第千百十話・秋の日のこと
Side:ソフィア
尾張での暮らしもだいぶ慣れました。ここは、噂で聞いていた以上に穏やかで暮らしやすいところです。
驚いたことは、慶次郎様が思った以上に身分のある御方だったことでしょうか。屋敷には奉公人が幾人もおり、滝川家の皆様もよくしてくれています。
ひとつ残念なことは、屋敷からひとりで出られないことでしょうか。本領では市にもひとりで行きましたし、海を見に行くのが好きだったのですが。
那古野は賊などおらぬと聞き及びますが、それでも立場があり、万が一ということがあるのでひとりでは出ないようにと言われました。
無論、外出はしてもよいと言われておりますので不便はありませんが。
私の仕事は病院にて働くことです。本領でも医術を学んでいたこともあり、働きながら学んでおります。
今もひとりの患者の診察が終わり、その診療録を記しています。
「ありがとうございました」
「気を付けるように」
ケティ様の技を見ながらそれを覚えようとしておりますが、なかなか難しいものです。
「島に戻りたくなったら言って。なんとかするから」
患者が途絶えると、ケティ様はふいにそう口にされました。皆が案じてくれます。ですが私はどこに行っても生きていくという決意があります。
「皆様がよくしてくれております。帰りたいなどと思ってもおりません」
亡き父と母にそう誓ったのです。
「私たちはみんな同じ故郷の仲間だから。それだけは忘れないで。すべて己で抱えては駄目」
「はい。本当に後悔などしておりません」
『仲間』それは島の言葉。友であり同じ一族のような親しい者のこと。久遠家の民は皆で助けあって生きているのです。
こうして領主様たちと共に、私は日ノ本と本領を繋ぐべく来たのですから。後悔などしておりません。
それに、皆が私を気遣い、いろいろとしてくれるので本当に感謝している日々です。
Side:アーシャ
「アーシャ様、出来ました!」
少し早いけど、産休に入った私は牧場の孤児院にいる日が増えた。那古野の屋敷で寝泊まりすることもあるけど、もともと親しかったリリーと共にここで暮らす日が多い。
働くことは出来ないものの、孤児院の子供たちと一緒に勉強するのは楽しいので続けている。
「これは凄いわね」
私と子供たちは、学校の文化祭で使う提灯をつくることにしたの。ギーゼラが予想以上に盛り上げちゃって文化祭という名の新しい那古野の祭りになっているけど、その一環ね。
子供たちには提灯の絵を描いてもらっている。それぞれに自由な絵を描いてくれてとてもいい出来だと思うわ。
生まれてくる私の子供も、こうしてみんなと楽しげに笑ってくれるのかしら?
「アーシャ様、だいじょうぶ?」
「ええ、大丈夫よ。ちょっとお腹が空いたかなって」
ふとそう思い、お腹に手を当てていると、ひとりの女の子が心配した顔で駆けてきてくれた。
リリーが我が子のように育てているこの子たちにとって、司令と私たちの子は赤の他人じゃない。大武丸と希美のことを心から喜び、私の子のことも心待ちにしてくれている。
実はリリーにも子が出来るようにと、みんなでこっそりと祈っているくらいよ。
「ほんとだ! おなかすいた!」
「もうすぐ夕ご飯だよ~」
台所から夕食のいい匂いがしてくる。子供たちもお腹が空いたようで待ち遠しいみたい。
今日の夕食はなにかしらね?
「みんな! ご飯の前に歌の修練をするよ!」
提灯作りが終わると、元服したばかりの若い子が子供たちを呼びに来た。
慶次郎の婚礼にみんなで披露する歌の練習をしているのよ。慶次郎は子供たちにお土産をもってきてくれたり、一緒に遊んでくれるから人気なのよね。
尾張のよく婚礼で歌われる歌と、遥々本領からきたソフィアのためにと、本領の歌も披露したいと練習をしているの。本領の歌が元の世界のアニソンになったのはすずとチェリーのせい。
楽しい祝いの歌だなんてごまかしたから、子供たちが頑張って覚えてしまったのよね。
音楽はちょっとカオスな歴史になりそう。司令はそれもまた歴史の時間が解決してくれると言っていたけど。
私はこの世界に来てから、時々祈ることがある。
神仏が本当にいるのか、不明よ。でもね。いないとも確定していないんですもの。みんなの幸せを祈ることにしているわ。
子供たちには希望ある未来が来てほしい。ただそれだけよ。
Side:久遠一馬
慶次とソフィアさんの婚礼の準備が進んでいる。
三三九度とか基本的な婚礼はするが、あとはみんなで宴をして祝おうということになっている。滝川家というより久遠家の本領と尾張の祝い事として、みんなが祝ってやろうと張り切っているんだ。
ああ、菊丸さんは一緒に祝ってやりたいと残念がっていたが、京極高吉との謁見をするために観音寺城に行った。
六角のことも心配しているから、それもあるのだろう。北近江三郡の統治が思った以上に大変だろうと教えたんだよね。
占領地の統治が難しいのは、この時代も元の世界も変わらない。まして長年争っていた相手の領地だと尚更ね。
あの辺りは歴史ある国人なんかが結構いる。そんな国人から土地を召し上げて追放したんだ。すぐに領民も従うはずがない。
一般的に属領の扱いなんてどこも似たり寄ったりだ。武田ほど酷いところは稀だが、新しい領主を歓迎するなんてまずない。与えるなんてありえないし、奪って当然だからだ。
飢えさせないように頑張っている織田でさえ、領民に警戒されていたと春たちが言っていた。昨年あった野分の時の三河や今年の伊勢の戦でも、反発まではされないが潜在的に奪われるのではと警戒されたことが何度かあったらしい。
六角は北近江三郡の謀叛を鎮圧する際に、兵たちが結構暴れたらしいしね。兵たちが刈田して村から略奪するのも黙認していたようだ。まあこの時代ではどんな国の兵でもそれが当然なんだけど。
だから戦も終わり六角家の直轄領となったと言っても、喜ぶところはないだろう。検地や人口調査だって協力するはずもないし、飢えさせないためにと六角がいろいろしようとしても信じてもらえるはずがない。
とはいえ、こればっかりはなかなか解決策がない。六角方の生き残った国人は浅井家とかあるけど、下手すると裏切り者と思われている可能性もあるし、彼らが前面に出ても余計に反発されるだけだろう。
ただでさえ、改革とは既存のやり方を変えることで抵抗感があるんだ。織田家だって苦労した。織田家が幸運だったのは、最初の冬に流行り風邪が起きたことで先に与えることを示したことが大きい。
北近江の統治は六角家の改革の試金石になることだ。力もあり理解している重臣が根気強くやるしかない。
現時点では義藤さんに出来ることは多くない。ただし六角家に対して武芸大会に家臣を連れてこないかと誘いをかけることを提案して、義統さんの書状を菊丸さんに渡してある。
これジュリアの考えなんだけどね。頭で理解出来ない人たちは、無理にでも新しい環境に放り込んだほうがいいって言うんだよね。
菊丸さん自身も武芸大会には尾張にまた来たいと言っていたんで、上手くいけば北畠と六角と誼を更に深められるだろう。
義藤さんは六角に恩義を感じている。新しい世の中を迎えるために六角も共に歩んでほしいと考えているんだよね。
今年の武芸大会で六角の改革を後押し出来ればいいんだけど。
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