第10話 結果発表日

 コンテストへの投稿を終えてからしばらくの間は、藍島はぱたりと部室には姿を現さなくなった。

 流れで知ることになった藍島のSNSのアカウントのプロフィールページを見てみると、推しが出演している配信ドラマを追う楽しげな長文投稿がものすごい勢いで並んでいるので、今はごく普通の消費者としての推し活に忙しいのだろう。

 本来は部員ではないのだからそれが当然なのだが、俺は藍島が理由もないのに来るのも邪魔で嫌だが、理由がなくなったからとまったく来なくなるのも薄情な女だと批判したくなった。


(まあ藍島が来ないなら来ないで、俺は自分の小説をゆっくり書けるんだから別に良いんだけどな)


 季節は移り変わり、暑さに溶けるような夏休みが過ぎ去って、残暑が厳しい九月が始まって終わる。

 そんな月末の金曜の、やっと気持ちの良い秋風が窓から入ってくるようになってきた部室で、俺はスマホにつなげたワイヤレスキーボードで投稿サイトで連載している学園異能物の小説の続きを書いていた。


 特殊機関の影の戦闘員として異能者を育てる架空の日本の学校を舞台に、主人公の少年が多種多様な美少女たちに囲まれつつストイックに生きようとするこの長編連載Web小説は、少数だがしっかりとした固定ファンがついている俺にとって非常に重要な作品だ。


「古賀、最新話書けたから読んでもらっても良いか? 一話くらいならすぐ終わるだろうし」


 最後の一行の見直しを終えた俺は、一番窓際の席で数学の教科書とノートを広げている古賀に話しかけた。

 日付と出席番号に基づいた数学担当の老教師の指名の法則によれば、古賀は明日の数Bの授業の三番目に当てられる予定らしい。

 そういう理由もあって古賀は、Wi-Fiのない環境でスマホ使用を控えてじっくり予習をしようと、部室で勉強しているのだ。

 だから水を差すのも悪いのかもしれないが、そこに便利な校正係がいるんだから仕方がない。


「わかった。このURLだな」


 俺が下書きの共有リンクを送ると、危機回避のために予習しているだけでそう勉強熱心というわけでもない古賀は、何のためらいもなくすぐに開いてさっと読んだ。

 最初は粛々と義理と友情で読み始めた様子の古賀であったが、読み進めるとすぐにわりと気持ち悪い感じににやついて、ところどころで声を押し殺して笑っていた。


(今回は女子キャラ二人の流血ありのバトル回だから、古賀には刺さるに決まってるんだよな)


 楽しく読んでもらえていることに作者として嬉しくなりつつ、やはり俺の親友はイケメンでもこういうところがキモオタなのだと、そのデスゲームの主催者なのかドMの参加者なのかわからない笑い声に安心する。

 やがて普段よりもじっくりと丹念に読み終えた古賀は、スタイラスペンを取り出し何枚かのスクショに赤字を書き込んで送り返した。


「誤字脱字は、こんなところだ」


「うわ、結構大事な台詞にもあるな。マジでありがとう」


 古賀はまず、俺にいくつかの修正点を伝えた。

 にやにやしていても古賀の指摘は的確で、俺はその欲望と共存する冷静さに感謝して尊敬する。

 それから古賀は間髪を入れずに、感想を話しだした。


「内容はケレン味のあるヒロインのピンチで、夜の空きテナントビルっていうシチュエーション含めてめちゃめちゃ良かった。公式ピックアップにも選ばれるし、図書カードももらうし、最近のkakuzono先生は絶好調じゃないか?」


 kakuzonoというのは、俺のペンネームである。

 古賀は相当楽しかったらしく、熱っぽく早口でまくしたてていた。

 基本的に古賀は俺に甘い読者なのだが、性癖をくすぐられた今日は大蔵餅のこし餡よりも甘い評価で、俺は思わず苦笑してしまった。


「公式ピックアップは古賀がレビューを書いてくれたおかげなわけだし、そんなに褒められると照れるな……。でも今回の更新は気に入ってもらえると思ってた」


 古賀の言う通り、最近の俺の小説投稿サイトでの活動は調子が良かった。

 ランキングとは別に見どころのある作品を公式運営がピックアップする企画では、古賀が俺の作品に書いてくれたレビューが選ばれ、公式SNSアカウントのリポストキャンペーンでは五百円分の図書カードが抽選で当たった。


