第千百九十四話・新年を迎えて

Side:不破光治


「賑わっておるな」


 関ヶ原の町は今日も賑わっておる。数年前まではここに町などなかったとは思えぬほどになったわ。


 近頃では居城の西保城より関ヶ原城におることが多い。とはいえ、わしなどいいほうで、安藤殿など数えるほどしか生まれ故郷の城に帰れぬとか。代官の役職がある伊勢亀山城と清洲の屋敷を行ったり来たりしておる。


 立身出世するのは有難いことだが、おかげで己の城にも帰れんとは皮肉にも思えるな。


 ここ関ヶ原城は昨年末にようやく築城が終わった。当初考えておったより幾分か簡素にしたところもあるが、それでも近隣では難攻不落の城と言えよう。


 もっとも今の織田で籠城などすることはあるまいが。


「殿、流行り風邪の者が増えております」


「またか。手筈通りに致せ」


 毎年、冬になると病に掛かった旅人が増える。流行り風邪に罹った者は領内に入れることを禁じられておるが、放っておくと関所の外にある町で病を他の者にうつしてしまうのだ。やむを得ずあとで働いて返す条件で薬を与えて手当てをしておる。


 近頃は北近江三郡からの流民も多いゆえ、病が流行ると面倒なことになるからな。


「清洲はいかがでございましたか?」


「ああ、若武衛様の元服もあって大層賑やかであったぞ」


「我らにまで祝いの品が届きました。驚いておった者もおります」


 であろうな。わしは事前に知らされておったが、それでも驚いたものだ。織田の領国だけでいかほどの武士がおるかと考えると、その力を改めて思い知らされたわ。


 身分が低き者には酒と餅が与えられた。それなりの身分の者には、酒と餅に尾張で焼いた焼き物を与えたようだ。磁器というたか、今までの焼き物より薄く美しい品だ。以前は大陸から得るしかなかったが、今では尾張で作っておるのだそうだ。


 久遠殿のすることはわけが分からぬこともあるが、己で作れるものは作るという考えはよう分かることだ。


 他国では真似することも出来ぬであろうがな。


「それと賊が増えております。畿内より食い詰め者も来ておるようで……」


「またか。警備兵で足りぬならば人を集めよ。決して領内に入れるではないぞ」


「はっ、かしこまりました」


 富める地を治めるというのも楽ではないな。奪うことは容易いが、守ることは難しいわ。大殿からはこの手のことに銭を惜しむなと下命を受けておる。武士は少ない銭で功を上げようとする吝嗇な者が多いが、久遠殿がそれを嫌うのだ。


 与えるべき銭は与えて働かせる。それこそ正しき政だという。少し考えてみれば当たり前のことだと分かるがな。下々の者も皆、暮らしがあるのだから。


 かつて都に近い近江を羨んだこともあるが、立場が逆になるとはな。世の中なにが起こるか分からぬものよ。




Side:六角義賢


 北近江三郡と甲賀にて、ようやく新しき政を試すことが出来たと思うたところに懸念するべき知らせが舞い込んだ。今度は北伊勢だ。


「梅戸か。あそこも扱いに悩むところよな」


 北伊勢に残る梅戸の領地が相も変わらず上手くいっておらぬ。罪人を使い荒れた田畑を直させておったのはよいが、罪人どもが逃亡しては領内や織田領まで荒らしておるのだ。さらに織田方との暮らしの違いに民が不満を抱えていて、流民となって逃げる者が増えておるらしい。


 無論、武士にも不満がある。従属させた千種に至っては現状に不満らしく、養子として送り込んだ後藤家の者らと対立しておる。


「梅戸と千種には無量寿院からも文が届いておるようでございます」


「勝手なことをするなと厳命せねばならぬな」


 坊主とはかように愚かなものなのか? 暴利を得るような値で品物を売っただけで、わしがすっかり味方と思うておることに呆れるしかないわ。


「ただ、千種家のほうは……」


 そうなのだ。梅戸の当主はわしの叔父ゆえ、まだわしの命に背かぬが、千種は分からぬ。場合によっては北隣の梅戸を攻めても驚かぬ。


 次男を養子として出した後藤但馬守が申し訳なさげな顔をしておる。但馬守も苦労しておるのは承知のこと。他家を掌握するには相応の時がいるのだ。


 織田が変わるのが早すぎてこちらの身動きが取れぬとはな。


「織田との格差は開く一方でございますな」


 そんな後藤但馬守を見て、平井加賀守がため息をこぼした。織田の領地は人も銭も米も十二分にあって織田の下知の下で一気に変わってゆく。それと引き換え、我が六角家はこの有様だ。


 戦だと? 出来るわけがない。勝てぬのだ。仮に一戦勝ったところで後が続かぬ。


「商人は東海道を使う者が増え、八風街道を押さえる利も減り申した。場合によっては手放して損切りした方がよいのでは?」


 この話になると皆、口が重くなる。そんな中、蒲生下野守が誰もが考えはしても言えぬことを躊躇わずに口にした。


 北伊勢においても、北近江三郡や甲賀のように六角家直轄で新しき政をすることも考えておるが、梅戸の叔父上や八風街道や千種街道に利がある者らのことを思えばわしからは言えぬのだ。


 蒲生家もそのひとつなのだが、蒲生下野守はそれを諦めるというのか?


