第三百九十七話・自然災害と火種

Side:久遠一馬


 稲刈りもだいぶ進んで武芸大会の準備も順調だった頃、恐れていたことが起きた。


 台風だ。この時代では野分というらしいが。


 当然ながら元の世界とは違って天気予報はない。もちろんオレたちは気象衛星のおかげで事前に予測出来ていたので、ウチの関係するところには天気が荒れそうだからと注意を促していたが、ほかは特に対応が出来なかった。


「牧場村、工業村、山の村、農業試験の村、太田殿の領地は大きな被害はありませぬ」


 野分の凄まじい暴風雨から一夜明けたこの日、ウチには各地からの報告が次々と舞い込んでいる。


 特に指示は出してないのに報告が来るようになったのは、みんな成長したんだなと思う。


 資清さんが報告をまとめてくれているが、多少の建物の損壊などはあるものの、人的被害と大規模な被害報告は届いていない。


 太田さんの領地は古い家もあり、壊れた家が何軒かあるらしいけど。


 あとは干していた米が飛ばされたとか、二毛作のための遅植えの田んぼは稲刈りがまだなので、稲刈り直前の田んぼの稲が倒れたなど相応に被害はあったが。


「冠水している田んぼは直ぐに水を抜いて。土砂が流入した田んぼは稲刈りを急いで。あとは家の修復とかも出来ない人がでないように必要なら支援して」


 結構強い野分だっただけに被害が少なくてホッとするよ。


「殿、三河から知らせが! 矢作川が氾濫して被害が出たようでございます!!」


 一通り報告が集まり大きな問題にならなくて良かったと思ったんだけど、それがフラグになったのかもしれない。


 三河から伝書鳩による緊急報告を知らせに、望月さんが少し慌てた様子で部屋に入ってきた。


 実は伝書鳩の数も増えてきたので、一部の場所では試験的に運用を開始したんだ。もちろん暗号を組んで伝書が余所に漏れても内容は解らないようにとの訓練も兼ねている。


 忍び衆の伝令システムも新たに構築しており、織田領内のあちこちに忍び衆の拠点を置いて情報の伝達がスムーズに行くように試してるんだ。


 特に三河方面は今川対策もあり、伝書鳩と拠点の整備が進んでいたんだけど。拠点は商家もあれば民家もある。最近は人の流入が多いので、上手く忍び衆ということを隠しながら進めていたんだけど。


 まさか野分の被害報告に役立つとは……。


「清洲にも知らせて。あと被害の詳細の調査もお願い」


「はっ!」


 川の氾濫と水害はこの時代では珍しくはない。大きな川でなくとも支流とか小さな小川とかでも氾濫することは良くあるんだ。


 ただ、三河で起きるとは、また微妙な……。




 翌日、オレとエルと資清さんは清洲城に来ている。三河の被害の報告と対策のためだ。


 幸いなことに尾張と美濃の織田領に大きな被害はない。細々とした被害はあるものの、具体的には各領主がすることで直轄領は信秀さんたちが対応している。


 この時代は農民も災害に慣れているからね。自主的に対応している。とりあえず元の世界と違い、家なんかの建物が脆いので、被害に遭った家の復旧を早急に出来るように支援するべくウチから助言していて、それを生かしているいるようだ。


 あとは衛生問題だ。もう秋なので食中毒の心配は大きくないけど、念のため食中毒や流行り病が出ないようにするための対応策は織田領全域に通達を出してもらった。


「織田領に関しては田んぼが水に浸かったところはありまするが、被害はまだ深刻ではありませぬ。ただ、本證寺領といずれにも属しておらぬ者や対岸の今川領では幾分深刻なようでございます」