 書籍化やコンテストの受賞に比べれば些細なことであるが、俺はそれらの出来事によって一つ上の段階に行けた気がして、以前よりも自信を持てるようになっていた。

 その俺の自己肯定感を裏付けるように、古賀はさらに俺の書いた小説の最新話を称賛する。


「ああ、健気な王女ヒロインをバトルで嬲る敵キャラが、Sっ気の強い最強系メスガキっていうのが最高だ。欲を言うと主人公が助けに来るのが早すぎてもったいなく感じられるから、一話分じっくり使ってリョナ描写を重ねてほしかった」


 メスガキに嬲られたそうな眼差しで語る古賀はさらなる高みを求める読者であるので、最大級に褒めつつも段々とその言葉は要望に変わる。

 古賀は優秀でありがたい読者だが、リョナが絡むとちょっと面倒くさいやつになることもある。

 だが古賀のこうした反応に慣れている俺は、特に困ることもなく自分の考えを述べた。


「今回の敵は良いキャラだから、俺ももっと書きたい気持ちがあった。だがあんまりヒロインが負傷しすぎると絶対守るって誓っといて全然間に合わない主人公が格好悪いし、さっさととどめを刺そうとしない敵もしょぼく見える気がしたんだよな」


 リョナ描写とは結局エロ描写と同じ効果をもたらすものであり、適切な場所とタイミングで適切な内容を書かなければ意味がない。

 エログロジャンルに特化したサイトでとことん好きなように描くのも古賀のような濃い読者に好かれる一つの作風であるが、節度をわきまえて品を保つのもまた全年齢向けサイトで活動する場合のメジャーな選択肢であり、俺は後者を目指している。


 古賀もこの視点を持っていないわけではないので、俺の意見を聞くと腕を組んで考え込んだ。


「メスガキならいっそわからせ展開にしても良いのかもしれないが、確かにこのキャラは強敵としての格を守ってほしいところもある……。いやでもだからこそ圧倒的な攻撃力を使ったリョナを……」


 半ば折れて俺に賛同しつつも、古賀はまだ趣味の偏った読者として粘ろうとする。


 こうして俺と古賀がメスガキとリョナについて熱く議論を交わしていると、突然部室の扉が開いた。

 ちょうど危うい言葉を使っていたところだったので、誰が校内の風紀を取り締まりに来たんだろうかと一瞬身構えてしまう。

 メスガキという蔑称としても受け止められてしまうネットスラングを、属性を指し示す言葉のつもりだったけれども安易に使ってしまったことをまず謝るべきだろうと反省したところで、俺は部室を訪ねてきた人物が誰であるかに気づいた。


「与村、と古賀くん」


 夏服のセーラー服を颯爽と着こなして入口に立ち、狭い部室に朗々と響き渡る声で呼びかけてくるのは、直前の会話はまったく聞いてなかった様子の藍島である。

 藍島は清涼飲料水のCMみたいに眩しい笑顔と大声で、まだ何の挨拶も返せていない俺に本題を告げた。


「私、ワケもなく悪い男の小説大賞、受賞したよ」


 上機嫌でハイテンションな様子の藍島は突然の受賞報告を済ませると、スマホを片手にずんずんと部室に入ってくる。

 その言葉の意味を俺はすぐには飲み込めなかったが、徐々に状況を理解してみると、驚きよりも不安が的中したという気持ちの方が湧き上がる。


(ああ、やっぱり。初めて書いた小説でこんなに成功するとか、藍島は俺よりも才能があったんだ)


