身分の壁


 休暇中お世話になった王立図書館の中には沢山の本があり、私は目移りしまくったのだが、その中でも気になる本があった。

 それは古来の薬学本である。

 今となっては絶対に使わないであろう薬のレシピがたくさんあった。例えば、寝る前に飲めば会いたい人が夢に出てくる薬だったり、嫌いな人間が近寄ってこない香水の精製法だったり…。中には現代でも使用されている薬のレシピも書かれていたが、使いみちがあまりなさそうな薬の作り方がたくさんあって面白かった。

 中には魔力を持つ人間でなくては作れない薬もあった。大学校で薬学を学んだ人であれば一般人でも製薬許可が下りるのだが、どんなに道を極めても作れない薬というものがあるみたいだ。


 その本の中で私の目に止まったのは、変化薬だ。その名の通り、自分以外の何者かに変化する薬だ。調合に失敗したらみすぼらしい姿に変わってしまうと注意書きがあった。…とはいえ、命に関わる薬効が出ることは極めて稀らしいので、なんとでもなるだろう。

 ──なにかの事件や事故に巻き込まれた時、この薬があればその辺にいる野良犬・野良猫・野鳥に変化して逃げることが可能なのじゃないかと私は思うのだ。

 

 ここ最近の不自然な出来事の連続。

 幼馴染のミアが評判の悪い成金に誘拐されたこと、そこから露出した犯罪の数々。どこかに不正流出されていた薬草たち。そして違法薬物。

 1学期に起きたリリス・グリーンの黒呪術騒動に、謎の共犯者……解決したように見せて、全然何も解決していない。背後にはまだ何者かがいるはずなのだ。

 ──また、何かが起きるんじゃないかと私は胸騒ぎを覚えていた。不安でなにかせずにはいられなかった。


 私は魔法が使えるけど、家族はそうじゃない。

 家族はみんな獣人なので私よりも身体が丈夫だけど、相手が魔術師だったら絶対に負けてしまう。それこそ人道から外れた魔術師であれば平気な顔をして禁忌を犯すであろう。

 私の故郷はハルベリオンとシュバルツの国境沿いだ。何かあった時に私が絶対にそこにいられるわけじゃない。家族を守れる保障がないのだ。

 なので、私にでも出来る対策を練っておきたかった。この薬は変化したい生き物の体の一部を薬に入れて飲み干すと効果が現れる。

 一部と言っても体毛や爪でいい。それを入れると薬剤の中で溶ける。薬とともに体内に吸収されたら身体に変化が訪れるのだ。薬1回分でおよそ3時間の効能になるとのこと。

 逃げる手段はいくつでもあったほうがいい。他にも一度しか使えない転送術の魔法陣が描かれた紙だったり、目くらましの薬だったり色々準備している。

 …とはいっても、彼らは血気盛んな獣人。村にもしもならず者が攻め入っても正々堂々と、物理で追い返そうとするんだろうなぁ。


 その他にも色々使えそうな薬があったんだけど、流石に全部をメモするのは無理だったので、今度また王立図書館に行った際にメモしておこうと思う。



■□■



 私の前で複雑そうな顔をしたビーモント先生の姿があった。


「フレッカー卿からお前の飛び級試験の話を聞かされたんだが…」

「はい。今回も飛び級試験の煩雑な手続きを代行して下さるとのことでした」


 もうすでに試験に備えて勉強しているし、新たに借りた教科書で5年の予習開始している。ここ最近もっぱら特別塔の図書館に缶詰で、めちゃくちゃ頑張っております。

 私は自信満々に返したのだが、ビーモント先生は違った。彼はなんだか心配そうな、複雑そうな顔をして私を見下ろしていたのだ。


「お前が勉強家で努力家なのはわかってるんだが……焦り過ぎじゃないか? 青春時代は短いんだ。もう少しゆっくり学生生活を謳歌したらどうだ?」


 教師のくせしてカンナみたいな事言ってるぞ。教師が生徒を堕落に引き込もうとしていいのか。

 だがあいにく、私は学び続けたいのだ。知識を自分の血肉にさせて、早く家族に恩返しがしたい。自立した姿を見せて安心させたいのだ。「お言葉ですが」と前置きして、先生を見上げる。


「私の村の幼馴染は皆働いてます。青春どうのこうのじゃなく、皆生きるために働いていますよ。私は早く自立したいだけです。そのために私は今まで頑張ってきたんです。いけませんか?」


 だがな、と先生は口を挟もうとする。

 もしかしてあれか? 私が学友と全く親しくせずに勉強に夢中になってるのが心配だとでも言うのか?

