隣国の若き魔術師【三人称視点】


「父上、もうお加減はよろしいのですか?」

「あぁ、世話掛けたな」


 息子らしき青年の言葉に、壮年の男性はコクリと頷く。

 つい先日、領内の青空市場の視察を行っている最中に発作を起こした男性はしばらく休養するように医師に指示されていた。その間の内政は妻と息子、部下達に任せてベッドの上の住人としてゆっくりしていたのだが、今まで馬車馬のように働き続けた彼にはゆっくり過ごすということがどうにも合わなかった様子だ。

 まだ休んでいたほうがいいんじゃ…と心配する息子にもう大丈夫と返す男性は、執務室に入ると、自分の代わりに書類仕事をしていた妻と入れ替わるようにして席についた。

 一方的に屠られた領地をようやく立て直したのだ。彼には休んでいる暇などないのだ。



「旦那様、例のドラゴンの妙薬を使用して貴方様のお命を救った、デイジー・マックという娘の件ですが…」


 補助として後ろに控えていた部下が恐る恐る声を掛けてきた。──そう、彼らは例の娘の行方を探していた。

 周りの領民が言うには、黒髪で紫の瞳を持った年若く美しい少女だったらしい。それを聞いた領主夫妻、後継ぎの青年はもしやという想いに襲われたのだ。


「残念ですが、もうすでに我が領を去っており……追跡したところ、滞在先であったビルケンシュトック領からも立ち去ってしまったようです」


 がくりと意気消沈する3人。奥方に至っては期待していただけに落胆がすごい様子だ。


「憲兵隊が彼女に職務質問した際に身分証明をしたそうです。それでその娘の身元は間違いなく、エスメラルダ王国上級魔術師のデイジー・マック。魔法魔術学校を3年で卒業した優秀な少女との調査報告です」

「…エスメラルダ……魔法魔術学校……」


 その結果を聞いた夫人は震える声でつぶやく。


「その子の、家族は?」

「まだ、そこまでは調べきれておりません…平民であることは確かですが」


 あれから16年だ。

 もう諦めなくてはいけない。周りの人間も不幸な事故だったと思って忘れろと言うが、夫人にとっては大切な娘に繋がる情報かもしれないのだ。諦め悪くも最後までその情報にすがりついていたかった。


「ビルケンシュトックで聞き込みをしてわかったことは、デイジー・マックの年は16。薬学に精通しており、比較的良心的な価格で販売していたため、彼女の作る薬を求めて訪れる客はひっきりなしだったそうです。ビルケンシュトックには工業の町へ特製のブーツを作りに来たそうで、出来上がるまでしばらく滞在していたとのこと」


 それと、彼女の側には不思議な雰囲気の幼い少女の姿があったとか…町に来るまではしばらく還らずの森で生活していたとかいろんな話を耳にしました。…と部下が報告すると、黙って聞いていた夫人がふるふる打ち震えていた。


「アステリアじゃ」

「…アステリアとは限らないよ」


 夫の言葉に夫人はぐっと唇を噛みしめる。

 もしそうだったらと夫人は思っていた。誰か優しい人が娘のアステリアを保護して、育ててくれていたならどんなに嬉しいことか。

 夫人は手のひらで顔を覆ってくぐもった声を出した。彼女の瞳からは次々と雫がこぼれ落ち、絨毯に吸収されていく。


「アステリアが生きていたら、その子のように魔法を使って…民のために尽くす優しい子になっていたでしょうに」


 年若いのに上級魔術師として立派に生活するその少女と生死不明の娘の姿を重ねてしまい、夫人はどうしようもなく心が乱れた。


「母上、こちらに」


 こうなってしまったら彼女はしばらく落ち着かない。息子が慣れた様子で母親を支えると、窓辺のカウチに彼女を腰掛けるように誘導する。

 それを尻目に、男性──…フォルツヴァルク辺境伯は両手を組んでその上に顎を乗せると、渋い表情をして考え込んでいた。


(彼女がアステリアかどうかは置いておいて…貴重で高価なドラゴンの妙薬を持っていることも気になる。学生時代は優秀な生徒だったというのに、魔法庁や魔法魔術省へは就職しなかったのか…?)


 あの時、彼女は代金を請求することなく、現場から逃げるようにして消えたという。

 飛び級卒業した優秀な魔術師。

 黒髪に紫の瞳。

 女が2人旅。

 意識が混濁していたあの時かすかに聞こえた少女の声……


 娘の声なんて、赤子のときの泣き声しか聞いたことない。そもそも娘の声がどんな声か忘れてしまっているのに、あの時聞こえた娘の声が耳から離れない。


 考え始めるといろんなことがひっかかっていた。辺境伯は軽く頭を横に振ると平静を装い、部下へ視線を向ける。


「…引き続き、調査してくれ」

「御意」


 部下が退室するのを見送ると、辺境伯は頭の中を切り替えて業務を始めた。


 生き別れたか死に別れたかすらわからない娘のことは気になる。

 だけど彼は貴族なのだ。彼には領民という守らなければならないものがある。自分の感情ばかり優先できない立場なのだ。



 仕事に没頭し始めた父を見た息子は物憂げに目を伏せたが、メイド長に嘆く母を託した後、自分も貴族としての勤めを果たそうと仕事に戻ったのである。




 ──奇妙な星回りの下に生まれた娘。

 奇妙なそれは絡みあった糸のよう。時が来れば解けて一本の線となる。


 彼らは、近いうちに出会うこととなるだろう。

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