第三十話 傷跡は隠さない

デスクの上で肘をついて両手を握り、おでこにあて目を瞑る。あの日、詩子にコテンパンにされてから一週間が経とうとしていた。詩子はあの日から学校に登校していないようで、南も連絡しても返事がないと言って心配していた。学校側には演奏活動に集中するため休学すると連絡があったらしい。が、無論そんな事は嘘で、詩子本人ふくめ関係者と連絡が取れない事は普通ではないだろう…


あの日の詩子の言葉が頭から離れないでいる。あの言葉の真意はなんなのか何度考えて答えが見えてこない、俺はずっと頭を抱えていた。


「妃ちゃん、彼は、病葉君は大丈夫かな?」


「最近ずっとああですね…」


「………」


研究所にはパソコンの冷却ファンの起動音だけが鳴り続ける。俺は詩子がいそうな場所を思いつく限り調べていた。彼女はバイオリニストだ、バイオリンを弾ける場所が必要なはずで、考えられるのはカラオケボックスか音楽スタジオか、尼宮市で防音設備がある所は、ダメだそんなの個人宅ならいくらでもあるじゃないか…


再び打ちひしがれていると、そっと隣にコーヒーカップが置かれた。


「少しは休んだら?」

妃さんがコーヒーを用意してくれた。


「ありがとうございます。でも彼女が心配で、あの時の、あの時の彼女は今にも爆発すんぜんって感じで…」


「その、俺ならもっと上手くやれるんです…!と、思うんです」


「はぁ…」

妃さんは大きなため息をついて、自分のデスクから椅子を転がすと俺の隣に座った。


「手を出して」


「え?あ、はい」

俺は右手を出すと、それを妃さんは掴もうと手を伸ばしてきた。俺は思わず手を引っ込めた。


「き、妃さんなにを?」


「なにをじゃないわよ、あの日あなたが見たものを私に見せなさい」


「ダメです!あんな恐ろしいもの読み取らせるわけにはいきません!」


「私の心配はしなくて良いから!早く見せなさい!」

妃さんは俺の手に触れようとする。


「そういうわけには…!」

俺は触れらせまいと抵抗する。


「・・・」


「・・・」 

お互い見つめ合い無言の時間が流れる。すると妃さんは落ち着いた口調で語りかけてきた。


「ねえ聞いて、私はあなたのただのオペレーター?そんなの冗談じゃないわよ!そんな仕事、私が作ったAIでもできるわ」


「亮…あなた一人で背負わないで、自分だけが傷つけば良いなんて考えないで」妃さんの目はいつになく真剣で、真っすぐだった。


「もっと私を信じなさい!」


妃さんの強い最後の一言、人を動かすには十分な言葉であったが俺は違った。そこまでの言葉をかけて貰って尚、の力を借りて良いのか迷った。これは妃さんが特殊能力者だからとかではなく、俺の問題である。転移世界で新しい居場所にいるにも関わらず俺は今だ昔の自分のままだ。ここまで異常な世界に居ながら今だ人の手を借りるという事に抵抗を感じる心に自分自身が一番イライラした。


「人に優しいだけではダメなのよ?」


そう言われるが全力で心の中で否定する。違うんだ、違うんだ妃さん。俺は優しい人間なんかじゃない!


「俺は…こーいう時どうすれば正解なのかいつも迷うんです…」


俺の返答を聞いて妃さんは深く呼吸し、答えた。


「自分を隠すため、人に優しくするというふたをする」


「え?」


「他者を受け入れれば、きっと傷つく事もあるだろうけど必ず新しい世界が見えてくる。だから他者を受け入れる事が自分の知らない自分を見つける事の出来る唯一の手段なんだよ」


「昔私が先生から教えられた言葉よ」


「そうですか…」


「学生の頃に聞いた言葉だったけど、転移してからこの言葉に私は救われた。そう今こうしてここに居るのもそのお陰だと思うの。他人の記憶を知る能力、今思えば私は望んでいたのかもね…」


