私が勉強する理由


「私達の操る元素は意思のない、従順な存在と思われてきた。…が、元素が術者を守ろうとする現象が起きることから、元素にも意思があることが近年になってわかってきた」


 目に見えないけど、私達が操る元素は妖精のような存在らしい。時に元素達は術者を自らの意思で守ろうとするという。


「特に適性のある元素は顕著だ。諸君らの中にも危機的状況で元素に助けられた経験のある者もいるかと思う」


 かつかつ、と黒板に元素記号一覧を書き記した先生が振り向いた。先生の説明を聞きながら教科書に書き込んでいた私はその手を一旦ピタリと止めた。

 出発する前にリック兄さんが言っていた言葉。

 私が発見された雷雨の夜。……私の適性能力は雷と水……

 ちょっと引っかかったが、それは私が赤子のときのことだ。何も覚えていないので、私としてもどうしようもない。

 気にはなる。私がどこからきて、どうしてあの場所にたどり着いたのかとか。


「これは天から与えられた才能である。この力を与えられたのにはなにか理由があるのだと先生は考えている」


 天から授けられた贈り物と言われるくらい、魔力を有する人は特別だ。簡単な生活魔法程度しか扱えない人でも町では重宝されるくらい、貴重な存在なのだ。


「魔力はときに巨大な力となってすべてを飲み込む。よってその扱いは丁重にせねばならない。…君たちも魔術師の卵として、そのことを胸に刻み、与えられた力を人のために使うようにしなさい」


 先生の言葉は重かった。先生の世代は十数年前に起きた隣国のシュバルツ侵攻を知っている世代なのだ。

 宣戦布告もなしにシュバルツを蹂躙していたハルベリオン。エスメラルダ国王もそれを問題視して、すぐさまシュバルツを援護するべく軍を派遣して討伐にあたったそうなのだが、ハルベリオン軍の中にも魔術師がいた。贈り物と呼ばれるその力で人々を害し、街は壊滅状態になっていた。


 若かりし頃の先生はその散々たる光景を目の当たりにした。魔術で焼き尽くされた街、呪いのような形で殺された人々、辺り一面に広がった赤……今でも鮮明に覚えているそうだ。

 虫の息だった住民をすぐに助けようと治癒魔法を使おうとしたが、時既に遅し。…一度失った命は還ってこない。援軍の彼らは戦火の残る街の真ん中で呆然と突っ立っているしかできなかったそうだ。


 神から与えられた能力で生き物を惨殺するそれを見てしまった先生は、自分自身にもこんな恐ろしい力が備わっているのだと急に恐ろしくなったと語っていた。

 そんなこともあったので、次世代を担う生徒たちは、その能力を悪用することなく、世のため人のために使うようにと念押ししていた。


 ハルベリオンは油断ならない相手だ。直接戦争をしたわけではないが、うちの国も敵国認定している。憎しみは何も産まないとは言うが、憎しむしか出来ない被害者もいる。今でもその被害の記憶に苦しむ人がいるのだ。


 私が魔術師となった時にこの国がハルベリオンと衝突することがあれば、きっと派遣要請が来るであろう。それはある意味義務だ。私は現状国の援助によって学んでいるので、その恩に報いるために…国を守るために、戦地へ向かわなきゃならないであろう。

 できることならそんな事が起きなければいい。しかし北の国がいつ行動を起こすかわからない。

 お互い睨み合いを続けながら、いつでも戦が起きてもいいように備えている、そんな状況なのだ。



■□■



「デイジーの教科書真っ黒! 夜遅くまで勉強しているし、授業では積極的に手を上げているし、暇があれば図書館通い。すごいわねぇ、どうしてそこまで頑張るの?」

「…カンナはもう少し頑張ったほうがいいと思う」


 再来月には中間試験が行われるんだよ。

 私がそう言うと彼女はだるそうな顔で机にへたり込んでいた。


 学校生活もあっという間に3ヶ月が過ぎた。その頃にはここでの生活も慣れ、勉強のコツも掴み始めた。私達は魔術師の卵。とにかく学ぶことが多い。そのため、私はがむしゃらに勉強しているんだけど、周りの同級生らはそうでもない。休み時間も放課後も休日も勉強する私を異様な目で見ていて、私は少々教室内で浮いていた。

 いくら魔術師としての素養があっても、知識がないと過ちを犯す可能性もあるのに。それとも私みたいに高給取りを目指す人間は珍しいのであろうか。

 せっかく国の援助で学校に通えているのにもったいないと思うのは、失礼なことであろうか。


「あ、そうだ先生に聞きたいことがあったんだ」

「えぇ!? まだ帰らないの!?」


 私が教科書を持って立ち上がると、カンナがげんなりした表情をする。言っておくが、私は帰りを待っててくれなんて一言も言ってない。


「カンナは先に帰ったら?」

「待っててあげたのにデイジー冷たい…」

「それはごめんね。これからも待たせることになるから私のこと待たなくていいよ」


 学校と寮は目と鼻の先だ。私は一人で帰れるし、カンナは他にも友達がいるからその子達と一緒に帰ればよかったのに。


「そうしたらデイジーが一人になるじゃないの」

「私は慣れてるから平気。村の学校ではいつも一人だった」


 自分で言っておいて、なんかすごく寂しい人間みたいだなと思ったけど、事実なので仕方ない。別に一人なのは悪いことじゃない。私は一人でも案外平気な質なのだ。


「それってさみしくなぁい?」


 カンナは眉を八の字にして首を傾げていた。その問いに私は沈黙する。

 彼女は人懐っこく、この学校でもすぐに友達が出来ていた。きっと住んでいた町でも沢山の友達がいたことだろう。だから彼女の目から見た私は異様そのものなのじゃなかろうか。


