第三百三十五話・久しぶりの津島

Side:久遠一馬


 尾張では田植えの準備が始まっている。本当に田植えをするのは農業試験村と太田さんの領地村だけで、あとは田んぼに種籾を直播きだよ。まあ田作りのところからなら同じだ。


 身近なところでは農業試験村は麦と米の二毛作なので田植えが遅いものの、湿田などは早植えのところがあり準備が進んでいる。


 災害での被害が大きい時代だから、植える時期を分けている。ある意味、生活の知恵だね。


 太田さんの所領である村も、今年から第二試験村として塩水選別とかやって田植えに備えているところだ。


 あと織田家では斎藤家から検地や人口調査を教えてほしいと頼まれたので、美濃に人を派遣する日程調整をしている。ウチとしてはいつでもいいんだけどね。迎える側はそうもいかないから。


「馬車でしたか。あれはよさそうですな」


 この日は津島の近況を視察に来ていて、大橋さんに挨拶に来たが、ふと馬車の話題となった。


 馬車は今のところ三台しか使っていない。工業村に渡した一台は分解して調べたのちに組み立てたり、また分解したりしているらしい。


 信秀さんに贈った馬車はお市ちゃんを始めとした子供たちがウチや学校に来るのに使っていて、信長さんに贈った馬車も信長さんが信秀さんのところに回しちゃったみたい。やっぱり小さな子供の移動は馬車のほうがいいからね。


 ウチの馬車を信長さんが帰蝶さんと一緒の時に使い、それ以外の時はオレやエルたちや資清さんが清洲に行くときに使っている。オレたちは騎馬でもいいんだけどね。


 ただ、やっぱり目立つんだろう。朝なんかは見物人が出ている時があるからね。津島でも早くも話題になっているようだ。


「ええ。移動が楽で速いですよ。小型の馬車ならば日ノ本の馬でも牽けます。今試作をさせてますので、すぐに大橋様にもご融通ゆうずう出来ますよ」


「ほう。それは楽しみですな。されど、あれを使うにはまず川に橋を架けねばなりませんな」


 馬車が欲しいんだろうなと思ったので、工業村での生産が始まり次第、融通する約束をすると喜んでくれた。


「そうですね。清洲から津島と熱田と蟹江は街道を整備して馬車が使えるようにしたいですね。陸で馬車が使えれば、川舟と合わせて尾張下四郡は更に豊かになりますよ」


「壮大な策ですな」


 商いに明るい大橋さんは馬車の影響をおおよそ理解しているようだ。畿内に対抗とまではいかないが、織田が今後も経済発展をするためには、この街道整備は欠かせない。


 ウチで指導している醤油の生産や、綿糸や生糸から反物を生産する産業も始まり少しずつだが拡大している。


 尾張では、鍛冶や鋳物職人も地味に増えている。昨年に政秀さんが畿内から呼んだ職人たちは尾張の各地で働いているが、戦もほとんどなく景気がいいのが人気で、京の都や堺から流れてくる職人がちらほらと出てきている。


 なにより原材料となる鉄や銅が簡単に手に入るから仕事が成り立つ。特に鉄が安いのが決め手だろう。


 まあ、いろんな人が流れてきて問題も増えているが、清洲・那古野・津島・熱田・蟹江は警備兵の存在が本当に役に立っている。


 少し話が逸れたけど織田がこの先も発展していくには、清洲・那古野・津島・蟹江・熱田が一体となるつもりで計画的に発展させないとすぐに行き詰まるだろう。


 津島では商人たちが銭を出して浚渫しゅんせつをしている。ウチも資金を出したが他の商人たちも景気がいいし、蟹江が良くも悪くも刺激になっているみたいだ。少しでも河川湊の津島を使いやすくしておかないと、商船、商人が寄り付かなくなるとの危機感があるようだ。熱田も同じように津島に負けまいと動いているしね。


