第三百七十七話・夏の午後

Side:松平広忠


 伊勢大湊の商人が銭を持ってきた。領内で商いをする許しが欲しいとのことだが、少しばかり額が多い。


「半蔵。なにかわかったか?」


「はっ、なにやらその銭は織田が手配したもののようでございます」


「織田がか?」


「確とした出処でどころは久遠のようですが、御家への手助けでございましょう」


「文の一枚がこれほどの銭に変わるか」


 気味が悪いので返事を留め置きにして半蔵に探らせておったが、まさか織田がわしに銭を寄越すとはな。


 なにを考えておるか分からんわ。


 織田には竹千代の扱いへの礼を文にてしたためたが、今はまだそれだけだ。織田に臣従すると言うた覚えもないし、味方するとも言うておらん。


「織田からすると、はした金かと……」


 はした金か。言いにくそうにそう語る半蔵に思わず苦笑いが出る。


 今や織田にあらがう姿勢すら当家には出来ん。今川を超えるかもしれん織田に左様な姿勢をみせれば、後顧の憂いになるだけだ。織田弾正忠殿は苛烈な男ではないと聞くが、我が松平家は先代からの因縁があるからな。


 そもそも近頃の織田は、いつ打って出てくるのかすら、分からんのだ。


「わしにこの銭でいかがしろと?」


「さて、某もそこまでは……。持参した商人とお会いになってはいかがでしょう。恐らくなにか聞いておるはず」


 確かに商人と会う必要があるか。だが城ではまずいな。家中は親織田と親今川に割れたままだ。


 下手なことを家臣に聞かれて、家中が騒ぎになるのは織田も望むまい。


 わざわざ商人を挟んだということは表向きは動かぬということだろう。おそらくは当家の中の親今川の者を警戒してだと思うが。


 なにを望むのだ? 戦になった際の内応か? それとも親今川の家臣の処分か?


 鷹狩りにでも出て外で会うか。それなら偶然会ったと言い訳が出来る。




Side:久遠一馬


 尾張の河川では、美濃と三河の織田領の領民と斎藤家から借りた領民で河川工事が始まった。


 これは以前にエルが提言したことで実現した。昨年の武芸大会の利益での河川工事は清洲近郊で以前から始まっているが、今回の工事はより大規模な賦役となった。


 今回はただ堤防を作るばかりではなく、史実や地形を基に河川の流れや位置も一部では変更する歴史に残る大工事となるだろう。


 完成はいつになるんだろうね。気の長い話だし、賦役はあちこちであるから。余裕がある時に進める形で急がないことにしている。


 工事の提案書の作成者はオレの名前になっているが、担当者の欄にはちゃんとエルの名前が記載されている。河川工事は信玄堤のように歴史に名前が残るかもしれないし、功績はちゃんと頑張った本人の名前で残ってほしい。


「うふふ、金色酒の件は順調のようね」


「はっ、ご指示通りに致しましてございます」


 蝉の鳴き声が聞こえるこの日の午後、小悪魔チックな笑みを浮かべるメルティが湊屋さんの報告に満足げな表情を見せた。


 先日の熱田祭りで諸国から来た商人たちに、金色酒を筆頭にいろいろな商品を売ったが、その際にかわら版を一緒に配っていたんだ。


 粗悪な安酒を混ぜただけの金色酒を名乗る偽物が出回っているので、注意するようにとの内容だ。


 さすがに堺の名前は出さなかったものの、この時代だとこれだけでも効果はあるだろうね。それなりの商人だと、かわら版だけで堺のものだと察するはずだ。


 他にも大湊や忍び衆に伊賀者も使って、偽金色酒が出回っているということを広め、周知の事実にしている。


 こちらは明確に、偽金色酒の出所は堺だとの噂を広めてもらっている。かわら版は織田が出したことが分かるので実名は避けたが、噂は実名を避ける必要がないからね。


「堺は偽物を扱うということを周知させれば影響は計り知れないわ。この際、徹底して潰すわよ」


「堺の信用をなくすのでございますな。奴らは我らを鄙者、東夷と見下しております。目にもの見せてやりましょうぞ」


 ふたりは意味ありげな笑みで語っている。なんかメルティと湊屋さんって、時代劇の悪徳商人みたいなノリに見える。気のせいだろうか?


 うん? まてよ。ということは悪代官役はオレということに?


