百三十三話 老害は去れ!といわれましたが歴戦元ギルド長(75)は大切なもののために戦います・二

 「ひっ」

 

 入ってきたヴァルアスをみてキャスは怯んだが、ヴァルアスの方はというとその登場の派手さの割りには飄々としていた。

 

 まるで散歩でもしているような歩様でがれきを避けながら入ってきていたし、その表情も普通で眉を吊り上げた怒相という訳でもない。

 

 だが普通の、というよりは無表情のヴァルアスの背から立ち上るものを見たような気がして、キャスは恐れを抱いたのだった。

 

 「いるんだよな?」

 「だったらなんだい?」

 

 しかし重ねて投げられたヴァルアスからの質問には、キャスは誇りを総動員して質問で返す。

 

 「そうか」

 

 挑発じみた返答にもやはり無表情から動かなかったヴァルアスは、ごく自然な動作でロングソードの切っ先をキャスへと向けるように構えた。

 

 力みのないその動きは、実際に剣を振るって何十年も過ごしてきたからこそのものであり、改めてキャスの背筋に寒気がはしる。

 

 キャス・ピンスは盗賊としての腕前だけでなく、戦士としても一流の腕を持っていた。

 

 刃を交えた時点で仕事は失敗している盗賊としては異質のその戦闘能力こそが、若手盗賊からの支持の一因であり、キャスの自信の源泉でもある。

 

 つまり対峙することでヴァルアスの尋常ならざる実力を感じ取ったからといって、キャスがここで引く選択肢などありえなかった。それは自己否定に他ならないのだから……。

 

 「ちっ!」

 「……?」

 

 舌打ちしながら腰の後ろから武器を取り出したキャスを見てヴァルアスは無言のまま小さく疑問の息を吐いた。

 

 こういう場合、盗賊であるならとにかく全力で逃げに徹する。

 

 それこそ前盗賊ギルド長であるドックルファはあらゆる手段を尽くして逃げる男であり、それはかつてヴァルアスをも手こずらせた程だった。

 

 盗賊としては異質な戦闘意欲を感じ取ったヴァルアスは柄を握る手に力がこもるが、キャスの方も必死だ。

 

 キャスの武器は二本のショートソードであり、いわゆる二刀流だったが、左手に持つ一本が特殊だった。

 

 背に深い溝が造形されたそれは肉厚で頑丈になっており、これに絡めとられると鋼の剣でも一瞬でへし折られてしまう。

 

 ただでさえ達人であっても武器を破壊されては満足には戦えない上に、キャスは右手のショートソード一本であっても十分以上に達人といえる腕前をしていた。

 

 普通は真っ当な正面からの戦いが苦手な者が選ぶような特殊な武器と戦法を選び、そしてそれを鍛え上げた異色の強者、それがキャス・ピンスという女盗賊なのだった。

 

 「ふんっ!」

 

 そしてキャスの側の心の準備を待つはずもなく、ヴァルアスの気合いの声と斬撃が襲い掛かる。

 

 キャスにとっては声が聞こえたと思ったときにはもう目前に大柄な老英雄の姿があり、その手にした剣は振り下ろされているという状況だった。

 

 音すら超えていると思えるほどの速さの踏み込み。それは老いてはいても恵まれた肉体に、練り込まれた魔力、そして熟練の身体操法という全てが噛み合ってなされる絶技。

 

 だがキャスがここに新盗賊ギルド長として立っているのは、飾りでも間違いでもなかった。

 

 ギン!

 「くあぁぁ……」

 

 鈍い金属音をたてて、キャスは左手の特殊ショートソード、その背の溝部分で見事にヴァルアスの斬撃を受け止める。

 

 今にも膝が床に付きそうなほど押し込まれ、体勢が崩れかかってはいるものの、刃はその身体に届いていなかった。

 

 「受けたよぉ!」

 

 そして頬を笑みの形に歪めたキャスが左腕の肘を内側にねじり込みつつ全身を回す。

 

 体中の力を左手のショートソードへと送り込むようなその動作こそが、小柄なキャスが体格で上回る相手の獲物を数々へし折ってきた必殺の技だった。

 

 「無駄だ」

 

 そう口にしたヴァルアスの姿勢は微塵も揺るがず、そして手にしたロングソードの剣身にはひびの一つも入ってはいない。

 

