目覚め


 人間と獣人は棲み分けをして平和を維持している。今では昔とは世代が変わったので、差別する人間がおかしいという目で見られるようになり、獣人が人間の街に出ても爪弾きにされることはなくなったという。が、依然として差別意識を持つ人間はいるらしい。

 人々の中には根本的に変わらない差別意識が残っている。逆に獣人側も先祖が受けてきた迫害の歴史を許せずに人間を憎むこともある。


 私はその板挟みになって育ったので、その辺にはあまり触らないようにしている。



 私の通う初等学校は獣人の村の学校であり、人間は私一人。それでもって私が進もうとしている中等学校は人間も獣人もいる学校だ。これまでとは違う環境に変わるのだが……まぁなんとかなるだろう。


「おい、やめとけって。お前みたいな女、どうせ馴染めねぇって」

「私遊びに行くんじゃないんですけど」


 通っている初等学校の学校長から推薦をいただき、中等学校の奨学生試験を受けに行くために現地入りしようとする私を何かに付けて引き留めようとするテオの妨害をあしらいながら、私はなんとか乗合馬車の停留所にたどり着いた。

 どこで聞きつけたのか家の前で待ち伏せしてきて……こんなことならもっと早く家を出ればよかった。


「おい聞いてんのか」


 うるさいなぁ。

 私はそっぽ向いて無視することにした。


 学校には幾つか種類がある。

 人間も獣人も共通で6年間の初等学校に通わなければならない。その間の学費は国から援助が出る。

 5年間の中等学校からは自由教育に変わり、学費が生徒負担になるのだ。そのため、多くの人は最終学歴が初等学校までであることが多い。

 次に4年間の大学校が続く。大学校は専門的な学問を学ぶ人が通う場所で、国の直轄施設への就職希望、医師や教職員を目指す人が通うような場所である。


 進学すればするほど職業の幅は広がり、収入も変わる。なのだが、どうしても収入の格差で進学を諦めなければならない学生も出てくる。在籍する学生は裕福な家庭の出身が多くなり、ますます格差が広がる……優秀な人間が機会を得られず、消えていく。

 それを問題視していた学校側が国に掛け合ってできたのが、特別優秀な生徒を優遇する奨学生枠。優秀な成績を維持していることを条件に学費食費生活費が優遇されるというものである。

 こんなありがたい話はないだろう。その座をかけての試験に私は挑もうとしているのだ。

 うちは貧しくないけど、高い学費をぽんと出せるほど裕福というわけじゃない。ただでさえ拾って育ててもらった恩義があるのに、これ以上負担をかけたくないのだ。

 勉強は嫌いじゃないし、私には目的がある。なので目の前にある絶好の機会を逃すはずがないのだ。


 ──ちなみにもう一つ、特別な学校がある。そこには限られた人しか通えない。

 この世界には空気中に存在する元素を操る能力を持つ人間がいる。人々はそれを【魔法・魔術】と呼ぶのだが、その力に恵まれた一部の人間にしか扱えない力なのだ。

 その力は太古の昔からあったもので、その魔法・魔術に関しても魔女狩りとか色々あったらしいんだよね……。一部の学説によれば、身体能力に優れた獣人に対抗して、人間にだけ宿る特別な能力とか……神様が与えた【贈り物】なのだそうだ。そのため、魔力持ちは畏怖とともに尊敬の対象なのだ。

 魔術師になれば更に高収入なんだろうな…。でも、なろうと思ってなれるものでもないし…


「おい聞いてんのかよ!」


 聞いてない。

 私が考え事している横でキャンキャン喚いているようだが、私は試験とか進学のことで頭いっぱいなんだ。静かにしてくれないかな。


「うるさいよ…そんなんだからバカ犬って呼ばれるのよ、あんた」

「俺は狼の獣人だよ!」


 テオがこちらに手を伸ばしてきたので、私は持っていたカバンで頭を守る。


「チッ、可愛くねぇ女」


 髪の毛引っ張られたくないんだよ。あんたすぐに人の髪引っ張るじゃないのよ。

 私はおもむろに空を見上げた。太陽の位置と影から見てもうそろそろ正午だ。遅れがなければ乗合馬車が到着してもいい頃なんだけど……


 ──ガラガラガラ……

 どこからか荷馬車の音が聞こえてきた。身を乗り出して道の向こうを覗き込んでみる。すると道の向こうに砂埃を立てながら走ってくる馬の姿……なんだか、様子がおかしい。


 よく見たら、馬を操作する馭者の姿が見えない。


「逃げろ! 馬が暴走してる!」


 異変に気づいた誰かがそう叫んでいたが、私は固まっていた。思ったよりも暴走馬の速度が速すぎて、あっという間に目の前に迫っていたからだ。私は呆然とそれを見上げる。興奮状態の馬が上体を持ち上げ、後ろ足だけで立つ。私よりも倍以上体積の違う馬の巨体。その迫力に圧倒された私は固まっていた。

