じることもなかったのだから。
そうして環境は変わったが、それ以外に変化はなかった俺は、特に問題もなくその土地で小学校生活を送っていた。
朝起きて学校に行き、水泳のある日は帰った後すぐに向かってなるべく長い時間水の中に入っていた。
水泳が終われば有り余った体力でボールを蹴りにいったし、水泳がない日には学校から帰った後、すぐにボールを蹴りにいった。
その頃から家にはあまり居ることがなくなっていた。
そんな日々に変化が訪れるようになったのは俺が小学生二年生の終わり頃だった。
この頃、スイミングスクールでの級がこの歳でなれる一番上の級にまで達し、その初めの月の記録会にて七歳での全ての種目の記録を塗り替える記録を出していた。
同じレーンで泳ぐ人たちも小六がほとんどで、その中でも遜色のないスピードを出せるほどであったから、それもまた必然ではあった。
六歳以下の記録は実質公式記録として決まっていなかったから、七歳になってようやく目に見える形として成果が見えるようになったと言えるだろう。
そこで一番驚きを見せたのは、母親だった。
両親は共に働いていて、俺をスイミングスクールに通わせてくれるようになったのも、それが原因でもあった。
それ以上に両親にとって俺は不気味な子としか認識していなかったのだから、俺に興味があるわけもなかった。
しかし、そんな子供がいきなり賞状やメダルという形で成果を残してきたのだ。
それも普通とは逸脱するほど圧倒的に。
その時初めて、母親は俺という息子に希望を見出したのだろう。
これまで自由にさせていた子供に過度な干渉をするほどに熱い希望を。
それもまた仕方のないことではある。
不気味だと思っていた子供が実は天才なのかもしれない。
自分の子供は他の何より優れているのかもしれない。
そう思ってしまったことに何の悪気もないだろうし、いかに遅かろうとこれが一種の愛であることには変わりがなかった。
しかしそれが俺の生活を一変させた。
初めに変わったのは水泳以外の時間が親によって管理されたことだ。
親はその事実を知りすぐに、その浅い知識を使って俺に筋トレを始めさせた。
その時に母親は、適当に漁ったサイトに載った筋トレを、数やるだけ良いだろう精神で何回も俺に強制した。
それに俺は特に何か感情を持ってはいなかった。
母親はこれをすればもっと泳ぎを速くすることができる、といったから。
それが初めて自分だけでなく、他人の手によって成長を助長された瞬間であった。
その時まことしやかに抱いていたのは、
――ただボールも蹴りたいな、ということ。
それだけだった。
それが一週間、一ヶ月、半年と続いた時には水泳に必要のない筋肉までもがつき始め、全体的にコンディションが落ち始めた。
始めは記録が少しずつ伸びて筋トレを強制した母親もその成果が現れることに喜びを見せていた。
しかし次第に伸び悩むと、次に指摘するのは俺の努力不足だ。
言う通りにやればどんどん伸びるはずだ。
お前の努力が足りていないのだと、そう言うようになっていった。
そして俺はその年の夏。ジュニアオリンピックのフリー五十メートル十歳以下の代表に選ばれた。
他の種目に比べ六年生とも引けを取らないクロールでは、年上の十歳相手にも勝てる可能性がある。
そう判断してのことだ。
ただ、俺はその頃には既に体の作りは筋肉質になり、水の中でのしなやかさは徐々に失われていったことに気がついていた。
いくら以前のように体を動かしても速くならない。
今の体にあった泳ぎ方に変えても、このままじゃいつか記録が止まる。
自分のやり方の方がより速くなれたのに。
そう思うようになっていった。
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