第千百七十六話・冬の何気ない日

Side:沢彦宗恩


「沢彦殿、いかが思われる!」


 語気を荒らげる男にわしは穏やかな笑みを見せて聞き役に徹する。人は誰かに打ち明けねば収まらぬことがある。そのような者らの話を聞いてやるのもまた僧侶としての務めというものじゃ。


 話すことは多岐にわたるが、その者にとっては重大なことじゃ。


「されど勅願寺であろう。粗末には扱えぬ」


 目の前の男は尾張高田派の僧侶だ。わしに無量寿院の無法を許してよいのかと、織田の大殿に諫言せよと言うてきた。


 大殿ばかりか守護様や久遠殿とも誼が深いわしには、このような話も多いのじゃ。


 民ばかりか武士や同門の僧でさえも、上からものを言いつけるばかりの無量寿院には腹に据えかねておる者が多い。領内では余計なことは言わず従えと命じられたことで話しても無駄だと諦め、本山を変えた寺もある。


 仏の教えを守り、仏道に精進し、民を救う。それが本来の寺社の姿じゃ。無論、今の世で本来の姿を守る寺社は多くあるまいが。


 真宗の総本山を称する無量寿院であっても、体裁は取り繕うておるが内情は堕落しておるみたいじゃからの。尾張ではそのような寺に厳しき者が増えた。


「大殿はの。兵を挙げることで領内の民が苦しむことを望まぬのじゃ」


 久遠殿が来て以降、尾張の寺社は変わった。久遠殿は権威や力には屈せぬ。されど、世話になった寺社や困窮しておる寺社には自ら寄進をされる。その姿に己らを律する僧侶や神官が増えたのじゃ。


 無量寿院のこととて同じこと。教え導くはずの本山の堕落に許せぬと語る者が多い。無量寿院も本来あるべき姿に戻れと望む。喜ばしいことではあるが、いささか危うい。


 人は愚かなものだ。大寺院になればなるほど俗世と通じるのは知る人ぞ知ること。


 結局、尾張高田派の者は最後まで納得のいかぬ顔をしながらも、話したことで相応に納得して帰った。寺社よりも領内の者のためというと相応に納得するのじゃ。




「ご苦労様だね」


 一息つくと、ギーゼラ殿が労いの言葉をかけてくれた。この世は筋が通らぬことばかり。難しき世であるとよく知る御仁じゃ。


「世のことや寺のことを考える。喜ばしいことじゃがの。いささか短慮と言えよう」


「確かにねぇ」


 無量寿院のことはわしも思うところがある。されど、この末法の世は誰かに責を負わせるようなものではない。勅願寺に任じた朝廷の面目も潰すわけにはゆかぬ。


 朝廷を潰すのかとまで問わねばならなくなる。誰も左様なことは考えておらぬというのに。


「仏道を疎かにする者にはいずれ天が裁きを下すであろう」


 世は変わりつつある。それは喜ばしきことじゃが、堕落した者など相手にするに値せぬ。


 今、日ノ本の仏道は岐路に立たされておる。御仏がこの世を憐れみ、御仏の名を騙る者を許すとは思えぬのじゃ。


 人々が皆、世の行く末を真摯に考え、仏道を重んじる世がきてほしいものじゃの。




Side:久遠一馬


 無量寿院への物資の流通の報告が上がってきた。商人や忍び衆からの情報だけど、販売禁止にした品物の迂回販売も含めたものだ。


「しかしまあ、ちょっとは節約しようとか思わないのかね?」


 一言でいえば無量寿院は以前と大差ない品物を購入している。でも支払う金額ははるかに大きくなっているはずだ。


 この状況で浪費をしていることには、正直、信じられないところがある。危機感はないんだろうか?