 先程までは身体中に満たされていた自信がぼろぼろと崩れこぼれていくのを、俺は藍島の嬉しそうな顔を見つめながらはっきりと感じた。

 Web小説の書き手の一人として何度もコンテストに参加してきたが、俺はどんな小さな賞だって一度も受賞したことがない。

 それなのに藍島はたった一度の挑戦で、コンテストの受賞者という肩書を得てしまったのだ。


 俺が上手く取り繕っているからなのか、それとも藍島が鈍感だからなのか、藍島はまったく俺の劣等感に配慮することなく、すぐ隣に座った。

 どれくらい藍島と俺の距離が近いのかと言うと、胸が甘酸っぱくなるような制汗剤の匂いがはっきりとわかるくらいである。

 俺がかなり困惑していることも知らず、藍島はリュックを下ろすことも忘れて、自分のスマホを俺の前に突き出した。


「モツヒサくんの朗読動画は後日公開なんだって。どんな声で読んでくれるのか、もう本当に楽しみだよ。やっぱり一番モツヒサくんに読んでもらえる価値がある小説を書けるのは私っていうのは、間違いじゃなかったんだね」


 饒舌に自慢する藍島の指が、藍島のペンネームと作品名が書かれた結果発表ページをスクロールする。


「あと動画とは別に三万円のギフト券が副賞としてついてるから、それでジャパナイのグッズを買うんだ」


 賞の一番の目玉である男アイドルの朗読動画は、別にどうでも良かった。

 だから藍島のつやのあるくちびるが発する副賞の三万円という金額への羨ましさがあってやっと、俺は藍島への祝福を絞り出した。


「初めてでそれはすごいな。おめでとう」


 それはとても短い言葉だったけれども、俺は俺なりに努力しなければそれすらも言えなかった。

 表情筋は引きつって、声は震えていたと思うので、さすがに古賀は俺の複雑な心中に気づいてくれたようである。

 だから古賀は藍島に負かされた俺のフォローをしようと、藍島の受賞を祝いつつ俺の最近の実績をさりげなく強調した。


「よく書けてた小説だったもんな。与村も最近小説投稿サイトのキャンペーンで図書カードもらってたし、オレも与村の作品に書いたレビューが公式運営にピックアップされたし、皆調子が良いんじゃないか」


