第千百三十四話・第六回武芸大会・その八
Side:愛洲宗通
「この
次の出番を待っておると、ふと昨年の武芸大会の後に兄弟子に言われたことを思い出してしまった。
『父の名を汚した』『陰流の恥さらし』他にも言葉の限りを尽くして罵倒された。女にも勝てぬ程度の相手に負けたという理由でだ。
そんな兄弟子らも、今はいずこにおるのやら。
負けたのは己の力が足りなかったためだ。わしは一切反論せなんだが、事が北畠の御所様の耳に入ると兄弟子らは怒りを買うた。
唐突に御所様に呼び出され、それほど己の力が優れておるというのならば、己の力で生きていくがよいと兄弟子らは着の身着のまま追放されてしまった。
ある者は父の弟子で一番とも言われる、上野の上泉殿を頼り東に行ったとも聞く。またある者は戦の多い西国へ向かったとも聞いた。
すでに消息も途絶えており、こちらからは探す気はない。
あれからわしは御所様に請われて、北畠家中と尾張にて剣を教えておる。特に尾張においては強い者が多く、わしの鍛練にもなる。父のことや兄弟子らのことなど、思い出すこともないほど忙しき日々であった。
「奥平殿か」
名を呼ばれて試合の場に行くと、奥平殿が見えた。三河の出で、すでに織田家中でも名の知れた男だ。幾度か手合わせをしたことがあるが、粗削りながら才のある男に思えた。
「お願い致す」
共に木刀を構える。今年からは鍛練で用いる防具を身に着ける決まりとなった。そのようなものなど要らぬという者も多いが、怪我人が出ぬようにという配慮も分かる。木刀が当たれば骨折や死ぬこともあるゆえな。
歳の頃はわしとさほど変わらぬ。奥平殿は三十にならぬくらいであろう。されど腕前はわしが上であった。以前に手合わせをした際にはな。
といっても油断出来る相手ではない。そもそも尾張に来るまでは確かな師を持たず我流で鍛練をしていたというだけあり粗削りだったのだ。それが尾張で柳生殿らの教えを受けて実力を上げておる。
「参る!」
ああ、相も変わらず荒々しい剛の剣だ。ただひたすらに剣の道に精進をしておったのであろうことが分かる。
されど、動きが以前とは違う、鹿島新當流や久遠流に我が陰流も学び己の技としておる。才ある者とはこういう者なのだなと教えられるようだわ。
ふと笑みがこぼれそうになる。昨年、柳生殿が強いわしと手合わせを出来て喜んでおった心境が少し分かるような気がした。
「うおおおお!!」
「一本! それまで、勝者、愛洲!!」
昨年ならば負けていたやしれぬ。尾張に来るようになり、多くの相手と手合わせをしてわしも学んだのだ。特に鹿島新當流と久遠流は学ぶべきことが多いと今でも思うくらいだ。
「やはり、勝てなんだか」
「戦場ならば違う結果であったやもしれぬがな」
奥平殿は穏やかな顔で己の負けを受け入れた。力の差はあった。とはいえそれは一対一の試合ならばこそ。
「次こそは負けませぬ」
「わしも負けぬよ」
敗れても次がある。剣に命を懸ける者からするとぬるいという者もおろう。されどわしはこれでよいと思うようになった。
控えの席に戻ると、御所様がわざわざ訪ねてきてくださった。
「これは御所様」
「なかなかの試合であったな」
ご機嫌はよいようだ。もとより武芸を好まれる故、わしのことを随分と気に掛けていただいておるが。
「ここまでくるとそう容易く勝てませぬ」
「羨ましい限りだ。わしも出たいのだがな。立場があるゆえな」
少し苦笑いが出そうになる。確かに御所様はお出になれまい。さすがに斯波家と織田家としてもそれだけは困ろう。北畠の面目もあるのだ。
わしもそれを忘れたことなどないが、御所様は楽しめと言われる御方だ。城と領地を守り生きるという、古くからの習わしをあまり好まれぬ。
「小七郎。世は変わるぞ。そなたの剣。決して移香斎に負けておらぬ。それを示せる世が来るはずだ。楽しみにしておれ」
「はっ」
北畠家中ではあまりに織田贔屓な御所様に不満を抱く者もおると聞くが、御所様はそれもご存知の様子だ。
父上に負けぬか。まずは次の試合で勝たねばなるまいな。
Side:吉田重政
身分に問わず、多くの者が惜しみなく褒め讃える姿に、同じ六角家中の者らも幾分羨ましげにしておる。
新参者が勝っても怒るわけでもなく相手を讃える。内心ではいかに思うておるか分からぬが、そのような姿を見せるだけで敗れた者も己の器の大きさを示せる。
武衛様か、内匠頭様か。いずれの差配か知らぬが見事なものよ。