「それをすれば己らが織田に負けたと、こちらに思われることを嫌ったのでありましょう。それに人は贅沢を覚えると容易に質素な暮らしに戻ることなども出来ませぬ」


 資清さんは相変わらず冷静だ。ただ言っていることはもっともなんだよね。


 北畠や六角は、すでにウチの商品など織田が無量寿院への販売を禁止した品物に関しては掛け売りを止めて、対価との引き換えでの販売に切り替えている。証拠を残さないようにしたいとか、上手い言い訳を考えて提案し無量寿院が受け入れたらしい。


 無量寿院が混乱して代金の踏み倒しの可能性があるからと警告したからだろう。実際、エルたちの予測でもそう長く持ちそうにない。


 対価は各地から上納された金や米、それと各地の産物などで支払っているみたいだ。どうやら無量寿院は、北畠や六角が完全に味方だと思って安心しているみたいだからな。


 軍資金や兵糧が心許なくなっても味方がいるから不安にならないらしい。




 そんな報告が終わって一息つくと、お清ちゃんが大根の煮つけを持ってきてくれた。ちょっとしたおやつみたいなものだ。


 季節は冬。大根が尾張では出回っているんだよね。作付面積を一気に増やしたからなぁ。


「いかがでございますか?」


「うん。美味しいね。よく味が染みてるよ」


 出汁と醤油で煮付けた料理だ。箸を入れると、中まで味が染みているのが分かる。一口食べると大根と出汁と醤油の優しい味がする。これはご飯と一緒に食べたいなぁ。


 資清さんは、娘の作った大根の煮つけを食べて嬉しそうにしている。毎日のように顔を合わせているけど、娘が元気に充実して暮らしている姿は見ていて嬉しいみたいだ。無論、大袈裟にしているわけじゃないけど。オレには分かる。


 オレも人の親になったからか、父親のそんな表情が分かるようになった気がしている。


 大根に関しては、今年は近江と伊勢のプランテーションでも裏作として主に植えている。織田領で買う予定の作物だけど、自分たちで食べるのは構わないと言ってある。美味しいので評判は上々だ。


「ああ、リリーに大根を漬物にしたら北畠家に贈るように伝えておいて」


「はい。畏まりました」


 晴具さん、ウチのたくあんが好物なんだよね。今年は北畠家にも漬物の作り方を教えたので作っていると思うけど、漬物って塩加減とかで味が変わるからな。ウチで漬けたものも贈っておこう。


「ちーちだ!」


「しゃむい」


 先日から歩くようになった大武丸と希美は、行動範囲が一気に広がった。ロボとブランカが最近はあきらに付き添っていることもあり、その子であるふうはなとか他の子たちと一緒に屋敷の中をよちよちと歩いている。


 無論、転んだりしないように侍女さんとかが離れずに面倒を見てくれているので助かる。


 そんなふたりが部屋に入って来た。廊下が寒かったんだろう。大武丸と希美は寒そうにオレに抱き着いてきて、資清さんには風と花たちが絡んでいる。


「寒かったか~、ほら暖まって」


 足には毛糸の靴下をはかせているけど、手が冷たくなっている。だるまストーブで体を暖めてやりつつ、手を握って暖めてあげる。


 立派な屋敷なんだけど、広すぎるし気密性が低いから屋敷の中も結構寒いんだよね。


「あら、ここにいたの? 新しい絵書物が出来たわよ」


「めるまーま!」


 体が暖まり、部屋で遊び始めた頃、メルティが絵本を持ってきた。ふたりは絵書物と聞いて嬉しそうに駆け寄る。


 絵書物。絵本のことだ。いつの間にかそんな呼び名になっているんだ。


 ふたりがメルティを挟むようにお座りすると、絵本の読み聞かせを始めた。行儀いいな。もっと自由でもいいと思うくらいだ。


 午後は牧場にでも連れていってあげようかな。ウチの家臣とかも幼い子供たちを牧場に連れていくことが多い。


 保育園というわけではないけど、集団生活に早くから慣れさせることはいいことだからね。子供たち同士で遊ばせるのもいいし、オレも勧めているんだ。


 孤児院の子供たちは幼児に慣れているから、みんなで面倒をみてくれるしね。


 本当にみんな頼もしい。もう、このまま織田領だけで平和に生きたほうが面倒事がなくて発展出来るんだけどね。


 まあ、そうもいかないのが世の中だね。



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