第千二十二話・静かな処罰

Side:北畠晴具


 倅が戻った。城では戦勝の宴を開き、皆と喜んでおったが、親子ふたりになると深々と頭を下げた。


「申し訳ございませぬ」


「よい、戦とはそのようなものだ。勝ち戦と皆が思う時ほど難しいものよ。織田は別格なのだ」


 嫡男として出る戦と、当主として出る戦では勝手が違うものよ。倅は武芸を鍛練し兵法を学び、さらに織田を見て学び万全を期したと思うておったのであろう。とはいえ、実際の戦になれば思いもせぬことが起きるものよ。


 勝てばいいのだ。いかなる形であれな。


「それより考えねばならんのは、織田との力の差が思うたより遥かにあったことだ」


 愚かな関を一日で降したのは、まあ考えられたこと。とはいえ、よく知らぬはずの伊勢にて迅速に動き、各城を押さえ、兵糧が日々ひび届くとは信じられぬ。


 それとゲルと呼ばれておる布の家。恐ろしいほど評判がよく、久遠殿に売ってもらいたいと皆が言うておったほど。


 さらに金色砲に鉄砲と焙烙玉か。いずれも銭のかかるものだ。ただでさえ戦は銭がかかるというのに。織田は先年から小競り合いを含めると、それなりに戦をしておるはず。いかほどの余力があるのだ?


 銭など卑しき者が触るものと昔は言うておったが、そのようなことは言えなくなるの。


「内匠助殿の奥方か。借りが大きいの。わしからも内匠助殿に礼のふみを書くか」


 ほぼ織田に配慮されたことで面目を立てた戦だ。特に内匠助殿の奥方である春殿には随分と世話になったようだ。


 少し気難しい奥方だと誰ぞが言うておったが、奥山常陸介の意地を汲み取り、鳥屋尾石見守の失態に遠慮なくものを申したことには、女にしておくのが惜しいとも言うておったな。


「諸々の礼は、いかがいたしましょう」


「安濃津しかあるまい。関の所領でよかったのならば、あとは官位でも上申してやれば済んだのだがな。まあ湊は所詮、織田の船が来ねば利にならず、争えば守れぬと諦めもつく」


 家臣らは関があまりに愚かだったことを笑うておったが、とても笑えぬな。苦労して得た所領を譲らねば礼も出来ぬとは。


 ふと六角の先代の遺言が思い出される。かの先代は織田をいかに見ておったのだ? 


「織田と北畠の力の差。いかほどなのであろうな」


 数倍程度ならばよい。世の流れでいかになるか分からぬ程度だ。されど……、それ以上ならば?


 織田も久遠も、我らの考えの及ばぬところにおるのは認めねばならん。


「五倍ほどでしょうか?」


 倅の見立ては正しいのか? 此度の戦の様子を聞くと、向こうは終始こちらの面目を潰さぬようにと配慮を続けておった。


 もし、潰したほうが早いと思うほど力の差があれば? 


 久遠内匠助、あの男の立場を見ておると、見たままの力の差だと思うのは危うい。あれは一介の家臣や一族衆に収まる男ではあるまい?


「わしもそなたも銭勘定などせぬ。織田の力、いや我が北畠の力すら知らぬ身やもな。織田や久遠からながむれば……。もし、そなたが臣従しかないと思うた時には、迷わず臣従するがいい。わしも共に清洲にて頭を下げる」


「父上!?」


 わしは考え違いをしておったのかもしれぬ。織田は力の差を示すことに熱心ではない。むしろ隠しておったのではと思える。


 織田と北畠の力の差は、この先さらに広がるのではないのか? 織田は外の所領など得ずともますます力を付けるのではないのか?