気になっておった弓の一番は美濃の大島殿であった。久遠家の太田殿との一騎打ちであったが、僅かな差で勝った。
己の力と技をさらけ出す恐ろしさもあるが、数多の者らに褒め讃えられる姿はやはり武士として羨まずにはおられぬというところだ。
場が少し静かになったのは、そんなふたりの前にひとりの女が姿を見せたからだ。銀の髪をした女だ。噂の久遠家の奥方であろうか。
「まさか……」
かの者の姿が袴だったことと、控える家臣が持っておる弓に織田の者らが騒然とし始めた。
「ほう、氷雨殿か。よく出ましたな」
「皆で勧めておったのだが、気が進まぬと出てくださらなんだというに」
織田家中の者らが驚く女か。
噂の今巴の方と双璧をなす奥方として織田家中では知られておるが、当人があまり武功を求めておらぬようで、人前で技を見せることがなかったと世話をしておる者が教えてくれる。
「愛洲殿のこともあったからな。この機に皆に分かるようにと、わしから頼んだのだ」
仔細を話す内匠頭様の言葉に、北畠家の者らがいかんとも言えぬ顔をした。
陰流の愛洲。先代が名の知れた武芸者だったな。先ほどの試合で勝った愛洲殿を昨年負かした相手が久遠家の奥方に負けたことで、領地に戻ってから兄弟子らに罵倒され大事になったのだとか。
試合を見れば分かるが、罵倒するような力量ではあるまい? 兄弟子らとはそれ以上の腕前なのであろうか? いや、違うな。先代の威光を笠にきて好き勝手しておったのであろう。
「なるほど。弓ならば手加減のしようもありませぬからな」
射る場は先ほど大島殿と太田殿が勝負したその場だ。両者が見守る中、女が引けるのかと思うような立派な弓を手に持つと軽々と引いてみせた。
その姿に震えがくる気がした。
なんと無駄のない姿勢だ。思わずまことに女かと問いたくなった。
「おおっ!!」
これだけ多くの者が見ておる中でも一切の気の迷いもなく射た矢は、一の矢からど真ん中に命中して耳が痛くなるほどの声が辺りに響いた。
初見で、しかもあの的の真ん中とは……。
「なっ!!!!」
騒がしい最中に平然と二の矢を放ったその先に、思わず声を上げてしまったわ! あり得ぬ!!
「まさか……」
御屋形様もまた信じられぬと目を凝らしておる。二の矢が命中したのは他でもない。最初に射た一の矢に命中したのだ。寸分の狂いもなく同じところに命中させるとは。
継ぎ矢とは……。
「そなたなら出来るか?」
「……難しゅうございます。鍛練を積み、幾度か試してもよいのならあるいは」
御屋形様もまた我が流派の極意を学んだほどの弓の使い手。その御屋形様をもってしても無理だと思われたのだろう。他意はなくわしに問われたが、わしにも無理だ。
幾度かやれば出来なくもあるまいが。されど、このような場で一度で決めるなど出来るものではない。
「あれを見せられると大島殿も太田殿も形無しだな」
「あのふたりは日頃から氷雨の方に師事しておるのだ。当人たちは慣れておることよ」
ふと織田家の者らの話が聞こえてくる。それほど驚いておらぬことが信じられぬ。
顔色が悪いのは六角家と北畠家、それと東三河の者らなどか。女に武芸で負けたとなると恥にしか思えぬが、同じことをしろと言われて出来るものではない。
己の武功や力を誇りたい者は多かろうが、あのような技を見せられた後ではなにをしようと霞んでしまうわ。
◆◆
天文二十二年、秋。第六回武芸大会において、氷雨の方こと久遠セレスが模範演技を披露したことが記録として残っている。
織田家中において、今巴の方こと久遠ジュリアと双璧を成すと言われたほどの武術に精通したセレスであるが、彼女はこれまで武芸大会に出ておらず裏方に徹していた。
彼女に関しては武功を求めるような性格ではなかったことが同時代の資料から窺えるが、前年の第五回武芸大会において決勝で敗れた陰流の愛洲宗通が兄弟子たちに敗れたことを酷く責められたのがきっかけであるとされる。
この場にてセレスは継ぎ矢を披露して、見ていた者すべてを驚かせている。
後年、彼女はこの件に関して運が良かったと控えめに語ったという記録が残るが、この年以降、彼女たち久遠家の奥方衆が武芸大会にて技を披露することとなる。
ジュリアの力量を疑い、敗れた者たちを愚弄する声はこの継ぎ矢をきっかけとしてなくなっていくこととなった。
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