第6話 学級のために

 次の日から、本格的な高校生活が始まりました。

 朝、登校すると各机に教科書が山積みになっていました。高校生になって社会科が公民や歴史など分散化されたり、数学が数A・数Ⅰなど段階分けされたりと、教科書の量が大幅に増えていきます。1日で持ち帰るのは困難であろう教科書を引き出しと鞄に詰め、1日が始まります。


 昨日と変わったこと、それは登校人数でした。

 昨日はクラスの席が埋まるほどいた生徒が、1時間目が終わる段階で半分ほどしか埋まっていません。先生に気絶させられた男子生徒もいませんでした。勿論、猪川さんもいません。せっかく受験で頑張ってまで入学しただろうに、勿体ないです。

 なのに、先生は何食わぬ顔で一時間目の授業を行いました。

 今日の1時間目は数学です。私は、先生が説明される公式や問題を淡々とノートに書き写すのが精いっぱいで、終わりのチャイムが鳴る頃にはかなり疲労を感じていました。


「これが高校の授業なのですね……」

 今はまだ中学の復習と言う面が大きいので何とかなりますが、これがどんどん進んで少しでもついていけなくなったら……かなり厳しいかもしれません。学力重視のこの高校を授業は電車のような勢いで進みます。

 つまり、取り残されたらもう追い付くことは無いでしょう。

「初めての授業、かなりハードでしたね、高梨さん」

 話しかけてから、反省しました。案の定、高梨さんは私の問いかけに答えることがありませんでした。

 高梨さんは、授業開始数分後にすやすやと眠っていたのですから。

「大丈夫なのでしょうか……これで……」

「一応、学年主席レベルの学力はあるみたい、だし……大丈夫なんだと思うけどね」

 津田さんが困り顔で笑いながら言いました。それはそうなのでしょうが、なんでしょう。友達として心配になってしまいます。


「天音、ちょっと良いか」

 次の授業の準備をしていると、授業を終えた霧島先生が私の机の前に立って話しかけてきました。

 昨日の威圧的な声ではなく、話しやすそうな雰囲気の声色です。失礼ですが、逆に驚いてしまいました。

「はい、何でしょうか」

「次の授業は担当教師の都合で自習となっている。始業のチャイムが鳴ったら職員室まで来てほしい」

「はい、分かりました」

「よろしく頼むぞ」

 それだけ言い残し、モデルのような姿勢で教室を出ていきます。

 その後ろ姿を見ながら、私は緊張していました。

「早々に職員室に呼び出しされてしまいました……」

「怒られるわけじゃないと思うから、大丈夫だよ」

 津田さんはそう言ってくれました。私もそう思っています。口調も怒っていませんでしたし。

 でも、純粋に緊張してしまうんですよ。呼び出しって。


 ☆


「天音、お前に学級委員長を務めてもらいたい」

 職員室へ向かい、開口一番に言われたのがそれでした。

 安心感と拍子抜けで、少し呆けてしまいます。

「私がですか?」

「そうだ。天音は入学時の成績も良いし、授業態度もまともだ。まぁまだ初日だから判断材料としては乏しいが、すでに悪評が付く奴はいる。その点、しっかりと授業に参加し、言葉遣いも気を付けられる器量もあるお前なら、適任だと思うのだが、どうだろうか?」

 缶コーヒーを一口含み、私の目をまっすぐ見つめてきます。

「私は構いません。ただ、学級委員長の責務にどういったものがあるのか、受ける前にそれだけは把握しておきたいです」

「責務は簡単だ。提出書類の回収と、成績不安者への声かけ。これくらいだろう」

「成績不安者への声かけ、ですか?」

 提出書類の回収は、いわば宿題を出させるということなのだろう。

 だが、成績不安者への声かけとは何でしょうか。私が勉強を教えろということでしょうか。

「簡単なことだ。『次のテストで平均点以下なら、お前は退学だ』と言えば良い」

「それ、私は殴られませんか……?」

「殴られたら私に言え。相応の指導はしてやる」

 真顔で答えてくださりますが、出来ることなら殴られたくありません。


「委員長の肩書は一人の物だが、作業に関しては当然友人と行なって構わない。自己紹介の席で同じだった高梨や津田は、協力してくれると思うぞ。あと猪川も」

「猪川さんですか……」

 たしかに高梨さんと津田さんは、頼めば手伝ってくれるでしょう。

 ただ、猪川さんが手伝ってくれるなんて、想像すらできません。

「あいつは中学時代から力をふるっている有名な不良らしい。我々も入学する生徒を事前に確認するのだが、あいつを手懐けるのは困難だろうな。誰とも群れない一匹狼だったと聞く」

 一匹狼と言えば少し格好良くも聞こえます。でも、猪川さんの言動や態度は見るに堪えないレベルで好きになれないのですよね……。

「あいつにも協力してもらえれば、殴られることは無いだろうな」

「猪川さんにお願いする時点で殴られそうな気がするのですが」

「そうかもしれないが、どうせこの高校じゃ、誰に頼んでも殴られる可能性は出てくる。そういう学校だ、ここは」

 救いのない一言を告げ、また缶コーヒーを一口。ブラックコーヒーです。私は飲めません。

「まぁ、誰かに頼むのは一つの案として言ったまでだ。責務を全うしてくれればどんな手段でも構わん。置手紙を机に置くなり、携帯で連絡するなりな。どうせ退学になろうが、そいつが選んだ道なのだから」


 引き出しをあけ、折りたたまれた小さな紙を取り出しました。

「とりあえず、今回の通達者はこの紙に書いてある。今月末の学力確認テストで退学になる可能性がある者だ」

 差し出された紙を受け取って広げます。そこには4名の名前と顔写真が載っていました。

 3人の男子生徒と、猪川さんの写真が。

「引き受けてもらえないか? 正直な話、天音くらいしか頼める人材がいそうにない」

 先生はそう言いますが、この名簿を見ると断りたくて仕方なくなります。だって猪川さんが載っているんですから。

 でも、あの強くて格好いい霧島先生が私に懇願している。いつもまっすぐな目で前を向き、美しい姿勢で歩く霧島先生が。

 ……悪くない気分になっている私は、悪い子です。

「分かりました。引き受けます」

 出来るだけ真面目な顔で、しっかりと答えました。

 上手く表情が作れていたようで、先生も快く頷いてくれた。

「感謝する、天音。学級委員長として、よろしく頼むぞ」

 最後に霧島先生は、未開封の缶コーヒーを引き出しから取り出し、私にくださいました。買ったばかりなのか、まだほんのり温かかったです。


 教室に戻ると、1時限目と同じ格好で寝る高梨さんがいました。肩を叩くと、のっそりと顔を上げてくれました。

「あれ……天音ちゃん、今何時?」

「2限目が終わりそうですよ」

「ビックリだぁ」

 まだまだ眠そうな高梨さんに、霧島先生からもらったブラックコーヒーを渡しました。かなり苦いでしょうが、これで目は覚ますでしょう。

 高梨さんには悪いですが、強引に起きてもらいます。授業中に寝るのは良くないので。

「ありがとう、天音ちゃん」

 高梨さんはウトウトしながら、缶コーヒーをやっと開け、一気に飲み干して、そのまま寝てしまいました。


 何が悔しいって、自分が飲めないブラックコーヒーを普通に飲み干されたのが悔しかったです。

 私も飲めるように練習しよう……。

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