「だから私は大丈夫」

妃さんは俺を見つめ答えた。


「俺は…」


「亮は自分に厳しすぎるのよ」


「・・・」


「あ、あの本当にいいんですか…?」


「私は大丈夫だから。それともなに?私に見られて困るものでもあるのかしら?」

妃さんは冗談交じりに笑みをこぼした。


「ありませんよ、分かりました」


「力を貸してください」


「最初から素直になれば良いのよ」

やれやれといった感じで俺に向き合う妃さんを見て、何故か余裕のある素振りを見せたくなった。


「あ、でも念のためベッドの下は見ないでくださいね」

笑いながら俺は右手を差し出した。


「それはどうかしら?」


妃さんは一瞬の笑みを見せながら俺の手をしっかりと握ると、真剣な顔つきになり髪の毛が黒色からピンクへとグラデーションしながら変化し始めた。それはまるで春桜の開花のように美しく、と同時に自身の心の扉が少しだけ開きそのすきまから新たな景色を見はじめているようだった。


妃さんは目を瞑り集中していたが、段々と表情が強張ってゆく。俺は妃さんの肩に手を当てて「妃さん無理しないで!」と声をかける、しかし妃さんが握る手の力は緩められる事はなかった。


表情はとても険しい顔になり、時折苦しみの声を呟き呼吸が早まった。苦痛に歪む妃さんの表情を見ていると我慢できなくなり、俺は無理やり手を振りほどいた。目を開けた妃さんは両腕で自分の体を抱きしめ震える自分をおさえ込むようにかかえた。すると、植木さんが駆け寄り背中をさすりながら「妃ちゃん大丈夫かい?落ち着いて」と、とても心配そうに声をかける。


「だ、大丈夫です。先生…」


「き、妃さん大丈夫ですか?」

俺は戸惑いながら声をかけた。


「はぁ…、はぁ、あなたよくあんなのに耐えられるわね…」


「今でも、ドキドキして冷や汗が止まらないわ」


「すみません…」


「亮のせいじゃないわ、大丈夫よ。これで私も手伝えるわ」

額に汗をかきながら、笑みを交えて前向きな発言をする。そんな妃さんを見て俺はカッコいいと思ってしまった。


「ありがとうございます」


俺は妃さんに水の入ったコップを渡して落ち着いてもらった。あの日みた、俺の過去を抽象的に表現された幻覚。そして詩子のイメージのような体が燃やされる苦痛、危険に慣れていない妃さんからするととてつもない体験だっただろう…


「まさか、あんなに無邪気にゲームをしていた子が…同じ子とは思えないわね」


「ええ…詩子はこの先、どうするでしょうか?」


「そうね…彼女の言葉には何か憎しみのような感情を、私は感じたわ」


「憎しみですか?」


「ええ、あなたは彼女に敵と言われたから、あなた自身に敵意が向けられたと思ってるかも知れないけど、私はそうは思わないわ」


「どういう事です?」


「彼女はもっと大きなものを見ている感じがする、それも憎しみの目でね」


「その憎しみを誰かが解放させた」


「あの口ぶりなら、そう考えるわよね」


「大きなものですか…」


「彼女は転校してくる前は海外にいたのよね?」


「たしかそうだったと思います」


「海外で暮らしていた時の事を調べてみたらどう?そうすれば目的がわかるかも」


「そうですね!目的が分かれば今後の行動が推測できるかもしれません!」

妃さんのアドバイスを受けて俺は、海外の音楽関係情報をメインに調べはじめパソコン画面に集中した。


「上手くいったみたいだね。妃ちゃんが自分からあんな風に能力を使うなんて思わなかったよ」


「私も、大人になったんですかね」


「それは良かった。これで私も天国のご両親に少しは顔向けできるわけだ」


「先生、ありがとうございます」


それから数日が経過し、川島詩子は動きだした。尼宮市の音楽ホールで元々クラシックコンサートが予定されていたが、急遽詩子のソロ演奏がプログラムに加えられたのだ。演奏する曲はパガニーニ作曲『24のカプリース 24番』であった。



次回 【第三十一話 幸せの呼び鈴】

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