第三百六話・さよなら土岐家

Side:???


「若。ご決断を!!」


「オレはもう土岐家とは関わりがない。来るなと言うたであろうが」


 また懲りずに親父の家臣が来た。いい加減にしてほしい。オレはもう土岐家とも親父とも関わりのない僧なのだ。


「ですが、このままでは土岐家は……」


「知らぬ」


 斎藤家と織田家の婚礼話で美濃は明るい。尾張のように飢えぬ国になるのではと皆が期待しておるのだ。


 それを今更、誰が土岐家の隆盛や再興など望んでいよう。オレのところに来るこやつらも、本心では土岐家のことより自身の家と守護家重臣の立場を失いたくないだけだ。なのに今更、忠臣面で来るこやつらが心底嫌になる。


 オレが廃嫡された時に庇ってくれたのは織田弾正忠殿だけだ。自己の思惑があったとしても、他は知らぬふりをするか上辺の同情を装い終わりだ。そんなこやつらがあの男を更に愚かにして土岐家を貶めたのだと何故分からぬのだ。


「されど……」


「あの男に自害させるしかあるまい」


「ですが我らは……」


「今更、体裁を気にするのか? オレを見捨てて土岐家をここまで貶めた己らが。ならさっさと斎藤なり織田に鞍替えすればいい。美濃土岐家は終わりだ」


 斎藤山城守からは土岐家と家臣に美濃から出ていけと書状が届いているらしい。和睦も守れぬ土岐家をこれ以上支える気はないそうだ。


 こやつらはオレを担いで、まだ守護の側近でいる夢を見ている。くだらん。実にくだらん。




 やつらが来なくなって数日。美濃の米が一気に安うなった。何事かと思うたが、織田が動いたらしい。大量の米が尾張や大湊の商人を介して、美濃で売られておると騒ぎになっておる。


 戦を当て込んで大量に兵糧を抱えておる商人と国人衆は大損だと騒いでいるわ。さらに織田と斎藤の婚礼が恙なく行われると知れ渡ると、落ち始めていた米の値が一気に落ちた。


 祖父の後継争いから近隣を巻き込んで戦が続いていた美濃なだけに、今後も戦が続くと考えておる商人は更に買い足している者もいるらしいが。……恐らくは大きな戦はないのであろうな。


 そしてこの日の夕刻、再び親父の家臣が来た。


 急な流行り病で親父が亡くなったらしい。いや、こやつらが殺したのだろう。かような嘘をオレに言う。それがこやつらの本性だ。


「それで?」


「跡継ぎの小次郎様はまだ幼く、若に戻って頂きたく……」


 結局、親父を殺してでもおのれらの地位を守りに入ったか。遅い。なにもかもが遅い。


 織田が何故米の値を下げたのか分かった。親父が殺され、織田にとって戦が必要なくなったからであろう。まだ親父を煽っていた長井隼人佐などが残っておるが、御輿の守護がいなくなれば連中に出来ることはなにもない。ただの謀叛になるだけだ。


「いいだろう。すぐに母上と弟たちを連れて近江に行く。だれか六角家への使者となれ」


「なっ!? なにをおっしゃいます!」


「オレが守護になるといつ言うた? 母上と幼い弟たちは不憫故に、所縁ある近江で暮らせばいい。オレも近江に行く」


 実は斎藤山城守からはオレのところにも文が届いておる。土岐家に復帰するならば美濃から出ていけというものだ。その代わり出ていくならば、当座の銭は用立てるとな。最早、御輿も不要なのだろう。


