狼一家との再会と眷属の契約


 森の中なので、どこかで必ず獣に遭遇するのはわかっていたが、日中なら大丈夫だろうと思っていた。

 まいったな、食べる時以外は無駄な殺生をしたくないんだけど……私は肩を落とし、ゆっくり振り返った。背後にいたのは狼である。まだまだ若いオス狼だ。彼はぼうっと突っ立ってこちらを眺めていた。

 ……その鋭い瞳には敵意はない。


「…?」


 私はいつでも防御できるように構えていたのだが、相手は動こうとしない。……たまたま遭遇しただけで害意はないの…か?


『優しい人間だ! ねぇねぇ僕のこと覚えてる?』

「……ん?」


 直接脳に向かって話しかけられた私は思考停止した。こいつ…脳に直接……!?

 私は目を眇めて狼を注意深く観察する。覚えてるかってこんな凛々しい若狼なんか……

 そしてあることを思い出した。


「…まさか、半年前に会った迷い狼?」

『そうだよ、僕だよ?』


 サイズが違いすぎる。愛くるしかった仔狼の面影がまるでない。キョトンと首をかしげるその姿は狼らしかぬ可愛らしい仕草。ちょっと可愛いと思ってしまったじゃないか。

 まさかの再会である。広い広い還らずの森で一度別れた野生の狼と再会するとは…


『そうだ、僕困っていたんだ。お願い、お姉ちゃんを助けて!』


 私に飛びついてガウガウ吠えている若狼だが、彼が何を伝えたがっているのかが理解できた。以前彼を保護した際に使用した通心術がまだ有効なのか…。てっきり一回使い切りだと思ってた。

 それにしても今気になる事を言っていた。


「お姉ちゃんって…兄弟狼の?」

『そう! アイツらが急に襲ってきて、お姉ちゃんのお腹に噛み付いたんだ。それで沢山血が出て…』


 アイツらとは…?

 早く早くと元迷い狼にマントの端を咥えられて引っ張られ、私は仕方なくついていく。

 私は人間のためそこまで鼻が利かないのだが、それでも現場に近づくと鉄さびの匂いが充満しているのが感じ取れた。どうやらこの子のお姉さんは大怪我を負っているようだ。


 そこに群がっていた狼たちの中央で倒れているのはお腹を食い破られたメス狼の姿である。

 彼女は母親らしき狼に目元をペロペロなめられて慰められているが、虫の息。このままでは恐らくもう長くは生きられないだろう。


『みんな! 優しい人間がいたよ! 助けてもらおっ』


 元迷い子の弟狼がガウッと吠えると狼らが一斉にこちらを見る。その迫力に腰が引けそうになったが、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせる。


 弟狼によると、なんの前触れもなく魔獣が突然襲ってきて、一斉に逃げたら姉狼が捕まってしまったそう。このまま食われると思っていたら、何かの気配に怯えて魔獣が逃げてったそうだ。