 蹄が振り下ろされる。危険に気づいた時はもう遅い。

 いまに馬に蹴り飛ばされようとしていた。


「デイジー!!」


 だけど想像したような痛みは襲ってこなかった。別の誰かが私を庇ったから。ドシャッと地面に倒れ込んだ私は誰かの腕によって守られたのだと悟った。

 私よりも体温の高いそいつは、私よりも身体が大きい。だけど同じ12歳だ。成人と比べたらまだまだ子どもである。獣人といえど不死身というわけじゃない。馬に蹴られたら死ぬことだって……


「う…」

「子どもが馬に蹴られたぞ!」

「頭から血が出てる! すぐに医者を!」

「馬を止めろ!」


 私は目の前で起きたことを脳内で処理できずにしばし固まっていた。大人たちが馬に飛び乗って暴走を止めようと体を張っている。辺りでは砂埃が立って、目がシパシパする。ズルリと私の背中の上を力なくずり落ちる腕。私は庇われたので無傷だった。

 ぐったりと横たわるテオは頭から血を流して呻いていた。どくどくと流れ行く血は地面を赤く濡らしていく。

 テオは、私を庇って代わりに怪我を負ったのだ。


 なぜ、なんで。

 なんで私を庇ったりするんだ…!


 私は自分のかばんをひっくり返してハンカチを手に取ると震える手で患部から流れる血を抑えたが、血は止まらない。じわじわと血を吸い込むだけだ。

 ドクンドクンと心臓が大きく跳ねる。


 どうして、どうして、なぜ私を。

 いつも嫌がらせばっかりしてくるのに。

 私あんたの嫌いだけど、死ねばいいって思ったことは一度だってないのに。


 私のせいだ。このままでは私のせいでテオは死ぬ。どうしたらいい? どうしたらテオを救える? 私はこれまでに沢山本を読んできた。わからないことは何だって大人に聞いた。学校の本だけじゃ飽き足らず、街の図書館で借りた本も読みまくった。だけど得た知識ではテオを救えない。私は医者じゃないのだ。

 私には何もできない。私は無力だ……

 愕然とした。あれだけ勉強しても私は何の力もないのだと。


「…あんたはこんなことで死ぬやつじゃないでしょ。あんたは、私が中等学校に合格したのを悔しがって遠吠えしなきゃいけないのよ…」


 手だけじゃなく、声が震えた。ハンカチから滲んだテオの生暖かい血液が手のひらに伝わってくる。私はぐっとそれを抑え込むと、奴の意識をこっちに呼び戻すべく、大声で叫んだ。


「治れ! 治れ治れ! 起きなさいよ! ここで死んだら許さないから!」


 あんたはこんな簡単にくたばる獣人じゃないでしょうが! 死人みたいな顔で寝てんじゃないよ!

 その呼びかけに反応したテオのまぶたがビクッと動いた。

 

「う、うるせぇ…もうちょっと可愛く起こせねぇのかよ…」

「テオ!」


 薄っすらと目を開けたテオはうるさそうに眉をひそめると、灰色の瞳をこちらに向けた。

 いつもその目を見るたびにイライラするけど、このときばかりはホッとした。意識が取り戻せたなら良かった。後は医者に傷口を縫ってもらって……


「あーイッテェ…これパックリいったんじゃねーの?」

「ちょ、安静にしてなさいよ、いまお医者さん呼んでるから」


 患部を押さえながら気だるそうに起き上がったテオを注意する。頭から出血してるんだ、大人しく寝てないか。

 制するのを無視して身体を起こしたテオは「んん?」と違和感を覚えたように顔をしかめていた。おもむろに抑えていたハンカチを下ろし、指で血に濡れた自分の額を触っている。


「何してるの、まだ血が」


 汚い手で傷口を触ったらバイキンが入るでしょうが。なのに奴は構わずベタベタと患部を触っている。


「…痛くねぇ。……ていうか傷が…ない」

「…えっ?」


 テオの言っている言葉の意味がわからず、私はテオの髪をかきあげた。なんか「お、おい!」と慌てた声が聞こえたが無視だ。

 髪をかき分けて隅々までほうぼう探したが、先程まで血を流していた患部が見当たらない……え、獣人の回復速度こんなに速い? 人間より頑丈っつったって速すぎない?


「デイジー、お前…贈り物持ちだったのか」


 私達の様子をずっとそばで見ていた村民のおじさんが呆然とした声で言った。

 “贈り物”持ち。

 それすなわち、魔力を持っているということだ。

 今の今までそんな能力顕在していなかったのに?



 普通なら即死間違いない傷を負ったはずのテオは、今現在貧血症状はあるものの、怪我は跡形なく完治していた。どんなに腕のいい医者でもそんなにすぐに治せない。獣人の治癒能力速度でもありえない。

 その速度で治す方法……可能性の1つとして治癒魔法。他にもドラゴンの妙薬とか教会の大巫女が作り出した聖水とか方法はあるそうだけど、ここまで急速に治せるのは魔術師の治癒魔法しかありえないそうだ。


 ──限られた人間には魔力が宿る。魔力を持つ人間は畏怖と尊敬の眼差しを送られる存在。その力1つで国を動かすほどの魔術師もいるくらいである。


 中等学校の進学云々どころじゃなくなった。

 …どうやら私の進学先は変更になりそうである。テオの思惑通りに、だ。

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