八話 英雄の残り火・一
夕暮れの頃になって、ヴァルアスは小さな炭鉱町へと辿り着いていた。
「ここで宿を探すか」
老いても健脚を誇るヴァルアスだったが、急ぎもせずにのんびり歩いたこともあってさほども距離は進んでいない。
しかし遠方ではないが、あまり詳しい場所でもなかった。随分昔に冒険者としての依頼を受けてきた事があるだけだ。
炭鉱町ゴロ。火属性の魔力を多く宿した魔石である石炭の採掘を中心として発展した町。
「む……?」
長年の冒険者としての勘が、寝床よりも先に不穏な空気が町に漂うことに気付く。
「明らかにひりついていやがるなぁ」
通りを歩く人々の表情には余裕がなく、皆一様に歩調が忙しない。
「あんた旅人か? ちっ、こんな時に……年寄りは危ねぇからさっさと通り抜けろよ」
「この町は久しぶりだが、随分と歓迎が暖かくなったもんだな」
急に話しかけてきた体格のいい若い男は、ヴァルアスの返した嫌味も無視して歩き去ってしまう。
「何か起こっとることは間違いないな」
このゴロはそれなりの規模の町ではあるものの冒険者ギルドの支部はない。そして一番近場のギルドはスルタだったとヴァルアスは記憶している。
何か問題があるとして、つい先日までスルタ冒険者ギルドのギルド長だったヴァルアスが知らないということは、冒険者に解決できるような種類の問題ではないか、単純に問題が発生したばかりであるかのどちらかだ。
「……」
しかしヴァルアスは“元”ギルド長。頼まれてもいないのにスルタまで引き返して、冒険者を送り込むような立場ではもうなかった。
「送り込む……? なんだ偉そうに……、ワシの心もいつの間にか錆が付いておったんかもしれんな」
自然に浮かんだ“人を使う”発想に、誰にともなく自嘲の言葉を口にする。
若い頃の、自他共に認める英雄であったヴァルアスなら、何よりもまず自分が剣を手に渦中へ飛び込んだはずだった。
「ふ……」
その時、腰のロングソードが手に触れて、ヴァルアスの口から小さな笑いが漏れる。
腰のロングソード、だ。
ギルド長室に置いてあった愛用の巨大な両刃剣は、今のヴァルアスにとっては重すぎた。
心身共に老いた自分にはこれくらいがちょうどいい、これはそんな思考で持ってきた数打ち品のロングソードだった。
「(それに頼まれてはいないどころか追い払われたばかりだしな)」
そんなことも考えつつ、とはいえ言われた通りに町を通り過ぎて出ていくほど素直でもないヴァルアスは、ちょうど寝床の絵柄の看板を見つけて足を止める。
大都市の冒険者ギルドを率いてきたヴァルアスは、率直にいって金持ちだ。大半を置いてきたとはいえ持ち出した路銀はそれなりの金額だし、背嚢には売ればひと財産になるような貴重品も入っている。
そうした理由で、特に他の宿を探すでも相場を確認するでもなく、最初に見つけたこの宿へとヴァルアスはためらいもなく入っていく。
ガチャリ
「――っ!?」
粗雑な炭鉱夫が多い場所がらなのか、相当に頑丈そうなしっかりした造りの扉を開けて中に入ったヴァルアスの目には想像とは違う光景が映り込んでいた。
「んん? お前さんもあいつらに追いやられて……、と、よく見たら知らん顔じゃのぉ。もしかして旅人さんかい?」
「あ、ああ……。北へ向かう途中でな」
「そうかい、そうかい」
宿の一階は広々とした食堂になっており、酒場でもあるようだった。それは珍しくもない、よくある宿酒場の構造だ。
しかし今そこは茶を飲む老人たちの寄り合い所となっていた。
かなりの人数――おそらくはこの町のほぼ全て――の老人たちは、全員がもれなく浮かない表情を浮かべていた。
ヴァルアスへと声を掛けた無精ひげの目立つ男も、その愛想笑いは力無い。
「一晩過ごしたらすぐに出発するのがええ」
「魔獣でも出たのか?」
ヴァルアスが聞くと、男は一瞬だけ腰のロングソードへと視線を向けてから、すぐに何事もなかったように口を開く。
「まあそんなところじゃ。危ないから炭鉱には近づくなよ」
老人でも子供でも、旅をするのであれば武装くらいはする。まして今ヴァルアスの腰にあるのは見るからに平凡な数打ち品だ。
頼りない、と思われたのだろう。
「…………」
救けを求められた訳ではない。
目の前で誰かが傷ついた訳でもない。
まして、この町に縁がある訳ですらなかった。
「話だけでも聞かせろ。ワシはヴァルアス、歳はとっちゃあいるが冒険者だ」
しかし何より、己の“力”を軽んじられたことが、老英雄の心中で消えかかっていた炎を再び燃え上がらせようとしていた。
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