第六百五十話・久政の現状
Side:浅井久政
清洲城へと移されたわしは、近習と関家臣の一族である幸次郎と共に城内の客間におる。結局、この男は最後まで逃げ出さなんだな。なにを考えておるのやら。
「随分とよい待遇ですな。飯が美味い」
その幸次郎はよく口を開くわ。今も出された飯を食いつつ、あれこれと尾張のことを語っておる。
まあ、言うことは間違いではない。わしらの待遇は驚くほどいい。敗軍の将など虜囚として牢屋が当然であろうに。まるで客人のような扱いは理解出来ぬわ。さすがに見張りの兵はおるが、午後には城の庭にて散歩することも許されておるのだ。
切腹か打ち首ではないのか?
「気味が悪いわ。敗軍の将の扱いなど、何処も同じであろうに」
「織田は敗軍の将には寛容ですぞ。尾張の元守護代殿も生きて働いておられる」
「それは同族だからであろう?」
「織田弾正忠様は道理と義理を重んじ、民をなによりも大切にされておるとか。むしろ案ずるのは先に降伏した連中かもしれませんな」
周囲には織田の見張りもおる。近習は後で罰を受けるのを恐れて、なにも話さぬというのに。この男は恐れを知らぬのか、愚か者なのか。
わしもすでに捨てた命だ。特に気にしてはおらんがな。
「小谷城は留守居役の片桐殿が守っており、六角と朝倉は動いてはおらぬ。直にここ清洲に両家からの使者が来る。浅井殿の身柄の処遇はその時に正式に決まるが、命まではとらぬであろう」
織田からの詮議もすでに済んでおり、切腹の心構えをしておると久遠家の八郎殿が姿を見せて、頼んでもおらぬのに北近江三郡の様子を教えてくれた。
驚いたのは北近江三郡の動きが筒抜けだということだ。随分と探っておるのだと感心する。ともあれ、わしの命を取らぬとはいかなることだ?
分からぬ。なにもかもが理解出来ぬ。
「わしと家臣たちはいかがなる?」
「戦に関しては六角と話を付けることになろう。織田としては戦よりも、今須宿を襲った賊、東山道の荷を襲った賊をまず裁かねばならぬ。かの者ら以外は命までは取らぬと思う。そもそも浅井殿以外からは助命や安堵を聞いておらぬからな。あとは罪状次第というところか」
「ではわしは六角で首を刎ねられるということか?」
「わしも必ずと断言は出来ぬが、そこまで六角家が強う出るなら、六角家の責を問わずにはおれぬ。そこまで六角家の好きにはさせぬであろう。大殿も御屋形様も浅井殿の命を懸けた助命嘆願は守ると仰せである。それと浅井殿の御自身のことも命までは取らずともよいとも仰せだ」
織田は今須宿への奇襲などが気に入らぬのか。しかも、わしを六角配下の者として最後まで貫くとはな。胸のうちでは屈辱だと苛立ちもするが、敗者として辱めを受けるよりはいいかとも思う。
「命を粗末にせず生きられよ。それが浅井殿のために戦い亡くなった者たちへの義理だとわしは思うぞ」
織田にとってわしは殺す価値もないということか? 戦は致し方ないとしてもやり方が気にくわぬということか?
真意は分からぬが、確かに今後わしが織田の脅威となる日など来ぬと思うがな。
にしても、忠義の八郎か。裏切り裏切られるのが当然の世で、かような男がおるとはな。羨ましい限りだ。
Side:久遠一馬
戦勝の宴で盛り上がったけど、翌日からは戦後処理が始まった。浅井久政の要望をどこまで聞くか検討することはもちろんのこと、今須宿を襲った連中の洗い出しと罰を検討していく。東山道の荷を襲った連中は更に重い罰だろうけど。
まあ問題がないわけではない。織田家中には降伏した者に罰を与えるのは良くないのではとの声もある。この辺りは国人レベルだと許すべきと考えてもおかしくはない。
織田家中もそれぞれの立場でものを見る。国人や土豪と言える家臣は己の立場から見るので、勝ったのだから許して信秀さんの器を見せるべきだというのも一つの意見だろう。
もっとも、逆に全員打ち首で晒してしまえという人もいる。この辺りは本当にそれぞれの価値観と考えなので、意見を言えることはいいことだと思う。
「かわら版作り早くなったね」
「職人も張り切っています。大殿が良い出来だと褒美を出していますから」
そんなこの日、早くもオレたちが帰還したと知らせるかわら版が織田領内で配られた。エルと一緒に見てみるが、中々の出来だ。
製作者は土岐頼芸が偽の織田手形を作らせていた人たちになる。
単色刷りの木版印刷は、この時代よりも昔からある技術だ。堺では独自に職人を抱えていたようで、彼らがその職人の一部になる。
その腕を見込まれ織田手形の偽造に加担していたが、すずとチェリーが救出というか連れてきてしまったからな。故郷である堺に帰すことも検討したが、彼らが自ら残ることを選択して、家族を呼んで定住している。
尾張ではメルティの指示により、かわら版やらお市ちゃんたちにあげた絵本を制作していたが、今回はオレたちが帰ってくる前に浅井との戦のかわら版をすでに制作して配布していた。
清洲にいる絵師が協力したようで和風の絵だが、勇敢に戦う織田家のみんなの挿絵も描かれていて時代劇のかわら版みたいな感じの代物だ。本当はこちらのほうが正統に近いんだろうね。
紙はわら半紙。現在那古野の工業村の外にある職人町で作っていて、斎藤家の城下町である井ノ口でも新たな製作工房を作るための準備をしているものだ。
関ケ原の戦でのかわら版も昨日見たが、浅井久政を説得して捕らえた資清さんの人徳が一番称えられている。内容に関しては信秀さんが指示したようで配布前にチェックもしたみたい。
「エル、熱田祭りの準備は?」
「シンディとリリーで進めていましたので、問題ありません」
それと六角と朝倉からの使者が尾張に来る期間は熱田祭りの前後とした。今年は熱田祭りで花火大会の順番だからね。使者の皆さんにも見てもらおうということだ。
オーバーテクノロジーでの情報収集なので、まだオレとエルたちしか知らないことだけど、あの朝倉宗滴が来るんだ。どんな人か楽しみなんだよね。映像で見ることはオレたちには可能だが、直接会って人となりを感じることも大切にしたい。
外を見れば幼子たちが遊ぶ声が聞こえる。学校にまだ通う年齢ではない子供たちを屋敷に迎えて遊ばせているんだ。
みんなオレたちが無事に帰ってくるようにと祈ってくれたみたいなんで、今日はそのお礼にと昼食とおやつに招いている。午後には絵本の読み聞かせもしたいな。
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