 …人間である私は、獣人の村にたった一人の異物だった。ひとりぼっちなのはそれが当然だと思っていた。寂しい…と言うより、私は皆と違うから間に入っていけないと感じていたのだ。

 私を人間だからと受け入れられない村民も中にはいた。そして私自身も、自分は彼らとは違うと線引きをしていた。どう頑張っても私は彼らの仲間にはなれないのだって。


 本音を話してもカンナにはわからない。これは私の中の問題だ。そもそも私は恵まれている方なのだ。捨て子は通常、乳児院と呼ばれる孤児院に預けられ……成長したその多くは最下層に堕ちる。もしもそこに送られていたら、私だって今頃学校じゃなくてどこぞの娼館にいたかもしれないのだ。

 それを考えたら私は運がいい。どうしようもないことで、人のせいにするのはよくないな。


「…誰とも話が合わないから。相手に気を使わせるし、私も疲れる。一人が楽だったの」


 そう、ひとりが楽だった。


 誰もいないところで本を読んでいると気が楽だった。だから私は同級生の輪から外れた場所でいつも過ごしていたんだ。それで余計に浮いて、私は自ら異物になっていったのだ。


「そっかぁ、話し合わせるのも疲れるもんねぇ。興味ない話なら尚更よね」


 深く突っ込まれるかなと思ったけど、思いの外カンナはあっさり納得してくれた。


「失礼します。ビーモント先生はいらっしゃいますか?」


 話しているうちに職員室に到着した。カンナは帰りたいのではないのだろうか。勝手についてきたくせに、職員室を見てしょっぱそうな顔をしている。この雰囲気が苦手なんだろうか。


「ん? マック君、サンドエッジ君はまだ校内に残っていたのか」


 職員室にいたビーモント先生が振り返って私とカンナを見比べた。質問があるわけじゃないのに、何故かここまでついてきたカンナは先生の顔を見ると肩をすくめていた。


「質問がありまして…お話中でしたでしょうか」


 先生は誰かと話し中だったみたいだ。タイミングが悪かった。

 先生の側にいたのは仕立ての良さそうな服におしゃれな片眼鏡を付けた壮年の男性だったが、一般塔の先生じゃなさそうだ。相手と目が合ったので、私はペコリと会釈した。


「すぐに終わる、ちょっと待っててくれ」

「この時間まで勉強かね? 感心だね。どれ、私でわかることであれば教えてあげよう」


 片眼鏡紳士の発言にビーモント先生がなんかぎょっとした顔をしている。

 それもそうだろう。特別塔の人とは関わらない。私達も先生たちから、上流階級の方々に失礼しないようになるべく近づかないようにと厳命されているのだもの。

 何かあった時、どうしても身分というものが邪魔して庇いたて出来ないこともある。それもあって、自分の身を守るために上流階級出身とはなるべく近づかない、関わらないというのが一般塔の生徒達の認識なのだが……

 あちらから来られたら「いいえ結構です」とつっぱねられない。失礼になってしまうじゃないか。

 仕方なく私は先程まで使用していた教科書を開くと、とある図解を指差した。


「記述を読んでいてどうにも引っかかって」


 私は暇があれば予習として先の範囲まで勉強している。わからなければ授業の日を待てばいいのだが、気になったことを放置できない質なので、こうして放課後は決まって質問しに行くのだ。

 紳士は教科書を覗き込んで、その灰色の瞳をパチパチと瞬きさせた。


「ほう、これはすごい書き込みだ。君は今年入学したばかりの1年生かな? 先の範囲まで予習しているのか。これまた感心だな」

「フレッカー卿あの…」

「まぁまぁ。うちにはここまで熱心な生徒がいないんだよ。ここは私に任せてくれたまえ」


 ビーモント先生が申し訳無さそうにしているが、フレッカー卿と呼ばれた上流階級出身と思わしき紳士はニコニコと嬉しそうに笑いながら、丁寧に教えてくれた。時折私が更に質問したらこれまた嬉しそうに返す。

 あまりにも嬉しそうに教えるので、調子に乗って質問しまくってしまった。


「いやぁ、ここまで熱心な生徒、珍しいね。うちにもこれくらい真面目な生徒が入れば張り合いがあるというもの」

「私、なるべくいい職に就きたいんです。それには学校でいい成績を修めるしか道がなくて」


 特別塔で教鞭を取ってる人に言っても想像ができんだろうけどね。もともと富を持っている人と庶民はスタート地点からして違うんだもの。

 だからやるしかない。私の夢の近道はこれなのだ。先生に鬱陶しいと思われても質問しまくる。わかるまで貪欲にな。

 私の発言にフレッカー卿は少々間の抜けた顔を浮かべていた。庶民の成り上がり根性に引いてしまったのかな。別にいいけど。


「……君、名前は?」

「? デイジー・マックです」


 反射的に答えてしまったが、私の名前を聞いてどうするんだ。


「どれ、去年の上級生が使っていた教科書を貸してあげよう」

「…え?」

「フレッカー卿…?」


 私と先生の呆然とした声が重なった。

 なんで教科書? そんなことしてもいいの? 私は教え子でもなんでもないのに。

 私の顔に疑問が書かれているのがありありとわかったのだろう。フレッカー卿は目を細めて、楽しそうに笑っていた。


「優秀な生徒には教えがいがあるんだよ」


 その後フレッカー卿が「最近の生徒は冷めていて、ここまで勉強熱心な子がいないんだよ」と嘆いていらしたが、一般塔の庶民に勉強教えても給金の足しにもならないのに……貴族様の考えることはよくわからん。

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