第千七十四話・久遠諸島の結婚式・その三
Side:与一郎
「与一郎、来てよかったな」
武衛殿の言葉に上様は、そうこぼして笑みを浮かべておられる。
久遠家の領地の扱い。これは軽々しく決められることではない。日ノ本の外なのだ。上様ですらそれはお認めになられておること。
されど、あそこまで言えるものなのか。
比べては失礼かもしれぬが、同じ三管領家である管領殿を思い出す。内匠頭殿や内匠助殿は天下に名を知れる逸材だ。そんな者らを家臣とし信じておる。対極だな。まことに。
先の一言で織田も久遠も島の者らもひとつとなった。やはり武衛殿こそ管領に相応しき御方に思える。
「あるべきことを書き残すか。久遠殿らしいの」
わしは慶次郎殿に頼まれて婚礼の様子を書き残すことをしておる。本来は慶次郎殿の役目なれど、今日はさすがに無理だからな。頼まれたのだ。
塚原殿はそんなわしの様子を面白そうに見ておられた。
「はっ、後の世に伝えるべきことは正確に記しておく。某も教えられました」
実は少し前から、わしは日々の出来事を日記として記しておる。頼まれたのはそれが理由であろう。
きっかけは内匠助殿だ。大内家の元家臣隆光殿に、内匠助殿が言うた言葉を隆光殿から聞いたのだ。伝えるべき者が伝えねばすべて失われる。隆光殿はその言葉で大内卿のことを書き残すと言うておられた。
わしはそこで気付いたのだ。上様のことも書き残す者がおらねばならぬのだと。将軍としてありながら、一介の武芸者として世を歩き苦悩される上様のことを、正確に後の世に伝えねばならぬのだとな。
「そなたらはもっと広い世が見られるかもしれんのう。羨ましい限りじゃ。わしもあと二十年若ければの」
「なんの、師にはまだまだ長生きしてもらわねばなりませぬ」
「そうでございます」
共に旅をすることで塚原殿のことはそれなりに見てきたが、此度ほど楽しげな様子は初めてかもしれぬ。楽しげにしつつ羨ましいと言われる姿に、上様と兄弟子らは声をかけて笑うておられる。
改めて思う。このお方には恩を返せぬほど助けられていると。このお方がなくば武衛殿や内匠頭殿らとの誼もなかったであろう。上様は今も三好と戦をしておったのやもしれぬ。
「大丈夫、まだまだ長生きする」
「ハハハ、薬師殿のお墨付きか。それは楽しみよのう」
いつの間にか近くにて酒を注いで歩いていた薬師殿が、塚原殿に酒を注ぎながら、そう言うと塚原殿は嬉しそうに笑うた。一瞬だが、普段表情の変化が読めぬ薬師殿も微笑んだようにも見えた。
上様は足利の世を終わらせたいと考えておられる。
それでもこのような者らと共にあらば、上様は決して後悔などいたさぬ日々を送れよう。それがなによりだと思う。
Side:氏家直元
夜通し続いた宴も終わった。しばし休んで慶次郎殿とソフィア殿は領民に披露目をするという。
「世は広うございますな」
何故か分からぬが眠れず外に出ると、斎藤新九郎殿が朝日を眺めておられたので声をかける。
「ああ、そうだな」
共に美濃の生まれで、斯波や織田は他国の者でしかなかった。新九郎殿は織田への臣従に異を唱えておったことでも知られておるお方だ。
正直、わしとて最初から織田に忠義を誓うつもりで従うておったわけではない。
それが今では様変わりしておる。少なくとも織田に取って代わるということは考えてはおるまい。同じことが出来ぬからな。
「一族であり、家臣であり、同盟者であるか」
朝の風は心地よく、心穏やかになる気がした。そんな中、新九郎殿は独り言のように呟かれた。
「信じられるのが久遠殿の人徳でございましょうな」
織田に臣従し、重臣という地位を与えられて分かったことがある。織田もまた驚き戸惑い、今があるのだということをな。
氏素性の怪しい一族。南蛮の間者だという噂もかつてはあった。それが今では、尾張でもっとも信じられておる者たちかもしれぬ。
「この婚礼で久遠は盤石となろう。それがなによりだ」
争い、奪うのではなく、力を合わせ与えることで味方を増やしていく。それを理解しても真似るのは難しい。
昨夜の宴は皆が喜んでおった。少なくとも久遠の民も争い事など望んでおらぬことが分かった。皆、ホッとしたのが本音であろうな。
「争いのない世。いや、戦のない世と言うべきか。武芸で競い、学問で競う世になるのでありましょうな」
かつて土岐家を担いで最後まで織田と争うた者らは、大半がすでに生きてはおらぬ。追放されたあと六角にしばらくおったようだが、浅井の騒動で良からぬことを企み処刑された。