 冗談はさておいて、大湊の商人って堺が嫌いな人が多いみたいなんだよね。あくどい商売ばっかりしているから。


 実際は大湊もそんなに変わらないんだろうけど、上から目線で田舎者扱いをされれば、だれでも気分は良くないよね。以前は堺から買うしかないという力関係だったからか、反感が余計に大きく出ているのだろう。いまや、堺の商人が大湊の商人に頭を下げているからね。


「かず、あれはいいのか?」


「構わないですよ。不要な紙の有効活用です」


 ちなみにメルティの近くでは、お市ちゃんたち姉妹が堺から来た文にお絵かきや字の練習をしている。


 さすがに信長さんもいいのかと驚いているけど、ただ捨てるのはもったいないしね。エコだよ。エコ。


 金色酒を売って、堺の銭の価値を認めるようにとの脅迫状だ。オレは最初、なんで堺からこんな上から目線の文が届くのかと思ったら、エルいわくあれでも嘆願書のつもりらしい。


 信秀さんに報告したら捨て置けと言われたんで、メルティが子供たちのお絵かきなどに利用してるんだ。一部は後世に残すためにあまりにも酷いものは保存してるけど。


 清洲城では同じ文が信秀さんのところにも来ていて、子供たちが紙飛行機にして遊んでいると聞いたし。紙は貴重品だからね。


 まあ、信秀さん宛の文はもう少しまともな内容らしいが。


「瓜などいかがでございますか?」


「お前たちの『めろん』という瓜ほど甘くないが、これはこれでいいな」


 オレと信長さんは縁側でリバーシというか源平碁をしているけど、エルが井戸で冷やしたマクワウリを持ってきてくれた。


 これは商いを再開した桑名の商人が、挨拶に来た時に持ってきてくれたんだよね。この時代のウリだし甘さは物足りないが、これはこれで悪くはない。


 史実の織田信長には『真桑瓜』の逸話がいくつかあった。こっちの世界の信長さんも、甘い物が好物だったらしく、メロンも喜んでいたっけ。


 お市ちゃんたちも今日は来てるから、みんなで縁側に並んでおやつだ。


 こういう自然の果物もいいよなぁ。


「ワン!」


「ワン!!」


 ロボとブランカも同じマクワウリを貰っておやつタイムだ。一口サイズに切ったウリを適量あげたみたい。


 メロンほどじゃないが、食べ過ぎは駄目だからね。


「また、うみにいきたいね!」


「そうね。行ければいいわね」


 お市ちゃん姉妹はウリを美味しそうに食べながら、先日の海水浴の話をし始めた。砂浜で山やお城を作ったり棒倒しをしたり、泳いだりと楽しかったらしい。


 女の子はなかなか城から出ることはないし、出ても寺社にお参りくらいにしか行かないからね。


 すずとチェリーとは精神年齢も近いと言うか、何事にも全力がモットーな所が、互いに通じることもあって一緒に遊んでいた。


 信秀さんはどうもこの子たちを、エルたちのように才能豊かな大人にしたいらしい。


 どこかに嫁ぎ、子供を産むというのが基本であることに変わりはない。でも習い事をするように学問や絵画に武芸など出来ることは悪いことじゃない。


 ウチに来ている理由はその辺りもあるらしい。この時代だと女性が政治を見ることもあるんだよね。


 その点は江戸時代よりは自由だ。近隣だと今川家の寿桂尼じゅけいにとかそうだしね。尼御台様って呼ばれる義元の母親だ。


 なんでも彼女は織田と北条との同盟をするべきだと語ったらしい。今でも義元にそれを主張しているとか。虫型偵察機の情報だが、さすがにオレも驚いたよ。


 さすがに史実で今川家を最後まで支えた女傑だね。


「今度は皆さまで一晩の野営もいいかもしれませんね」


「エルよ。さすがに……」


「城の外で学ぶことは多いです。きっと姫様たちのいい経験になるでしょう」


 また海に行きたいと盛り上げるお市ちゃんたちに、予想外のことを言い出したのはエルだった。


 野営ってキャンプのことか? さすがにまずいだろうと信長さんですら驚いているけど、確かにいいかも。みんなでキャンプ。


「やえい?」


「外で一晩明かすのですよ。いつもと違う夜になります」


 エルの提案にお市ちゃんの目がキラキラと好奇心でいっぱいになった。


 また楽しいことなのかとワクワクしているね。


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