第千百六十一話・婚礼を前に

side:滝川益氏


「彦右衛門殿も慶次郎殿も婚礼を挙げたし、これで一息つけるわねぇ」


 早う婚礼を挙げて子を見せろと騒いでおった年寄りが、今日は楽しげにしておる。わしは婚礼を拒んだつもりはない。慶次郎と違いな。


 されど、日々変わりゆく御家の立場と、妙年の娘がおらぬことで池田家の事情などもあり今日までずれ込んだ。


 御家では血縁により立場は変わらぬと教えたはずなのだが、年寄りどもはそれで納得致さぬ。なんとも頑固なものだ。


 尾張に来て幾年になろうか。あっという間であったな。甲賀の郷里での日々も悪うなかったが、見知らぬ明日のために今日を生きる今の暮らしはなんと楽しきことか。


 婚礼衣装に着替え終えた故、静かに待っておると織田の若殿がおいでになられ、祝いの言葉をいただいた。


「池田家の者らが一番安堵しておるぞ。かずと八郎があまりに功を上げる故に、池田家では釣り合わぬようになるのではと本気で案じておったほどだ」


 楽しげな若殿に左様に言われては返答に窮する。


「左様なことあるはずがございませぬ。池田家の皆々様には尾張に参った頃より幾度も助けを受けてございます故に」


「分かっておるが、八郎はそれ以上だからな。ここだけの話、そなたの縁談は織田家にも山ほどあったぞ。かずがすべて断ったがな」


 ……それは聞いておらぬ。まことか、と若殿が嘘を言うはずもないか。


「養子にという話も多かったな。そちらもかずがいなくなると困るからと断っておった」


 そちらは聞いたことがある。幾度か養子に出るかと問われたが断ったのだ。今の役目に不満などないし、殿よりおらねば困るとお言葉もいただいたからだ。


 そこまで言われると若殿の顔から笑みが消えて、わしのところに歩み寄られた。


「儀太夫、そなたはこの先なにがあろうと、久遠のために生きよ。勝三郎も理解しておる故、案ずるな。血縁は大事だが、血縁で曲げてはならぬものがある。分かるな?」


「ははっ、お言葉、確と胆に銘じまする」


 若殿……。このお方は相も変わらず臣下を思いやるお方だ。久遠と滝川の立場が難しいことをもっともご理解されておられる。


 今はいいが、大殿や若殿が、もし……。


「婚礼の料理が楽しみだな。こればかりは他では食えぬからな」


 また笑みに戻られた若殿は、そんな言葉を残して去っていかれた。




side:セルフィーユ


 コトコトと煮込む鍋を見つつ、賑やかな台所の喧騒に耳を傾ける。


 生涯で一度の婚礼に相応しい料理で祝ってあげようと、みんなで支度をしている様子を聞くのもまた楽しいわ。


 すずとチェリーは歌を口ずさみながらウエディングケーキのクリームを作っているし、その向こうではケティたちが儀太夫殿の好物を作っている。


 祝いの料理、この時代でもある程度決まっているんだけどね。好物と私たちの料理を加えるなどしていて、他家の婚礼と違うものになっているわ。


 おっと、火力を少し弱めないと。スイッチひとつで火力調整が出来るコンロが欲しいわね。かまどから燃える薪をいくつか取り出して調整をする。


 私が作っているのは、儀太夫殿の好物となるホワイトシチューよ。妻となるおしの殿は多分、食べたことないはずなのよね。口に合うかしら? それだけは少し心配なのよね。


「セルフィーユ、これちょっと味見してほしいのですが」


「……いいと思うわ。あと胡椒を一振りってところね」


 セレスに頼まれて味見をしつつ、こちらも最後の仕上げね。夫婦になるふたりが幸せになるようにと願いを込めて味を整える。


 生涯一度の思い出の料理となるかもしれないし、儀太夫殿に子供が生まれてその子が結婚する時に思い出す程度かもしれない。


 私としてはどちらでもいい。ただ、当人たちも関わるみんなも後悔などしないように最善を尽くすのみ。


「うん、美味しい」


 こっちは大丈夫ね。あとは、ケーキのほうを少し手伝ったほうがいいわね。あれも人数が多い分、大変なのよね。


 そろそろ時間も気になるし、頑張りましょう。




side:滝川一益


 祝いの品を持参する者が後を絶たぬ。織田家中からと、儀太夫が工業村代官の名代として勤めておる故、職人衆からの祝いの品が多い。


 尾張の職人衆は豊か故、武士に負けぬ祝いの品ばかりだ。中には、まだ世に出しておらぬ品まであるではないか。


 父上は左様な祝いの使者を迎えつつ安堵しておられる。今は亡き儀太夫の父も泉下で喜んでおろうな。


 殿にお仕えしたからか、儀太夫と慶次郎は己の家を持つということをあまり望まなくなった。儀太夫は拒むほどではなかったが、役目をまっとうすることを喜びとしておったからな。


「肩の荷が下りたな。あとは、そなたたちがわしの役目を継いで御家を支えてくれれば言うことはない」


 父上の言葉に思わず苦笑いを見せてしもうたかもしれぬ。


 武芸も用兵も人並の父だ。されど、久遠家の家老職では並び立つ者がおらぬ。望月出雲守殿が案じておったくらいだ。父上の跡が困るのではとな。


 わしは跡を継ぐべく励んでおるが、なかなか上手くいかぬ時もある。殿とお方様がたのお考えを理解して、下の者らと繋ぐ。一言でいえばそれだけなのだが……。


「一族で争いだけはするな。誰かが抜きん出て己を超えても、それは次の世のため。そなたらは皆、己が役目をまっとうするのだぞ」


 幾度も聞いた言葉だ。父上は未だに案じておるらしい。わしや儀太夫、慶次郎ならばいいが、その子の代になると争うのはあり得ることだとな。


「父上、今日は祝いの日でございますれば……」


「おっと、そうであったな。済まぬ」


 父上は祝いの日故に、恐ろしゅうなったのであろう。滝川一族の先が。


「わしが過ぎたる名を得てしまった故に、そなたらに苦労を掛けるかと思うと案じてしもうてな」


 過ぎたる名か。左様に思うは当人くらいであろう。近頃は、そろそろ隠居も考えねばと口にする時もある。


 もっとも、父上に代わる者などおらぬ現状では、それは難しきことだが。


 そもそも父上が名を上げることが、ここで止まるのか分からぬ。わしはむしろ殿と共にこれからも名を上げるのではと思うておるくらいだ。


 いつか父上を超して、憂いなく隠居させてやりたいが。いつになることやら。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る