Day‘s Eye 魔術師になったデイジー

過去話・シュバルツ侵攻【?視点】


 それは、宣戦布告も何もなしの突然の襲撃だった。


 国の砦と言われたその街はあっという間に戦場へと変わった。燃える城下、略奪殺戮される領民。領地や領民を守るために領主様とその奥方様は対応に奔走されていた。


 城の中は安全だと思っていた。……だけどそれは完全な間違いであった。

 強固な守りで固められているはずの城の中にまで賊が入ってきてしまい、自分以外の使用人は抵抗する間もなく、次々に殺されてしまった。相手は隅々まで家探しをしており、このまま隠れていても見つかる恐れがある。

 混乱状態の今、お嬢様を守れるのは私だけ…!


 はやく、はやく逃げなくては。

 その辺の民家に繋がれていたロバを引いて私はそれに乗った。馬と比べたら遅いけど、私がお嬢様を抱えて走るよりは早い。お願い、早くここから遠ざかって。

 あいつらに捕まったらとんでもないことになる。

 絶対にお嬢様を渡したりしない。私の生命に懸けてでも。


 おくるみの中でぐずる小さなお嬢様を抱えて私はロバにムチを振るう。せめて私に魔力があればもっと遠くへ逃げおおせたのに…!

 ここから逃げるなら、森の中に逃げたほうがいい。市街地には逃げ場がない。


『あっ…!』


 森の中を駆けているとロバが地面から露出した岩につまづき、その勢いで私とお嬢様は空中へと投げ出された。

 バシャッと水しぶきを上げて着地したのは浅瀬の川だ。私は痛みにうめきつつ、腕の中にいる赤子の無事を確認した。


『ギャアアアアン!』


 彼女は顔を真っ赤にして泣いていた。

 そりゃそうだろう。私だって痛いし、怖い。

 まさかこんな目にあうと誰が思うだろう。急に強襲してきたと思えば、乱暴され、連れ拐われる少女や女性を見かけた。城下街のあちこちでは無慈悲に殺される老人や子ども、男性に至っては見せしめに暴行を受けて、木に吊るされていた。

 こんな地獄、誰が想像するだろうか。吐き気を抑えながら私は逃げてきた。彼らを見捨てるかのように。

 だけど私は生きなければならない。腕の中にいるお嬢様を守るために。生まれたばかりの赤子だが、お嬢様はただの赤子ではない。尊い身分のご両親から生まれた御子様なのだ。将来を約束された貴い存在なのである。


 もしもアイツらの手に渡ったら…どんな扱いを受けるか…想像したくない。

 私は浅瀬の上で立ち上がって、その川の先をじっと見つめた。


『そうだ、この川はエスメラルダとつながっている…』


 もしかしたらエスメラルダの人に助けを求めたら、保護してくれるかも。

 今はお嬢様の無事が最優先。

 そうと決まれば……!


 ──トスッ

『…グッ…!?』


 一歩、歩を進めた私だったが、その足はそれ以上進まなかった。

 背中に燃えるような痛みが走ったからだ。


『こんな場所にいたのか……手こずらせやがって』


 その声に私はゾッとした。

 追っ手が私の後を追いかけていたのだ。私の背中には矢が刺さっており、背後から放たれたのだろう。


『その赤子を寄越しな、献上品として持って帰るんでね』


 振り返ると、そこには野党のような姿をした男たち数名がぼうぼうに茂った草木を避けながらこちらへと近づいてきていた。国籍が入り混じっている集団。……彼らは北国へ流刑にされた罪人の子孫。彼らは存在してはいけない人間たちなのだ。

 彼らはこの国に略奪と殺戮にきたのだ。


 ──献上品って、一体何を言っているんだ…! 人の、赤子の命をなんだと思っているんだ…!


『お嬢様だけは、お嬢様のお命だけはご勘弁を…!』


 私はお嬢様を守るように腕の中に隠し、命乞いをした。

 魔術師の家系に生まれたというのに、いつになっても魔力が出現しなくて、親兄弟に見捨てられたところをお優しい領主ご夫妻が見兼ねて雇ってくださった。

 私の働きを評価して下さった奥方様に、お嬢様のお世話役をおまかせされたのに……私は仕事のひとつも満足に達成できないのか。


 小さくて柔らかで甘い匂いのする赤子。

 私はこの方と出会ったときから絶対に守り抜いてみせると誓ったのだ。お嬢様は私の主、守るべき御方なのだと。

 せめて、隙を突いてお嬢様だけは安全な場所に……


 男たちはニヤリと笑っていた。嫌な予感しかしない。私はお嬢様を抱き込んで相手に背中を向けた。一気に駆けていくつもりであった。

 しかし、そうはさせてくれなかった。


 ──すぱん、と軽く一振りだった。

 先程の矢とは比べ物にならない、熱さが背中いっぱいを襲った。いつの間にか至近距離に迫っていた敵兵から背中を袈裟斬りにされたのだ。

 力を無くした私はバシャリと大きな水しぶきを立てて川の中に倒れ込む。


 あぁ、こいつらはお嬢様も殺そうとしている。

 こいつらにとってはお嬢様はただの赤子。捻り潰す程度の存在なのだろう…殺したその死体を持ち帰って見せしめにするつもりなのだ…!