 説明役は資清さんだ。まだ具体的な数値は出てないものの、織田領では矢作川の氾濫に備えて対策を一部でしていたことも功を奏しているみたい。


 三河の国人衆も少し素直になったからね。今年の夏には緊急性が高いと判断した矢作川の治水対策も一部では実施していた。


 まだ始めたばかりなんで、効果はどこまであったかは分からないけど。


「面倒なことになるかもしれんな」


 信秀さんは報告に渋い表情をした。野分自体は結構強かったが数年に一度は来る程度の規模だ。それほど珍しくはない。


 とはいえ爆発寸前の火薬庫のような三河に被害が出るなんて。


「三河に送る食糧と銭は直ぐに用意できます。元々、この冬には矢作川の治水工事を大掛かりに始める予定でしたので」


 被害対応にお金がかかるけど、この冬には矢作川の治水工事を予定していたので大きな問題はない。ただなぁ。


「懸念は本證寺や配下の寺々と、名目上は今川方の矢作川より東ですかな?」


 この場には信秀さんの他に信長さんと政秀さんも来ているが、政秀さんが困ったと言いたげな表情で問題を口にした。


 そう、正式な織田領は大変でも大きな問題とまでは言えない。こんな事態を想定していろいろ対策はしている。この二年は三河にどれほど気を使ったか分からないくらいだからね。


 問題は織田との交流がほとんどない本證寺とその配下の寺社に、織田の勢力圏ともいえるが正式には今川に従属している矢作川より東だ。


「今川方は現在探っておりまするが、本證寺領などは被害が大きいようでございます」


 政秀さんの懸念に資清さんは本證寺領の状況を説明する。正直、あんまり良くない。


 そもそも治水工事は、一部だけやると別のところに影響が出る場合もあるんだよね。織田は本證寺領のことまでは関与しないから、治水工事による影響が本證寺領で出た可能性もある。特に本證寺領は織田領の下流に位置しているからね。


 しかし面倒なところで問題が起きたな。ただでさえ、本證寺領と織田領では統治方法が違うことで格差が出来て軋轢がいろいろあるのに。


 この二年でやった報酬の出る賦役の影響は計り知れない。本證寺の影響力は史実より確実に落ちている。未だに本證寺の寺領から領民が逃げてくる状況が続いている。


 いくら仏様の名前で仏罰だって脅しても、隣の領地では飢えていないんだ。それにいくら本證寺と織田との関係が疎遠とはいえ、さすがに織田が悪いとは言えないからね。


 去年はあの辺りも豊作だったし本證寺領も同じだったんだけど、特に備蓄するわけでも開発するわけでもない。例年通り税を徴収して、余裕があるとみると追加で税を搾り取ったくらいだ。


 その税は石山本願寺に送られたり、ウチから高値の金色酒や嗜好品を買うのに使ったりしたくらいなんだよね。


「エルよ。いかが思う?」


「三河が荒れるかもしれません。戦の支度も必要でございましょう。それと石山本願寺との取り引きも急ぎましょう。三河が荒れた時に石山本願寺が本證寺に味方することだけは避けなくてはなりません」


 資清さんの報告にしばし沈黙があったが、信秀さんは無言だったエルに問いかけた。エルの表情が厳しいのはみんな気付いているんだ。


 正直、聞くのが怖いというレベルだ。


 地獄の釜の蓋が開くか? ただ、史実の徳川家康による知行時の三河一向一揆よりはだいぶマシな情勢だろう。この二年間で三河の情勢を大きく変えたからね。


 本證寺が動くかは分からないが、問題はこの時代は領民も一揆を起こすことだろう。領民は決して武士や寺社に怯えているだけじゃないんだ。


 それに矢作川の向こうもだいぶ痺れを切らしているんだよね。支配はしても動かない今川に対して。武士も領民も。


 オレとしては、正直、三河に振り回されるのには疲れた。一向一揆を起こさないように気を付けつつ、統治する。現地の信広さんたちはもっと大変だろうし、そんなこと言っていられないんだけど。


 実のところ、三河の格差は織田領の開発と発展の邪魔になってるんだ。もしかして、さっさと戦をして矢作川流域を織田で押さえたほうが尾張の発展の邪魔にならないのか?


 武芸大会もあるっていうのに。


 本当に困ったね。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る