 ……獲物を漁るルルの気配を感じ取ったのかもしれないな。私は姉狼の負傷部位に軽く水を流して確認した。


「……内臓食い破られてるね…魔法で治してあげるから触ってもいいかな?」


 もうこうなるとドラゴンの妙薬じゃ間に合わない。治癒魔法しか手段はない。

 私の言葉を弟狼を通して伝えてもらうと、姉狼を囲んでいた彼らはすっと後ずさりして空間を作ってくれた。

 魔獣によって食い破られた姉狼のお腹付近にそっと手を当てる。


「我に従う光の元素たちよ、この哀れな狼の怪我を癒やし給え」


 治癒魔法は奇跡の力。本来なら決して安くない金額を請求しなきゃいけない決まりである。…だが野生の狼にはその辺通用しないと思うのだ。バレなきゃ平気なのである。

 ぽうっと私の手のひらに光が集る。

 この還らずの森の元素たちはとても素直だ。森の住民である狼の怪我を治してあげようと快く力を貸してくれた。


「グウゥ…」

「動かないで。血を流しすぎたから栄養取らなきゃ」


 収納術で納めている荷物の中から私の非常食を取り出すと、ヤギミルクの粉末を水で溶かし、ぬるま湯程度になるまで温める。

 器を姉狼が飲みやすいように傾けてやり、彼女が長い舌で舐め啜っているのをみて、飲む体力があると判断する。

 そしたらこれだ。狼一家大好き鹿干し肉(柔らかく加工した自家製)だ。食べやすく小さく裂いてお皿に乗せてやる。


「鹿のお肉だよ。食べると力が出る」


 勢いはないが、ちょっとずつ食べている。きっとこれならもう大丈夫だろう。


「少し安静にしたほうがいいけど、もう大丈夫だ」


 私の言葉を受けた彼らは姉狼に擦り寄り、親愛の情を向けていた。この狼一家は絆が強いな。家族っていいよなぁ。じんわりほっこりしてしまうよ。


 さて、私は作業途中だからこの辺で。


「もう魔獣に捕まらないようにね」


 家族水入らずを邪魔せぬよう立ち去ろうとしたのだが、背後で「ガウッ」と吠えられ、くんっ、とマントの裾を引っ張られた。


「…? どうしたの」


 流した血で真っ赤になったお腹。治癒魔法で治したが、まだ貧血状態だろう。なのだが姉狼は私を引き止めてなにか言いたそうに見上げている。


『…お姉ちゃんが優しい人間になにか恩返しがしたいって言ってる』

「えぇ? そんなのいいよ、別に」

『んー…と、けんぞくのけいやく? 他の人間が魔獣と結んでいるのを見たことあるから、それやるって言ってる』


 弟狼を介して言われた言葉に私は言葉を失う。

 眷属の契約。

 それは魔術師に隷属するという契約だ。もちろん、人や獣人には絶対に使ってはいけない。ただし、魔獣や動物なら許されるのだ。

 学校の魔法魔術戦闘大会で使っている人も何人かいたこの契約だが、魔術師に利点はあっても、動物にとってはどうなんだ? と首を傾げたくなるような契約なのだ。だから私はその申し出を快く受け入れることはできない。


 私は姉狼の頬を掴んでお互いのおでこをくっつけると彼女との通心術をこころみる。直接彼女と対話したかったのだ。


「眷属の契約のこと知っているの? 私と同じ寿命に縛られるよ? 野生の狼の寿命は10年足らず。人間の寿命に縛られると、家族が死んでいくのを見送ることになる。それはとてもさみしいことだと思う」


 私だったら耐えられない。寿命を無視して永い時を生きるというのは拷問にも近いものだと思うのだ。


『私は誇り高き狼だ。一度決めたことを覆すことはしない』

「でもねぇ、家族が心配するよ? 眷属になったらあなたに手伝いさせる可能性も出てくるし」


 そんなの嫌でしょ? と言外に含めるが、姉狼は頑固であった。


『構わない、恩返しする』


 義理堅いなぁ。しかしまいった。


『僕も! 僕もけんぞくになる!』

「君はよく解ってなくて言ってるよね?」

『優しい人間に僕も救われた! 美味しいお肉食べさせてくれた! 色んな所一緒に回って楽しかったよ!』


 姉狼はともかく、弟狼はよく解ってない気がする……見た目は大人に近いが、まだまだ子どもの月齢なのだろう。

 これは軽いノリで決めるような事ではないのだ。


「…そうだな、1ヶ月、期間を開けよう」

『何故だ?』


 私の提案に姉狼はグルグルと喉奥を鳴らす。不満か?


「1ヶ月経過してもその気持ちが変わらなければ、私の眷属にしよう…それまで家族と話し合いをしっかりするんだよ」

『…逃げたら、追いかけるからな』

「逃げないよ。1ヶ月後に必ず、この森に戻ってくる。その時もう一度気持ちを聞かせて」


 今は気分が高ぶっているから眷属モードなのだろうが、冷却期間を置いたら気が変わるというのはよくある話だ。

 術者と同じ寿命になり、術者によって召喚される。術者に命令されることになる眷属なんて、森を自由に生きてきた狼には酷だろう。


 時間を置こう。

 それでも彼女が私の眷属となりたいなら契約する、絶対に戻ってくるからよく考えておいてくれ。

 その約束をして私は彼らと別れた。



 ──私はてっきり、時間を置けば彼女の意志は変わるだろうなと思っていた。

 しかし、彼女の気持ちは変わらず。結局姉狼と眷属の契約を果たすことになるのである。


 その契約の最中に弟狼が突撃してきて、手違いで弟狼まで眷属にしてしまうのは約1ヶ月後の話である。

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