 「古代樹スクレロス。“折れぬ硬さ”という意味を持ちます」

 

 そして剣が微振動し、どこか超然とした女の声がキャスには理解できない説明をした。

 

 その声が誰のもので、どこからしたのかを驚くよりも、技が全く通じなかったという衝撃でキャスは身がすくんでいた。

 

 必殺、とはいってもこの技を仕掛けて仕留められなかった相手がいなかったという訳ではない。

 

 剣が折れても予備の武器や、無手での戦闘で対抗してくる者、曲芸じみた身のこなしでいなしてくる者など、ごく少なくはあってもいたというのが事実。

 

 しかし、身じろぎもさせられなかったことなど、この時が、ヴァルアス・オレアンドルが初めてのことだった。

 

 体を回す動作を完遂できずに体勢を崩していたキャスは、自分から絡めたショートソードを外して、後ろへ一歩二歩と距離をとる。

 

 「……」

 

 そんな一連の動きを、ヴァルアスは黙したままじっと見ていた。

 

 追撃を仕掛けるでもなく、それを余裕で見送る態度もまたキャスにとっては腹立たしかったが、今は都合よくもある。

 

 己の有利を確信している相手ほど、からめ手に嵌めやすいからだった。

 

 ダンッ

 

 急な破裂音は、キャスが下がった先にある柱を手にしたショートソードの柄頭で叩いた音。

 

 一見すると、うまくいかない腹立たしさを物にぶつける幼い行動だが、これこそがキャスにとっての逆転の一手だった。

 

 ヒュゥ

 

 キャスが派手に“仕掛け”を叩いた音に比して非常に小さい動作音で、ヴァルアスの頭上にある天井が開き、そこから矢が勢いよく打ち出される。

 

 強力な毒が矢じりに塗り込まれたその罠の真下へ釘付けにする、それはキャスが戦闘者としての必殺すらエサにして仕掛ける、卑劣な盗賊としての必殺だった。

 

 「リーフ」

 「おまかせを」

 

 ヴァルアスが手にした魔剣が淡く発光し、次の瞬間にはその周囲に劇的な変化が起こる。

 

 「なぁっ……!?」

 

 建物の木材――柱や梁――から太く力強い枝葉が伸び、毒矢をヴァルアスの頭頂部へ到達する直前で絡めとっていた。

 

 入り口が崩壊しているとはいえ瀟洒な高級娼館の内部にあって、そこだけうっそうとした森のようになった場所から、無傷のままヴァルアスは歩みを始める。

 

 「その驚き様からすると……、これで仕掛けは終わりってところか?」

 「っ!」

 

 その言葉に動揺し、そして慌てて表情を取り繕ったキャスは、この期に及んで最大限の戦慄を味わっていた。

 

 自分の技を受けながらも追撃もせずに様子をうかがっているのは、油断しているからだと思っていた。強者の余裕である、と。

 

 しかし違った。

 

 冒険者ヴァルアスという老英雄は、盗賊というものをわかっているし、自身が強いからといっておごりもない。

 

 「では、いくぞ」

 

 足を止めて踏ん張り、両手で握った柄を頭の横まで引き、切っ先をまっすぐにキャスへと向けたヴァルアスの全身からはぎちりと筋肉が軋みをあげ、右側頭部からは滲みだすように立派な角が姿を現した。

 

 「ば、ばけもの……」

 

 自信があった己の技も機知も通じず、人族とは思えぬ姿までさらした目の前の相手は、キャスからはもはや悪夢の怪物にしかみえない。

 

 そしてその怪物の角から、頭部、つまりは白髪へと目が移ったところで、数日前には高揚感とともに抱いていた気持ちがキャスの中で再燃した。

 

 「ろ、老害がぁ! とっとと失せろよぉ、なんでわたしの邪魔するんだよぉ」

 

 目に涙まで浮かべ始めたキャスにはもう戦意などなかったが、逆にここまで淡々とした様子と表情を崩さなかったヴァルアスの怒気が爆発する。

 

 「大事な娘に手ぇだされて、ジジイもガキも関係ねぇだろうがっ!」

 

 次の瞬間には、古代樹の剣身の腹を顔面に叩き込まれたキャスの視界は暗転し、そのままなす術もなく意識を失った。

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