 結果として尾張は農閑期でも暇な人はいないだろう。戦をしなくても働いて飯が食えるんだ。


「そういえば、真珠と翡翠でしたか。あれは本当に凄いですな。あれをひとつ見せるだけで明の商人の目の色が変わりまする」


「品物にもよりますが、あれは大陸まで持っていけば高値で売れますから」


 最近の津島は明からの密貿易船がぽつぽつと来るようになった。今日もその話を主に聞きに来たんだけど。


 大橋さんには形や色をあえて不揃いにした真珠と翡翠をごく少量だけ渡していて、明の商人が来たら少しだけ売るように頼んである。


 替わりに欲しいものは日本国内ではあまり採れない漢方薬の材料とすずだ。錫は銅と混ぜると青銅になる原料である。そして銅銭を鋳造するのに欠かせない添加物だ。


 去年、熱田のお祭りに来た明の商人である王珍ワンチンさんから話が知られたのか、真珠を欲しがるんだよね。


 あまり量をだすと値崩れするから、とっておきだと言いつつ少量を売って大きな利益になっている。


 ちなみに本物の南蛮船は未だに来ていない。オレたちが密かに沈めていることもあるし、もともと九州くらいしか来ていないからな。


 明の密貿易船も以前はせいぜい堺までしか来なかったようだけど、物珍しさもあって少し来ているらしい。ただ、尾張はあまり彼らが儲かるような相場ではない。生糸や硝石はウチが高くなりすぎない値段で運ぶからね。


 そういう事情もあって、尾張に来る船は未だに多くない。


 情報漏洩とか面倒なものを持ち込まれても困るし、正直尾張だとあまり南蛮や明の船は来てほしくないところもある。




 大橋さんの屋敷を後にし、津島の屋敷に寄る。


 ここはすっかり商い専用の屋敷になったなぁ。時々来るけど今日も酒造りで賑わっている。


「いらっしゃいネ」


 出迎えてくれたリンメイに冷たい紅茶とクッキーを出してもらって、エルと護衛のみんなと休憩をすることになる。


「最近どう?」


「ここは順調ネ。でも津島は少し人が増え過ぎているのが難点ネ」


 津島はすっかりリンメイに任せているが、津島の町は今も拡張が続いている。これは織田家主導ではなく津島主導なのでウチもほとんど関わっていない。


 ちなみに警備兵の津島内部での活動は、リンメイとウチの家臣が差配している。全体的な管理はセレスが担当していて、ジュリアは武芸の指導などを中心に新兵教育をしている。


 警備兵運用のノウハウが津島にはないんだ。あと派遣する条件として織田家主導での運営というものがあるからだけど。


 現在の津島は、織田の商いから切り捨てられた桑名の代わりに周辺諸国の商人が集まりつつあり、彼ら向けの宿が必要で商品を保管する蔵や倉庫も必要となっている。


 もともと河川湊であった津島は必要に応じて拡大しているが、清洲や那古野や蟹江と違い将来性とか考えないで拡張しているから、リンメイの懸念になっているのだろう。


 大橋さんには以前に少し言ったんだけど。将来を考えた街づくりの必要性は理解しても、計画的な拡張をしている余裕自体が無いんだ。


 こちらは蟹江が出来て落ち着いたら改めて考えたいと言ってたっけ。


「警備兵は順次増やして訓練していますから。今が一番大変でしょう」


 さらに増える間者や治安を悪化させる流れ者も増えている。津島の人たちも牢人を雇い対抗しているが今は我慢の時なんだろう。


 エルも言った通り警備兵は人員を増やしている。初期に警備兵となった信長さんの悪友とかは早くも新兵の訓練を担当するまでに成長しているくらいだ。


 ちなみに、最近は流れ者も警備兵に志願し始めていて、こちらは尾張出身者と分けて運用するつもりで雇って訓練をしている。


 別に使い捨てにする気はない。ただ城や重要拠点は尾張の人、特に弾正忠家直轄領の人のほうがいいし、荒くれ者への対処は元牢人の方がうまい奴が多いんだ。


 今日はポカポカと春の陽気で小腹が満たされると眠気が襲ってくる。


 縁側でエルとリンメイと一緒にゆっくり昼寝でもしたいなぁ。人に見られたらバカ殿扱いされそうで怖いけど。


「にゃーん」


「あれ、猫飼ったの?」


「何処からか迷い込んだ野良猫の仔ネ。ご飯をあげたら住み着いたヨ」


 うとうとしながらこの後どうしようかなと考えていたら、見知らぬ仔猫が縁の下から数匹出てきた。


 白い毛並みに黒ぶちの仔猫たちだ。名前はまだない。


 この時代はネズミ捕りに猫を飼う家が多いからなぁ。ウチはロボとブランカがいるから飼っていないけど。


 船にはネズミ捕りの猫が必要だし、このまま津島で飼ってもいいのかもしれない。

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