第三百六十五話・桑名の一人相撲の終焉

Side:久遠一馬


 新商品の蚊取り線香とイノさんの入れ物の売れ行きと評判は上々のようだ。例によって願証寺が大量に買ってくれるらしい。


 元の世界のように安くないんだけどなぁ。安く売ると転売でぼろ儲けする人が出るしさ。おそらく石山本願寺にでも送るんだろう。


 史実を知り一向衆対策を人一倍考えていたエルが、これほどの融和策をすることに不思議な感じもする。ただ、大量の銭を巻き上げていることを考えれば、弱体化策とも言えなくもないが。


 ただ、願証寺は進んで領地を広げようとか、織田と敵対しようとは今のところはしていない。彼らは影響下の服部や桑名を事実上見捨てても織田に味方する、もしくは客観的な判断をした。その意味では当然の関係なんだろうけど。


 もっとも桑名は願証寺に逆らって服部友貞に味方したんで、見切りを付けられたという意味もあるが。


「ほう。それは大変なことであったな」


 この日、オレは清洲に来ている。上座には信秀さんと信長さんが座り、政秀さんや重臣の何人かとオレとエルが横に控えていて、この日訪れた来客に応対している。


 とうとうエルが清洲城の公式の場にまで呼ばれるようになった。エルは遠慮したんだけど、信秀さんが『臨場せよ』と言ったんで、同席する事になったんだよね。


 まあ、関東や美濃でも公式の場に出ていたから、そろそろエルのことを隠す意味がなくなったという事情もあるが。特に、今日は願証寺からの使者なので同席することになった。


 扱いが難しいのは信秀さんも理解している。


「はっ、仏の道から外れ、人の道からも外れた者たちに、我慢が出来なかったようでございます」


 願証寺からは高僧が来ていて、織田に敵対していた桑名の会合衆が、同じ桑名の商人たちにより捕らえられてはりつけにされたことの報告だった。


 動いたのは会合衆以外の商人たちだった。


 すでに東海道の宿場以外の価値がなくなるほど他国の商人が来なくなった桑名では、ウチや他の伊勢の勢力が商人や職人の引き抜きをした。


 結果として逃げることも出来ない者と、桑名に愛着がある者たちなどしか残らなかったんだ。そこまでくれば桑名を思う者たちが連名で会合衆を追い落とすべく、願証寺にも根回しして動いたらしい。


 願証寺でもそろそろ頃合いだと判断したんだろう。織田との仲介を約束したということだ。もちろん忍び衆は現状では桑名からはごく少数以外は撤退していたが、織田とウチにも蜂起側から根回しが極秘裏にあった。


 こちらと繋がる人がいる懸念もあったのだろう。実際、蜂起前に忍び衆と協力者を引き上げさせた。


 腐っても桑名とでもいうべきか、商人たちはそれなりに残っている。彼らが商人として生きていくには織田との和睦が必要だったんだろう。


 東海道沿いの国人衆の不満が溜まっているということもある。


「仏に逆らい織田様を欺いた者は最早おりませぬ。何卒、桑名と新しき関係を築いて頂けるよう、伏してお願い申し上げます」


「織田は桑名をほっしてなどおらぬ。だが願証寺と東海道沿いの者たちは必要であろうな。よかろう。仔細な扱いの話はあとでするとして、新たな関係は認めよう」


 事前に話は出来ている。桑名を反織田にはしない。元会合衆は一族や関係者を追放することで、織田とウチが商いの再開をすることで既に話が付いている。


 ただ体裁があるので願証寺が頼み、織田がそれを聞き届ける形で赦免と和睦という形に表向きはなる。


 今後のこともある。簡単に許してはいけないが、そろそろ織田と願証寺の懸案事項だった桑名はなんとかしないといけない時期だった。せっかく親織田の願証寺が反織田になっては元も子もない。


 それとこの和睦には別の意味もある。


 堺と本格的に対立し始めたんで敵を減らしたいんだ。距離が離れているとはいえ、堺と桑名が組めば少し面倒だったからね。


 信秀さんはあくまでも織田には桑名が必要ないとの言葉で願証寺に釘を刺した。まあ正確には堺に絡め取られるなと、釘を刺したようなもんだけど。


 すでに空気だったとはいえ、桑名の立地で反織田が集まると史実のように厄介になりかねない。特に公界である桑名では、堂々と反織田活動を行っても、余程の理由がないと正面切って織田は手を出すことが出来ないんだ。逆に公界を占領せずに影響下に置けたのは、意味がある。


 まあ、これで尾張の懸念がまたひとつ消えたってことかな。




 桑名の件が一段落すると熱田祭りの準備が始まる。去年には津島で行った花火大会を今年は熱田で行うことにした。


 武芸大会とかで少し打ち上げることはあったが、花火大会として行うのは年一回でいいと信秀さんが決めたんだ。


 他にも屋台や出店が今年は去年より増えるかもしれないので、それの準備とかも熱田では行われている。


 実は八屋の影響か、尾張では新しい料理を提供する店が増えている。特に蕎麦やうどんのような麺類のお店が増えたし、賦役に参加している人足相手の屋台も出ていたりする。


 尾張は川が多く水車による製粉が出来るので、粉ものが流行る土壌があったんだろう。津島にウチが作った製粉専用の水車小屋に続き、尾張では製粉用に水車小屋が出来ていて、最近では蕎麦や麦を粉にする商人や粉で売る商人も出てきた。


