第千二百六話・産まれた子を待つ者

side:久遠一馬


「おぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ!」


 生まれたのは元気な男の子だった。産毛を見る限り髪の色はブロンドのようだけど、瞳は黒だ。髪はシンディに似て瞳はオレ譲りかな。


 小さい。何度見ても赤ちゃんの小ささと、純真無垢に生きようとする様子には感動する。


 大武丸と希美とあきらも一緒に産まれてくるのを待っていた。輝はまだ分かっていないようだけど、大武丸と希美は赤ちゃんを見て喜んでいる。


「ワン!」


 もちろん、ロボ一家もいる。赤ちゃんは任せろと言わんばかりに落ち着いているロボとブランカに思わず笑ってしまった。


 オレたちもロボとブランカにも家族が増えたね。


「うん、健康そのもの問題なしだよ!」


 マドカが生まれたばかりの赤ちゃんをあやしながら診察していたけど、病気や障害などもなく健康なようでひと安心だ。



 シンディは赤ちゃんを手渡されると、いつになく感慨深げな様子で赤ちゃんと周りにいるオレやみんなを見ている。


「私の赤ちゃん、無事に生まれてくれてありがとう」


 慈しむように抱きかかえ語り掛ける様子は美しい。母としての顔だ。


「ようございましたな。まことにようございました」


 年配の侍女の中には涙ぐんでいる人もいる。出産の危険性を熟知しているのだろう。いつ産気づいても大丈夫なようにと二十四時間態勢で付いていてくれたらしい。あとで褒美をあげよう。


 ふと外から賑やかな声が聞こえる。


 熱田、津島、蟹江、那古野の屋敷では、子供が生まれたらすぐに酒と餅を振る舞うことになっている。他のところは分からないけど、熱田では屋敷の周りがお祭り騒ぎになっているようだ。


 名前は七日を過ぎてから公表だから、シンディとよく相談しよう。


「あとはアタシたちに任せてゆっくり休んで」


「そうさせてもらいますわ」


 シンディもホッとしたのだろう。マドカに促されると、そのまま目を閉じた。


 お疲れ様。本当に母子ともに無事でよかった。それだけでいいんだ。無事に生まれてくれさえすれば、後はオレたちなら解決出来るからね。




Side:木下藤吉郎


「親方! 無事お生まれになられました!」


「おう! そうか!!」


 熱田からの早馬が到着すると、ここ工業村は一気に沸き立った。他でもない殿のお子が生まれるということで、ここでも皆で祈っていたんだ。


 親方は口癖のようによう言われていた。職人たちが今日こんにちのように思う存分働けるのは、すべて殿のおかげなのだと。


「よし、藤吉郎! 酒だ! 酒を振る舞え!」


「はい!」


 殿からはお子が生まれたら酒と餅を振る舞うようにと命じられている。親方がさらに料理も出すように命じて、高炉に蒸し石炭をくべる者らは休めねえが、あとは皆で宴をするんだ。


「いや、良かった。めでたいな」


「久遠様はだれよりも人の命を重んじる。奥方様や子になにかあれば、その悲しみは尋常ではあるまい。無事にお生まれになって本当に良かった」


 子が無事に産まれるようにと、ここ工業村でも熱田神社から神職を招いて祈禱をしていたこともあって、職人衆の皆も嬉しそうに酒を飲んでいる。


「どうせならなにか、久遠様を驚かせられるようなものをお贈りしたいものだな」


「それなら面白いものがあるよ」


「お方様、それはまことですか?」


 ああ、職人衆と共に宴に加わっておられるお方様もおられる。プロイ様とあいり様だ。硝子工房の立ち上げの助言やら鉄の精錬の助言をしつつ、ここのところ工業村におられるおふたりだ。


 あいり様は放っておくとなにもおっしゃられず顔色も変わらない。ケティ様もそうだが、それ以上ではと思うほど。ただ、あいり様は職人衆が酒を注ぐと淡々と飲んでおられるのでご機嫌はいいように思える。


 そんな宴の場でプロイ様が意味ありげな笑みで、職人衆になにかを話し始めた。


 こりゃ面白いことになりそうだぞ。




Side:牧場村の年配者


「桔梗の方様が無事に赤子を出産されたぞ!!」


 若い者が走って知らせておる声が聞こえる。


「じーじ、赤子生まれたの?」


「そのようじゃの。良かったわい」


 先日には歩ける者らで熱田様に赤子が無事に生まれるようにとお祈りに参ったが、熱田様が皆の祈りを聞き届けてくれたようじゃ。


 あとは、無事に育たれるとよいのじゃが……。


 熱田様よ。命が必要ならば、この年寄りの命を遠慮なくお持ちくだされ。どうか赤子の命だけは……。


「じーじ?」


「神仏に祈っておっただけじゃ」


 神仏に祈っておると幼子らが真似をする。先に死ぬのは年寄りでええ。年寄りが先に死ぬのが当たり前なのじゃ。特にわしはもう十分すぎるほど生きた。その代わり久遠様のお子やこの子らには、わしより少しでも長く生きてほしい。


「おーい、祝いの餅と酒を配るから手伝ってくれ」


「はーい!」


 ああ、若い者らは祈ってばかりもおれぬか。幼子らも近隣の者らに祝いの品を届けるために働かねばならん。わしももう少し足が良ければ働けるのじゃがの。


 まだ働けぬ幼子らの面倒を見つつ、わしは祈るしか出来ん。


 それが、なんとももどかしいの。




Side:山の村の長老


「おお、そうか! それは良かったのう」


 殿の子が無事に生まれたと早馬の知らせが届いた。


「祝いの品を贈らねばならんの」


 清洲や那古野は賑やかなれど、ここは穏やかで静かな村じゃ。そんな山の村も少し変わった。 


 幾人かの若い者は領内で炭窯を教えるべく留守にしていて、若い男手がなくば困るだろうと久遠家中の者らが助けにきてくれておる。


「明日には贈り物を届けに行くか!」


「喜んでくれるといいな~」


 熱田のお子のためにと、すでに積み木や獣の彫り物などは用意してある。村の彫り物自慢の者が丹精込めて作ったもので、清洲や那古野では売りに出すとすぐに売れると評判のものじゃ。


 喜んでもらえるか分からぬが、この山の中では他に用意出来るものがないからの。


「わしらの命など、いつ投げだしてもよい。久遠様のお子だけは無事に育ってほしいものじゃ」


 ひとりの年寄りがそう口にして手を合わせた。生まれた子は七つを迎える前に御仏に召されることは多い。昨日まで走り回っておった子が突然いなくなるのだ。


 そんなことを乗り越えて、わしら年寄りはこれまで生きておる。


 生まれたことは喜ばしいが、なんとしてでも無事に七つを迎えてほしいと祈らずにはおられぬ。


「さあ、今夜は皆で宴とするか」


「そうじゃの」


 殿からはお子が生まれたら皆で宴をするようにと酒や食べ物を頂いておる。生まれてきた子を皆で祝ってやらねばならぬからの。


 いつか殿にはお子を連れてこの村に来ていただきたいものじゃ。山の暮らしをお見せしたいからの。




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