 それは村にいた頃からずっとなので今更だ。私としては周りにいる人間すべてライバルなので、仲良しこよしするつもりはない。私は勉強するためにここにいるのだ。


「私だけ呑気に学生生活を送るのはなんかいやです。私は高給取りになりたいんです」


 いくら先生と言えど、私の夢への邪魔をするなら許さないぞ。不満を込めて睨みつけると、ビーモント先生は開こうとした口を閉じて大きなため息を吐き出していた。


「…そうか、お前の強い意志はわかった。これ以上は何も言うまい」


 そうだ、私は別に悪いことをしているわけじゃない。無理をしているわけじゃない。自分が望んで頑張っているだけだ。いくら先生といえどそれを止める権利なんてないんだぞ。


「…マック、これはここだけの話だが…お前、お貴族様に目をつけられているぞ」

「…まぁ、少し目立ってしまいましたからね」

「…お前に養子に来ないかと声がかかるのも時間の問題だと思う」

「……養子?」


 おかしな話だ。私はもうすでにマック家の養子なのに何を言っているんだ。


「貴族の祖先は優秀な魔術師だった。だけど子孫もそうとは限らない。…それなら、魔力に恵まれた人間を欲しがる、その血を求めるものなんだよ」


 …どうやらビーモント先生は私が目立つことによってお貴族様に囲い込まれるんじゃないかと心配していたようだ。

 いやー心配してくれるのはありがたいけど、流石に庶民、それも捨て子を養子ってなかなかないでしょ…

 私は笑い飛ばそうとしたのだけど、一方の先生は怖い顔をしていた。


「マック、お前は元捨て子だ。貴族にとっては都合がいいんだよ、その意味わかるか?」

「へ…」

「どんな扱いをしても、強く文句を言える相手がいないんだ。お前の養両親は獣人で村人だ。文句を言ったところで貴族がまともに取り扱ってくれるわけでもないんだぞ。養子という呪縛に縛られ、お前の人生も縛られてしまう恐れだってある」


 お前が今親しくしているファーナム様がたまたま庶民にもお優しい方なだけであって、その他の貴族も同じかと言われたらそうじゃないんだ。と先生はいつになく怖い顔をしていた。私も流石に笑えなくなって、静かに先生の話を聞いた。


「お前が飛び級を選択するのなら、それでいいんだ。お前の人生だから。…だけどな、貴族王族が関わると俺でも庇ってやれないんだ」


 先生の話はそこで終わった。飛び級試験の日程が決まったらまた報告する、と言って職員室の方向へと歩き去ってしまった。

 私はその場に取り残されて渋い顔をしていた。

 ……なるほど、そういうこともありえるのか。困ったな。私はそういう気はないのだが…。……偶然とはいえ、ファーナム嬢や王太子殿下と知り合いになってしまったのはあまり良くないことなのかも……。


「デイジー」

「!」


 考えごとをしていた私はいきなり名前を呼ばれてビクッと肩を揺らした。声のする方へ振り返ると、中庭の向こうからこちらへと歩いてきているファーナム嬢の姿があった。彼女が先程まで歩いていたであろう、特別塔側の渡り廊下には、貴族の令嬢方の姿。

 貴族友達と一緒なのに庶民に堂々と声をかけて大丈夫なのだろうか。


「ちょうど良かったわ。これから自由参加型討論会があるのよ、デイジーもいらっしゃいな」

「えっ…? いや、私はそっちの生徒ではないので…」

「大丈夫よ、あなたなら。きっと為になるわ」


 あろうことか彼女は私の手を引っ張っていき、特別塔へと誘導していくではないか。

 それを他の令嬢方は静かに見てるが、明らかに目が笑っていない。それにファーナム嬢は気づいてないようだけど。


「私のお友達のデイジーよ、とても優秀な子ですの。先日の長期休暇はタウンハウスに招いて一緒に過ごしましたのよ」

「えぇ、えぇ、存じておりますわ」

「先日の公開取り調べではお見事でしたわね」

「デイジーさんとおっしゃるの、…野に咲くお花ね。お名前がぴったりですこと」


 最後に至っては遠回しな雑草宣言じゃなかろうか。侮蔑の視線が突き刺さってくるような気もしている。先程のビーモント先生の話の直後だったので、先入観もあるのかもしれないけども……どう好意的に見ても、歓迎はされていない。

 未来の王太子妃に取り入るのに、邪魔な雑草めってところであろうか…肩身が狭い。


 気後れしながら参加した討論会だが、討論会会場である講堂で居合わせた殿下やフレッカー卿に話しかけられ、熱中し始めると周りのことは気にならなくなった。


 討論会自体は魔法魔術の発展、そして国政について真面目に討論する会のようで、結構勉強になった。お貴族様視点の話を聴くことはなかなかないので面白かった。

 いや、殿下、さすが未来の国王なだけあって博識で驚いた。(入学式の挨拶を省いた)初対面がアレだったので少々見くびっていたよ。ファーナム嬢もそのお相手として選ばれただけあって優秀だし、この国の未来も捨てたもんじゃないかもね。

 フレッカー卿との意見のやり取りは当然面白い。学問に恋をして、爵位を捨てただけある。2人でしばらく喋りまくっていて周りを引かせたくらいだ。


 ──討論会に夢中になりすぎて、私を異物視する人の視線に鈍感になっていた。

 王太子殿下や公爵令嬢に近づきたい人間なんか腐るほどいる。それなのに、その辺のちょっと勉強のできる村娘と親しげに会話しているなんて彼らからしてみたら許せないことであろう。

 ふと冷静になって周りの視線に気がついた時、自分の行動を悔いたが、やってしまったもんは仕方ない。普段は関わんないから平気だろう。


 そんなに羨ましいなら、彼らに気に入られるように努力したらいいのに。お貴族様だからってその肩書に胡座かいてちゃいつか寝首かかれちゃうぞ。

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