「これって初めてだなぁ」


「近頃、熱田で売られているものですわ」


 熱田祭りの準備のために熱田の屋敷に来たら、シンディが四角いクレープというかガレットのようなものを麦茶と一緒に出してくれた。


 周りには千代女さんとお清ちゃんを筆頭に侍女さんたちもいるので、あえて言葉には出さないが、ちょっとビックリだ。


「味付けは味噌ですね。美味しいです」


 基本、手づかみで食べるようで、一口パクリと口にしたエルが驚いた表情をした。


 オレもさっそく食べてみるが、味が少し濃いものの味噌には刻んだ山菜を混ぜているようで結構美味しい。


 生地は薄いが材料は蕎麦らしく、見た目より食べ応えがある。このガレットもどきはウチが関与してない熱田の料理屋のオリジナルだ。


 どうも、もとは八屋の蕎麦らしいが、それを簡単に手ごろな値段で出せるように工夫したみたいだ。


 柔らかい食感に適度な歯ごたえ、蕎麦の風味が微かにして味噌の味が口の中に広がる。元の世界の名古屋っぽい味と言えば失礼になるんだろうか。


 改良点があるとすれば味噌の深みというか甘みが足りないだろうか。砂糖やみりんで味を整えるといいが、甘さを出す砂糖や蜂蜜は高価だからな。気軽に食べられる値段で出すには、八屋のようにウチが支援しないと無理なんだよね。


 この時代は一般的には二食だが、間食をしないわけではない。熱田も津島同様に人が増えて町が拡張している。こちらは町の外れに自然と言うか、勝手に家なんかが出来ているんだが、蟹江の普請なんかの影響もあり、ここも景気がいいらしい。


「これに甘いものを包んだら美味しそうですね」


「本当ですね」


 おおっ、千代女さんとお清ちゃん。ガレットもどきを食べて、何気にクレープに繋がる発想をしたね。


 高価な甘い菓子はウチでは当然だからなぁ。ただ食べ過ぎると太るということを割と最近知ったらしく、侍女さんたち女性陣は食べ過ぎ厳禁と決めたんだとか。


 戦国の世でダイエットが必要になるのはウチか織田家だけだろう。相当な贅沢をしていることになるな。


 粉もの文化が確実に尾張に定着しているね。領民が気軽に食べられるものが増えるのは良いことだ。


 信長さんも、那古野城でたこ焼きを自ら焼いて城の人たちに振舞っているんだとか。去年の熱田祭りで教えたらマスターしちゃったからなぁ。割と不器用だったせいか、ちょっと哀しげな勝三郎さんが気になるけど。


 今年も信長さんはウチと一緒に屋台に出向くつもりのようで、最近も練習を兼ねてたこ焼きを清洲城にて振舞い大いに評判だったみたい。


 帰蝶さんも驚いていたらしいが、清洲城の人々はもっと驚いていたんだとか。うつけと言われて家中からも眉をひそめられていた信長さんが、下働きの者にまでウチの料理を振る舞ったことは大きな成長だと思われたのかもしれない。


 ただ、うつけスタイルだと、見た目は的屋のあんちゃんなんだよね。信長さんって。




◆◆◆◆◆◆◆


 天文十八年初夏のこと。桑名では非会合衆の商人の一斉蜂起が起きたと一部の記録に残っている。


 事の始まりはこの年の前年にあった、服部友貞と織田との戦である市江島の戦いにあると思われる。


 戦いのあと大湊と願証寺などは織田との協調路線になったが、桑名は相変わらず反織田の姿勢を取っていたと同じ記録からも推定される。


 前年にはかの有名な『桑名の一人相撲』という言葉が出来た事件が起きたほど、桑名は反織田だったようで願証寺の僧も呆れていたとの記録が残っている。


 もっとも桑名は織田に許されずに反織田の姿勢を取るしかなかったとの説もあるが、詳細は不明である。


 一方、久遠家家老を務めた滝川資清の『資清日記』には久遠家が一向衆について随分悩み対策を考えていたと思わしき記述もあり、桑名の反織田自体が意図的な策のもとで放置されていた可能性もあるとして、詳細は今も研究が続いている。


 ただ、織田による桑名放置は桑名の商人たちにとっては死活問題であり、一斉蜂起につながったと推測されている。


 この一件で桑名は事実上織田の影響下に収まったことになり、織田家は伊勢湾の支配をほぼ確立させた。


 なお服部友貞からの一連の出来事が、後の講談では久遠エルによる伊勢湾支配の策だということが定番として語られているが、やはり明確な証拠は今のところ発見されていない。



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