 オレは土岐家に復帰する気はない。だがこのままでは、あまりに祖先に申し訳が立たず、母上と弟たちが不憫過ぎる。


「それでは我らはなんのために!!」


 オレの言葉に激怒するこやつらを見て、仏門に入り良かったと心底思う。


 誰が己らを信じるか。今や仏と称される織田弾正忠殿ならまだしも。


 オレを守護にしておのれたちが残るだと? 事情を知らぬならば忠臣と言えなくもなかろうが、言い換えればこやつらは今更織田にも斎藤にも鞍替え出来ぬだけだ。


「己のためであろう。土岐家をここまでしておいて、なにを言う? それともオレも殺すか? 構わぬぞ。土岐の名を捨てた際に覚悟を決めた。さあ、殺せ!」


「……畏まりました。使者を出しまする。されど我らは付いてゆけませぬ」


「構わぬ」


 こやつらの面倒まで見ておられぬ。六角次第では美濃を取り戻せるかも知れぬが、それでは六角の家臣となるだけだ。


 それに六角は畿内の争いで忙しいと聞く。おそらくすぐには動くまい。子や孫の代がどうなるかは知らぬが、今は大人しく生きていくしかあるまいな。


 親子兄弟で殺し合った罰を受けたのだ。土岐家はな。




Side:久遠一馬


「土岐美濃守様。家臣に殺された模様。一族は近江の六角家を頼り、揖斐北方城を離れたようでございます」


 二月も半ばとなり結婚式まであと少しとなったこの日、望月さんより美濃の騒動の呆気ない幕切れを告げられた。


 虫型偵察機の情報では織田家と斎藤家との和睦を狙っていた家臣が協力して頼芸を討ち取り、廃嫡されていた長男を後釜にしたかったらしいが。長男はそれを拒否して、そのまま頼芸の正妻、母親の実家である近江六角に行くらしい。


 動いたのは道三だ。土岐家の息子と和睦派の家臣に対して国外に出ろと書状を送って圧力を掛けたみたい。事実上の追放だ。主戦派にはワザと圧力を掛けないのが、道三の凄いところだね。


 一方の頼芸は和睦派に隠居を迫られたが、当然これを拒否、和睦派もさすがに勝ち目がないので頼芸の排除を優先し殺害された。


 後釜を拒否した長男とは以前に道三の讒言ざんげんにより、頼芸に廃嫡にされたと言われる頼栄だ。ただ噂レベルの事情を聞く限りだと、自分の思い通りにならない頼栄が頼芸とは合わなかっただけらしいが。


 和睦派の家臣が廃嫡にされていた頼栄を引っ張り出そうとした。本来は頼芸を隠居させて頼栄を守護とすることで収めたかったが、頼栄の決断に関わらず、すでにそれは不可能に近かった。


 土岐頼芸は史実よりだいぶ短い人生となったな。史実のように道三が信秀さんより強ければ諦めもついたのかもしれない。


 信秀さんが強く、なまじ守護に戻したのが、頼芸にとって仇となったんだと思う。一度手に入れた地位や富はそう簡単に手放せないからな。


 美濃には絶対的な統治者がいないことで変に期待させてしまったんだろう。


「そう。ご苦労様。土岐一族が近江に入ったら忍び衆は引き上げていいよ」


「はっ」


 残る一族と家臣も美濃から出たら監視は不要だろう。美濃への返り咲きを狙ったところで、数年はかかる。その時間があれば美濃に土岐家の居場所なんてもうないだろう。まあ、美濃にはまだまだ独立勢力もいるから、そちらへの対処は必要だけど。


 それより、残る長井道利は斎藤家で始末をつけるべく、義龍が軍を出している。彼が斎藤家に残るために道三の出した条件が、長井道利を討ち取ることだったからな。


 こっちは頼芸ほど無能でも無力でもない。とはいえ肝心の頼芸はもういないし、斎藤家は織田との婚姻で安泰だ。


 史実の長良川の戦いで道三は二千数百だったか。今回の長井通利にはその半分でも集まればいいけど。無理だろうな。義龍は戦も悪くないはず。


「そういえば伝書鳩はどう?」


「はっ、恐ろしきものでございます。当面は慎重に試してみまする」


 それと今回、望月さんには伝書鳩を試してもらっている。リリーが以前から訓練していたが、一部が使えるようになったので望月さんに信頼出来る人で実証テストをしてもらってるんだ。