「へえ、そうなんだ。じゃあ皆お互いおめでとうだね」


 古賀が話している内容をどれくらい理解しているのかは不明だが、藍島は両手を合わせて無責任な大雑把さで俺と古賀を祝福するそぶりをみせた。

 正直、突然部室に戻ってきて仲間面されるのにはもやもやしたが、藍島に悪意があるわけではないので責めることもできない。

 だから俺は藍島に嫌味を言う代わりに、ヤケクソになって自分を卑下した。


「俺の図書カードは抽選で、しかも五百円分だけどな」


 景品と賞品は違うのだと小声で指摘して、俺は藍島から目をそらす。

 しかし小さすぎた俺の声は藍島の耳には届かなかったらしく、俺の自虐は自己肯定感でいっぱいの彼女の自分語りに軽く流されていく。


「あとね、モツヒサくんの書いた選評に、今後のどんな作品を書くのか楽しみな作者さんですって書いてあったんだ」


 藍島はスマホで講評ページを開き、うっとりと食い入るように見つめた。

 そしてしばらく感慨に浸ってから、藍島は顔を上げて若干真面目な表情を作った。


「モツヒサくんに楽しみにされちゃったんだから私、これからも小説を書き続けようと思ってる」


 藍島の瞳に宿る光はもはや思い込みの激しいファン心理によるものだけではなく、確かな一つの評価を得た作者としての自信に裏付けされたものにもなっている。

 その力強い眼差しで今すぐこの場を去りたい俺を捉えて、藍島は真っ直ぐに自分の意思を伝えた。


「だから与村、また小説の書き方についてのご相談とか、いろいろよろしくね」


 藍島はこのとき、俺だけを見ていた。

 優れた読者としてすぐそこに座っている古賀ではなく、同じ小説を書く人間である俺に、藍島はまず頼っていた。


 俺の書く小説はまったく読まないのに、小説の書き方については俺に聞いてくる藍島は、なかなか自分勝手な女である。

 だが藍島の凛々しくも可愛らしい顔で真摯に見つめられれば、俺は苛立ちや劣等感を飲み込んで、見栄と虚勢で余裕ぶるしかなくなる。


「ああ。俺も小説を書いてる知り合いはいないから、刺激にもなるし良い機会だ」


 気づいたときには俺は、気前よく振る舞った作り笑顔で藍島に頷いていた。

 素直に不機嫌になって美少女の頼みを断るなんてことは男として格好悪いからできるわけがなく、乾いたくちびるは考えていることとは逆の言葉を発する。

 藍島に俺のそういう心の機微がわかるはずはなく、彼女はめいっぱいの笑顔で微笑み返した。


「うん。ハイネス同士、頑張ろうね」


 そしてまたさらに藍島は、白いが華奢ではない右手を俺に差し出して握手を求めてくる。

 もちろん俺はそのハイネスとかいう変な男アイドルのファンネームに所属意識を持った覚えはないが、否定する勇気もないので藍島の手に応じて握手した。

 藍島の手のひらは俺よりも大きくなめらかで、適度な湿度とぬくもりがある。


 普段の俺なら女子の手を握ったその生の現実の感触に、照れて顔を赤くしてしまうはずだろう。

 しかしそのときの俺の頭の中は、嫉妬や羨望、敗北感などの負の感情だけがぐるぐると回っていて、自分が負けてないと思い込める理由を探すことで精一杯だった。


(藍島は初めて書いた作品で受賞して三万円もらったのか。まあ別に書籍化とかするコンテストじゃないみたいだし、アイドルの朗読動画とかは別に本っ当に羨ましくもないんだが……。いやでも……)


 創作は本来、他人と自分と比べて一喜一憂するものではないはずだが、処女作が受賞という響きはとんでもなく羨ましく、俺は心の中で地団駄を踏む。

 藍島が受賞したコンテストはたいしたものではなく、必要以上に負けた気分になることはないと自分に言い聞かせようとしたがそれも難しく、俺は変な感じにならないタイミングで何とか手を離して曖昧な表情を浮かべた。


 目の前にいる藍島は何の不安もない完全に満ち足りた存在で、黙っていても俺を圧倒する。


 俺は藍島に小説の書き方を教えたが、藍島の成功が自分のアドバイスによるものだとは思うことはまったくできなかった。

 なぜなら藍島の書く小説には俺の教えたものを越える力があって、俺のこれまで実践してきた小説の書き方は藍島の天性の素質に敗北しているからこそ、俺が得ることのできない結果を藍島は得たに違いないからだ。


 俺が何も言えないままでいると、藍島はすっくと立ち上がって大きく頷いた。


「じゃあ私、他のハイネス仲間にもちょっと自慢してくるから」


 ケータイを片手に握りしめたまま、藍島は手を軽く振って扉の向こうへ行く。


 そうして自分のタイミングでやって来た藍島は、自分のタイミングで立ち去った。

 階段を降りる藍島の足音は普段よりも大きく響き、彼女の気分の高揚を騒がしく反映していた。

 その音を聞いていた古賀は、シャーペンを片手に予習に戻りつつ、ぽつりとつぶやいた。


「俺は藍島の受賞作より、お前の書いたメスガキの方が好きだからな」


 古賀は冗談めかした口調で笑いをとることで、なりゆきで敗者になってしまった俺を励まそうとしてくれていた。

 だが俺はあまりにも自信を揺るがされた直後だったので、古賀のほんの些細な褒め言葉にも泣きそうになってしまう。

 実際には泣かなかったが、今の俺にとって唯一の慰めが古賀であることは、間違いのない事実であった。

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