第千百二十二話・揺れる飛騨・その二
Side:織田信秀
尾張に来た姉小路殿が唐突に臣従をしたいと口にすると、上座におられる守護様はさすがに驚かれた顔をした。
「姉小路殿。なにかあったのか? 困りておるなら話してくれれば力になれるかもしれぬが……」
守護様は京極の一件でなにかあったのかと思われたのだろう。正直、飛騨はこちらから頭を下げてほしい地ではない。銭なりで助けて上手くいくならば、それでもいいのは確かだ。
「すべては姉小路の家のため。すでに姉小路家に飛騨をまとめる力はあらず。口惜しいが、吾ではこうするよりほかにございませぬ。無論、他の者と同じく内匠頭殿に臣従を致しとうございます。何卒、お許しいただくよう伏してお願い申し上げまする」
己の力量と世の流れを悟ったか。きっかけは京の都や駿河、越前の公家と会うたことか、京極の一件か。
実のところ、姉小路殿はなにかに秀でた男ではない。近年は三木に脅かされ、家臣もまた信のおけぬ者ばかりであると聞く。よくあるといえばそれまでの男。
家柄は良いが、それだけで国が治まるほどこの乱世は容易くはない。心情は理解するが……。
「内匠頭、いかがする?」
「断れますまい。されど、条件は変えられませぬ。無論、今後には配慮いたしまするが。それでよろしゅうございますか?」
「構いませぬ。飛騨におっては姉小路家に先はない。都や駿河や越前の公家衆と会うてそう理解しました。世の流れも知らず話にも付いていけぬ。尾張がこれほど変わっておったことも一切知らされておりませなんだ。さらに家臣とて三木の顔色を窺う有様」
世の流れか。駿河や越前の公家衆は、国司として残る姉小路を羨んでおったくらいなのだがな。とはいえ、内情は苦しいか。三木か。あそこは確かに飛騨では力のある家であるが……。それでも京極を担がなんだことで、己の立場は理解しておるのだがな。
とはいえ、姉小路にはこれ以上いかんともしようがないのも事実か。
無念さを滲ませながらも致し方ないと考えたか。凡庸な男という見立ては改めねばなるまいな。なにもかも得ようとするのは難しいのだ。領地を明け渡しても家を守りたいと決めたか。
なかなか出来る決断ではない。
「また所領が増えたの」
「今川や武田が知ればいかような顔をするのでございましょうな」
姉小路殿が下がると守護様が少し困ったように笑われた。いささか早いと言うのは贅沢な悩みなのであろうな。
奥三河を含めた東三河もほぼ臣従すると言うてきておる。飛騨をいかがするか考えねばならぬ。
任せるのは美濃の山城守でいいかもしれぬ。やることは今までとあまり変わるまい。あとは一馬と話してから決めることにするか。
「しかし、こうしてみると道を広げるというのは理に適うの。そのために鉄をつくり、鉄の鍬や鋤を造っておったのであろう。たいしたものよ」
守護様はふと懐かしげに語られた。一馬らが尾張にきた頃、初めに始めたのが鉄をつくることだ。あれの利だけでも莫大だ。さらには武具よりも先に作らせた農具が領内には欠かせぬようになった。
今思えば、一馬らは領地が広がったあとも考えて動いていたのが分かる。
一馬らが面白うない者もおろう。されど勝てぬ以上、敵にはまわりたくないのもまた武士の本音なのだ。
一馬は飛騨をいかにするのであろうな。楽しみだ。
Side:久遠一馬
今日にも六角家一行が尾張に到着するというのに、飛騨の姉小路家が臣従すると言いだすとは。
今のところ経済的な侵略しかしていないんだけど。
飛騨はそこまでほしい場所ではないが、あそこを手に入れると日本海側に出る目途がつく。まあ飛騨の北にある越中がまた面倒なんだけど。
森林資源もあるし、未発見なものを含めて鉱山も結構ある。あと下呂温泉もあるんだよな。あそこには。北と東美濃を含めて地域の開発計画を立てる必要がある。
ただ、これに微妙に絡む新しい問題を持ち込んだのは、近江から戻った菊丸さんだった。
近江にて京極に沙汰を下して、六角家の皆さんに武芸大会に来るようにと指示して戻ってきたそうだ。
「京極殿がですか?」