あの一件に加わらなかった者もおったが、六角が織田との誼を重んじるようになり追放されたと聞く。ごく一部には出家してさっさと俗世を捨てた者もおったが、まともに生きておるのはそんな者らだけだ。
家を守り立身出世を望むならば、戦以外の道も探ればよかったものを。
「戦しか出来ぬ武士は滅ぶのかもしれぬな。それもまた世の習いだ」
新九郎殿も似たようなことを考えておったのか。ほんの少し残念そうな顔をされた。後悔ではあるまい。されど己の力量で天下に挑んでみたいと考えたことはあろう。
いずれにせよ。生きるしかないのだ。家を守り、子や孫が生きるためにはな。
Side:久遠一馬
宴は盛り上がって朝方まで続いた。義統さんの言葉がきっかけだろう。あの言葉で、それぞれにあった壁がひとつ消えた気がする。
飲み過ぎた人もいたし、馬鹿騒ぎをやった人もいる。でも楽しかったな。
慶次とソフィアさんは先ほどからお披露目に出かけた。一益さんや益氏さん。それとウチの家臣も一緒に付いて島の主要な町と村を練り歩く。
オレは彼らが戻ってきて、最後に挨拶してくれるのを大人しく待っているのが役目だ。
まだ時間があるので屋敷の中を歩いていると、孤児院の子が絵を描いているのを見かける。昨日の宴の様子を絵に描いているらしい。どうも慶次に頼まれたようだ。
「やあ、ほんとうに上手いね」
「殿様! ありがとうございます!」
以前、自分で描いた清洲城の絵を武芸大会で売って大人気となった子だ。名前は留吉君。今年元服したばかりで、ウチの奉公人として働いている。
普段はかわら版の挿絵とか描いていて、最近だと焼き物の絵付けをメルティに教わっているはずだ。
留吉君、この時代の絵師と違い、一からメルティに教わっているので、近代的な画法を素直に吸収した子になるんだよね。
現在では尾張に畿内から移住した絵師が何人もいるが、彼らも認めるくらいの絵を描いている。絵師として独り立ち出来そうな逸材なんだが、本人がウチの家臣になることを望んでいる。
メルティとも相談して、一年ほど奉公人として働きながら学んでもらって正式に召し抱える予定だ。
「焦らなくていいからね。納得のいくものを描くんだよ」
「はい!」
リリーの教育の賜物だろう。孤児院の子たちはいい子ばっかりだ。
ちなみに、慶次たちにはメルティが一緒に付いていった。お披露目の様子も絵として描いて残したいんだそうだ。
今回の旅ではメルティと慶次と留吉君の三人で絵を描いて、帰ったら紙芝居とか本にする計画らしい。
頼もしいね。みんな。オレの出番がないくらいだもの。
◆◆
天文二十二年、六月九日。滝川慶次郎秀益が久遠諸島父島にて婚礼の儀を行なった。
相手はソフィアという欧州系の女性で、久遠家に残る記録では現在のロシア近辺から逃げ出した流民の娘だったとある。
一馬を除くと、日本人として初めて欧州人と正式に結婚した事例になる。
秀益はもともと結婚に積極的ではなく、この婚礼までに多くの縁組や養子の話が舞い込んでいたが、すべて断っていたという逸話も残っている。
理由は定かではないが、元服前から武勇を認められ名を上げたことで資清や一益に気を使ったのではないかと一馬はみていたようである。
立身出世の話も何度か断っていたこともあり、自由気ままな暮らしを求める性格だったとも思われる。
もっとも、一馬が望まぬ婚礼を嫌い、秀益が乗り気になるまで相手を探しつつ待っていたことが『資清日記』に書かれていて、今回のソフィアもその一環だったようだ。
ところが、秀益とソフィアは即決に近い形で婚礼を決めてしまい、さらにソフィアがそのまま秀益と共に尾張に行き嫁ぎたいと願い出たことで、急遽、島の流儀で婚礼を挙げたのだとある。
この久遠諸島の婚礼は、尾張にも大きな影響を与えることになった。特にお披露目として市中を練り歩く様子は尾張でもすぐに行われることになり、今日の結婚式にも残る風習となった。
なお、久遠諸島での婚礼で披露された久遠家の詰襟の礼服の衣装は、欧州の服を基に久遠家で考えたと思われ、その洗練されたデザインは今日でも通用するほどのものである。
これが後に日本軍の軍服や士官学校の制服に制式採用されることになる。やがてそれは男子学生の憧れの的となり、今日の黒い男子学生服の原型にもなった。
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