「足利が動かぬ以上、最早、止められる者はおるまい。肝心の大樹が病ではな。天は織田に味方しておるのであろう」


 口惜しいという言葉も飽きてくるほどよ。


 意地を張る以上は家の存亡を懸ける必要がある。されど北畠など関や長野と大差ないのではないのか? 織田からすると。


 もうよい。仮に織田に臣従をしたあとにその責をいずこかに求められれば、わしが責を負えばよいのだ。


 戦場で雑兵を風呂に入れて、菓子を食わせるようなところと争えぬわ。




Side:久遠一馬


 関家の処罰が終わった。関盛信と春に暴言を吐いた家老の鹿伏兎定長は死罪、関本家と鹿伏兎家の一族郎党は島流しとなった。


 関盛信は牢の中で初めてすべての事情を知り、それ以降は飯も食わずにまるで別人のように憔悴していったと聞いている。オレが見たのは裁きの場だったが、すでに死を覚悟しているのか一切の反抗もなく目に生気がなかった。


 ただ関盛信は島流しとはいえ、一族の男子が助命されたことを安堵していたとも聞いている。


 鹿伏兎定長に関してはなぜ女が将などしていたのかと、そればかり呟いていたという。あまりの事態に少し精神的におかしくなったのかもしれない。


 それと関家の関係者への聴取で、両名共に神戸の謀略か嫌がらせとしか考えておらず、織田に逆らうどころか神戸と戦をする気もなかったことが明らかとなった。


 適当なところで神戸が折れるのが当然で、そこに織田が口を挟むなら、神戸に養子を入れた北畠に話を纏めさせればいい。後は長野との戦で奪えるだけ奪う。その程度の考えからの行動だったみたい。


 両名共に伊勢から遥々見せしめとして晒しながら連行されたことで、皮肉なことに尾張の豊かさと力を初めて知り、道中には領民にまで見下され罵声を浴びて心が折れている。


 織田家の反応は特に変わりない。愚か者が処罰された。それだけだ。血縁がある家を継いだ神戸利盛さんは神妙な面持ちで見ていたが。


 あと戦の論功行賞があった。春たちはオレの妻ということで俸禄を辞退して一時金の褒美を貰った。褒美には正月にお披露目をした金貨と銀貨を盛大に配っていて、神戸家や志摩水軍衆があっけに取られていたのが印象的だった。


 特に志摩水軍衆、戦に参陣したが実質的な戦はしていない。海から圧力をかけてる織田水軍の下につどって、長野方の水軍の監視と降伏した水軍の拠点の接収程度だ。特に死者もいない戦にもかかわらず褒美が出たことに驚いていたみたい。


 そして今、戦勝の宴も盛大に行われている。出てくる料理の数々に戸惑う神戸さんたちの姿がやはりあった。


 今日のメインは鯛しゃぶしゃぶだ。あらかじめ軽くしゃぶしゃぶした鯛の身を綺麗に盛り付けていて、塩や薬味ありの醤油で食べるんだ。


 鯛の身は薄く切られていて絶妙な火の通り具合になる。ほんのりと昆布の味がして少し塩を付けて食べるほうがオレは好きかも。


「これも美味しゅうございますな」


 宴の料理に戸惑うことで、関家のことなんて忘れたような神戸利盛さんが食べているのは、茶碗蒸しか。口の中で解ける茶碗蒸しに驚いている。こんな料理は初めてなんだろう。


 宴の雰囲気もいい。


「ほう、それほど苦労をしたか」


「ええ、思っていた以上だったわ。敵以上に味方に警戒しないといけないなんてね」


 春たちは織田家の皆さんに戦や伊勢の苦労話をしていて、信光さんが春の話を興味深げに聞いていた。


 織田は変わった。それは織田家のみんなも誇りに思っていることだけど、他家との差が今後は問題となると知ったんだろう。


 悲しいかな。滅ぶ家のことを気に掛ける人はいない。神戸さんたちは胸の奥で気に掛けているだろうが、それでも表に出せないんだ。


 春を愚弄したことで、織田家では関のことを気に掛けることは出来ない。


 伊勢関家のことは歴史の中に消えていくのかもしれない。真実も偽りもすべて交えながら。


 かつて存在したという名前を残して。



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