「ああ、まさか三木の倅に家督を譲ると言いだすとは。三木も面倒なことを言わずに観音寺城に送り出したようでな」
それはいいんだが、京極高吉が三木直頼の子に京極家を継がせたいと言いだしたとのことで、オレたちも驚かされる。
同じ佐々木源氏の嫡流である六角から養子を迎えるものだとばかり思っていたのに。
「オレが三木に文を出したことは他言無用ということにした。あれはいかんともしようがない男だが、もう歳だ。大人しゅうなるなら三木に継がせればいい。管領の下に戻られるとまた騒ぐからな」
京極高吉はよほど六角が嫌いらしいね。三木はこちらに京極高吉のことをチクったことを隠していたらしく、菊丸さんも六角もあえてそれは教えていないらしい。
もう全部隠して、三木の養子を迎えることで収めたいというのが義藤さんや六角の本音らしい。これ以上、騒がれても得はないからなぁ。
「姉小路家が織田に臣従すると言っています。三木はどうするのやら」
「ほう、京極の名でおかしなことをするのならば潰しても構わぬ。また誰か別の者に継がせればいいだけだ」
姉小路家の家臣である三木さんに京極の家を継がせるとは。一応血縁はあるみたいだけど。
史実において姉小路嗣頼と名乗った三木良頼に継がせるんだろうか? 歴史の皮肉というわけではないのだろうが、こういうことになるとは思わなかった。
菊丸さんは、しばらく卜伝さんたちと一緒に武芸者としてウチに滞在するらしい。京極高吉とか顔を知る六角の人たちがいるからね。清洲城での滞在は面倒になる。
真柄さんもいるけど、まあ大丈夫だろう。
菊丸さんとの話を終えると、主上の和歌の展示の視察と確認をするために熱田屋敷に寄った。妊娠中のシンディの様子も見たかったからね。
「シンディ、どうだ?」
「ええ、順調ですわ」
万が一もあるので医療型の妻がひとり熱田には待機している。とはいえ、こうして顔を合わせて順調なことを確認するとほっとするね。
カフェインの入った紅茶はあまり飲まないようにしているらしい。それが少し物足りないと笑っている。
「リースルとヘルミーナは忙しいか」
「そうですわね。リースルは熱田神社と打ち合わせで、ヘルミーナは熱田商人衆と会合ですわ」
シンディが産休ということもあり、熱田はリースルとヘルミーナのふたりに任せているが、織田領の商人組合の件も任せているので忙しいか。他にも短期滞在中の妻たちが協力しているみたい。頭が下がるばかりだ。
今年は和歌が主上ばかりでなく、主立った公卿のものもある。民に和歌を公開するなんて当然ながら前代未聞のことなのだろうが、主上は毎年送ってくれる。
この和歌の権威がまた凄い。国人や土豪の中にはこれだけで臣従をと言いだしてもおかしくない。姉小路さんの臣従も少なからず影響があったとしても驚かない。
当然ながら第一級の警備と準備を今年もしている。
「そういえば、無量寿院と通じている商人が抜け荷に加担していると、ついさっき報告が入りましたわ。聞きまして?」
「いや、まだ聞いてないけど……」
抜け荷か。無量寿院の寺領は、昨年の野分と一揆の影響で荒れていると報告がある。無量寿院の近隣となる長野領自体が一揆勢に結構荒らされたからね。寺領も例外ではないんだろう。
復興もあまりしていないらしいが、あそこは格が高い寺だから各地の末寺から上納金があるんだよね。飢えるほどでもないはずなんだけど。
「無量寿院の総意ではないと思いますわ。ただ欲深い人はどこにでもいますし」
尾張の商品はウチの商品を中心に引く手数多だ。実際、抜け荷は後を絶たないが、無量寿院がこの時期にやっているというと少し見過ごせない。
「ありがとう。調査してみるよ」
蜂起はないと思うんだけど。ただ昨年の野分と一揆で無量寿院も流石にだいぶ蓄えが減ったらしくて、今年は税の取り立てを多くしているなんて聞いているのもある。
念のため警戒しておくほうがいいか。武士と同じなんだよね。統制が甘いのがこの時代の寺社にもある。
飛鳥井さん、上手く収めてくれるといいけど。
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