「今のところ北伊勢が治まっておるのは、織田が荷を安く売ってくれておるからでございます。織田の配慮がなくば持ちませぬ」


 蒲生下野守の言葉に後藤但馬守はいかがするかと思うてみておると、渋々という顔をしておるが、異を唱えるどころか認めるようなことを口にした。北伊勢の扱いは後藤但馬守も悩んでおるからな。


 確かに無量寿院のように織田が商いの配慮を止めると梅戸は持たぬであろうな。口惜しいが織田の配慮で維持しておる領地なのだ。梅戸家にはそのことを今一度理解させねばなるまい。




Side:久遠一馬


 リリーが新しい大根の漬物を持ってきた。これ元の世界のいぶりがっこだね。


「これはまた美味しいね」


「美味しゅうございますね」


 ちょうど学校帰りのお市ちゃんがいるので一緒に食べているけど、お市ちゃんも喜んでいるね。ポリポリという歯ごたえもいぶした風味もいい。


 温かい煎茶がよく合う。ああ、ご飯も欲しいなぁ。ただ、そうなると完全に食事になってしまう。


「いぶし漬けよ。作ってみたの」


「いいね。どのくらい作ったの?」


「それなりに作ったわ。一通り贈るわね」


「うん、お願いね」


 今年は大根が豊作らしい。たくあんも評判はいいけど、別の漬けかたのものも幾つか牧場では試していたらしい。


 北畠家の晴具さん、喜ぶだろうな。ウチのたくあんと北畠家のたくあんの味が違うというので、城の料理人が漬け方を教えてほしいと頼みに来たほどだ。特に秘匿する技じゃないからと先に文で教えたんだけどね。それだと満足できなかったらしい。


 べったら漬けとかも漬けたけど、あれ保存に向かないから信秀さんとか信長さんたちに少し贈ったくらいだ。あとは酒粕を使った奈良漬けとかも美味しそうだな。


 お市ちゃんからは学校での出来事を教えてもらう。アーシャの代わりに学校を差配しているギーゼラからも報告はあるけど、子供たちの噂話や日常の様子とかお市ちゃんの話は結構役に立つ話が多いんだ。


「なるほど」


「はい。堕落したお坊様をいかにするか、皆で話しました」


 今日の話はちょっと返事に困る話だった。無量寿院との調停以来、領内では堕落した無量寿院を許すなという過激な意見まであるくらい反感が高まっているけど、まさか子供たちにまで堕落したお坊さんの話題が伝わっているとはね。


 どうやら沢彦さんが上手く教え導いたようで、無量寿院とは関わらずに自分たちは真面目につとめるお坊さんと一緒に国を良くしていこうと収めたらしいけど。


 なんかあるとすぐ力ずくで解決してしまえという強硬な意見が、この時代では多いんだよね。


 義信君が元服したことで子供たちの様子がどうなるかなと思ったけど、上手くいっているようで良かった。まあ、義信君自身はまだまだ学びたいというので、しばらくは清洲城で義統さんの仕事を学びつつ学校にも通うらしいけどね。やっぱり学校に通うのが楽しいんだろうな。


 あと、最近特にお市ちゃんの評判がいいんだ。一族の子供たちに声をかけて子どもたちだけで新年の宴をしたことで評判を一気に上げた。その席で一族の子供たちを学校に誘っていたらしく、今まで所領にいて来なかった子なんかも来るようになったみたい。


 なんというか、身分の違いを上手く利用しているよね。


 さすがに大殿の姫に誘われたら一度は行かないと駄目だしね。織田一族でも長男や次男はともかく、三男以降だったり庶子だったりすると学校に通っていない子がそれなりにいたんだ。でも織田一族の子たちには将来は全員が織田家を支える一員になってもらわないと困るからね。


 要領がいいというか、なんというか。


 将来が楽しみだね。史実と違い、織田家を背負ってくれるエルのような女性になるかもしれないな。


 お市ちゃんが大人になる頃には、オレの役目もお役御免となって島でゆっくり出来るかもしれない。それだけみんな変わり続けていて頼もしい。





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