 川の流れに沿って私の背中から大量の血液が流れていく。


 私は直に死ぬだろう。

 斬られた時に紐が切れた抱っこひもからお嬢様の身体を解くと、川の流れに任せた。

 川に流されていくお嬢様は火がついたように泣き叫ぶ。身の危険を赤子ながらに感じ取ってるに違いない。


 ごめんなさい、お嬢様。アステリアお嬢様。私はここまでしかお供できません。


『…元素たちよ、私の声が聞こえているなら……』


 私には魔力はない。魔力なしの無能力者と家族に虐げられ、追い出された出来損ないだ。

 だけどお嬢様なら、優秀な魔術師を排出し続けているフォルクヴァルツ家に生まれたお嬢様に従う元素たちならなんとかしてくれるはず。


『お嬢様を、守って』

 

 その、瞬間。

 私の眼に一筋の雷が映った。


『ぎゃあああああ!!』


 それは追っ手のひとりに直撃した。プスプスと煙を吐き出しながら倒れた黒焦げの男は落雷により命を落としてしまったようである。

 間を置かずに、第二弾、三弾と狙ったかのように落ちてくる雷によって地面が焼け焦げ、近くにあった木の幹が真っ二つに割れた。

 それを目の当たりにした賊が怯んだ。


 きれいな稲光だった。

 大きな音で襲いかかる雷は苦手だけど、その雷はとても美しく、力強かった。…お嬢様は、雷の元素に愛されているのか……良かった。


 空では雷が踊る。今に賊へ向けて降りてこようと空から狙いを定めているようにも見える。ザバザバと大雨が降り、視界を遮った。川の水の流れが速まれば、奴らも後を追えないはず。


 私はお嬢様と引き離された。先程まであったぬくもりはどこか遠くへ流れていく。川の流れによってお嬢様は流されていく。

 不思議なことに、彼女の小さな体は沈むことなく、川の水が揺りかごの形に変わり、赤子を守るように攫っていく。


 ──ドドドド…

 まるで滝のような雨だ。川の水の水位がどんどん上昇していく。もしかしたら山では土砂崩れが起きてしまうかもしれない。

 どんどん雨と雷の音は強くなっていく。賊がこの奥に侵入できないように元素が働いてくれている。

 この雨と雷なら奴らはもう追えないでしょう。


 ──お嬢様は雷と水の元素に愛されている。彼らがきっと守ってくれる。

 遠くへ、もっと遠くへ。お嬢様を保護してくれる優しい人の元へ。

 私はそのまま冷たい川の中に突っ伏した。


 …どうかご無事で。


『…生きて』



 遠くで赤子の泣く声が聞こえる。

 お嬢様、泣かないで。

 もう私はあなたをあやしてあげられない。あなたのきれいな紫色の瞳を覗き込んで話しかける事すら出来ない。

 私の可愛いお嬢様。こんなお別れになってしまったことを許してください。



 どこかの優しい人に拾われて…どうか…

 



■■■■■




 ──16年後


 そこには一枚の絵画があった。流行の最先端のドレスを身に着けたその少女はその艷やかな黒髪を結い上げ、花のついた帽子を被っている。

 静かな眼差しでこちらを見つめるその絵の少女はこころなしか悲しそうな目をしていた。不思議な色をした紫の瞳は何かを訴えかけているようにも見えた。


「──今日はね、街であなたに似合いそうなドレスを見つけたのよ。年頃だもの、たくさんオシャレしたいわよね」


 その少女の絵に向けて話しかける女性がいた。年相応の小じわのできたその面差しは絵画の少女の面影が残っている。


「…あの子が生きていたら今日で16歳」


 手に持っていたハンカチを握りしめ、彼女は肩を震えさせていた。


「母上、お風邪を召されますよ」


 絵画の少女と同じ色を持った青年にストールを掛けられた夫人は彼の手を握って涙をにじませた。

 過去を悔いてもどうしようもないのは彼女もわかっていた。しかしあの悲劇の日から彼女の中の時間は停まってしまったままなのである。


「アステリア、どこにいるの…?」


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