 初めての成果が土岐頼芸の訃報というのはなんとも言えないけどね。


「エル、美濃の騒動は終わりかな?」


「そうですね。ただ国人衆は、しばらくは織田と斎藤の動きを見つつ様子見でしょう」


 米の値下げは頼芸が殺される前に準備を整えていて、殺されることが確定した段階ですぐに大量に売り払い一気に下げた。この手の問題で一番難しいのはタイミングだけど、ウチは虫型偵察機とかあるからね。


 今回は大湊と斎藤家と織田家の共同での相場操作だ。指揮はエルが執って政秀さんと湊屋さんが各方面と上手く調整してくれた。


 美濃からはごっそりと銭が尾張や大湊に流れた。代わりに米は美濃にあるが、価値は秋よりも低い。美濃の商人は損をした分を少しでも取り戻すために、また米を尾張に売りにくるだろう。


 結果として織田は大量の銭を得たが、これがまた悪銭と鐚銭が多い。島に運んで鋳造し直す必要があるだろうなぁ。


 美濃の平定は、織田としては準備が整うまで先延ばししたい、だから当面はない。道三はいずれ臣従する気のようだが、それは今日明日の話ではない。今されても逆に困る。


 戦がなかったのはいいけど、ほとんどの国人衆がそのまま残ったのはマイナスとも言える。斎藤家も残り、織田が戦で勝っていないので、国人衆の領地や統治に過剰な口出しは余計な不和を生むだろうな。


 経済的な植民地がいいところで、邪魔な守護がいなくなっただけだ。また仕事が増えるのかね?




 ◆◆◆◆◆◆◆◆


 美濃騒乱。


 それは美濃土岐家最後の守護である土岐頼芸による騒動である。


 天文十七年の和睦で守護に返り咲いた頼芸であるが、尾張での第一回武芸大会の際に家臣が騒ぎを起こしたことで織田と久遠と対立することとなった。


 頼芸は形式的に仲介役である尾張守護斯波義統に謝罪はしたものの、慈母の方と言われていた久遠リリーに刀を向けたことに信秀が激怒したとも伝わっている。


 一馬もまた、縁もゆかりもない土岐家の不誠実な態度に気を悪くしたようで、和睦こそ成立したが織田家は土岐家に義理は果たしたと、事実上の絶縁に近い間柄となり頼芸は後ろ盾を失ってしまう。


 一方で、頼芸自身も斯波義統の裁定への不満を周囲に漏らしており、織田家と斎藤家を争わせて美濃での実権を取り戻そうと、色々と画策したようだ。


 しかし、このことは織田家には筒抜けだったようで、犬でも恩を忘れぬのに、土岐はもう恩を忘れたらしいと尾張では周知のことだったと『織田統一記』に記されて居いる。


 頼芸は日本初の兌換(だかん)紙幣とも言える織田手形の偽造を図るも失敗。しかも、その罪を斎藤家に擦り付けようとするなど策略を巡らすが、織田家と斎藤家のやり取りの中でそれらの目論見が織田家に筒抜けであったと判明しているため、土岐家には織田への内通者がいたというのが定説である。


 結果として頼芸の謀は、争わせるはずだった織田家と斎藤家の手を結ばせることになり、頼芸は実際の戦の前に家臣の手で殺害された。家臣はその際に頼芸が廃嫡にした土岐頼栄を擁立しようとしたが失敗したようで、頼芸の妻子は近江に追放されている。


 なおこの際に織田家は、戦を期待して高値になっていた米を大湊や斎藤家と協力して大量に売るという手法で大きな利益を得ている。


 どうもこれは大智の方こと久遠エルの策だったようで、土岐家亡き後の美濃での織田の勢力拡大を狙ったものと思われる。


 米の値を下げることで庶民の支持を得て、美濃の国人衆や商人の力を削ぐのが目的と言われ、経済力での国盗りの最初の事例とも言われている。




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