第二百五十四話・武芸大会・その四
side:久遠一馬
信長さんたちが戻ってきたが、なんとなく空気が重い。信長さんとジュリアは不機嫌そうだし。なにかあったのかな?
「土岐家の者が無礼を働いた子供を斬り捨てると言って、騒ぎを起こしていました。幸いなことに警備兵とリリーが止めていましたが……」
二人には聞きにくいし一番冷静なセレスに聞くも、またかとため息が出てしまった。
命が軽い。誇りと名誉を重んじるのは構わないが、その割に信義もモラルもない。
「その警備兵には大会が終わったら褒美を出そうか」
「手配しておきます」
まあ他人のことはどうでもいい。オレがやるべきは、土岐家の縁者を相手に子供を守った警備兵に、褒美を出すことだろう。
警備兵は全体として身分の高くない人が多い。どこの誰とも知らない子供を、身分の高そうな土岐家の縁者を名乗る相手から守った勇気と行動力は褒めなくちゃならない。
「土岐家も長くないな」
「如何なる意味だ?」
セレスはすぐに仕事に戻り、オレはついつい余計な一言を呟いてしまうと、信長さんに聞こえてしまったらしい。
「言葉の通りですよ。和睦の場でもあるここで騒ぎを起こすような、愚か者を連れてくるような御仁の先は長くないなと。少なくとも私は今回の件で、土岐家に配慮する気はなくなりました」
「確かにな……」
土岐頼芸はやはり駄目だね。史実云々ではなく人を使う能力がないのが今回の件で明らかになった。
腹の中でどう思っていても構わない。自分の立場と現状を考えれば連れてくる人くらいはきちんと選ぶべきなのに、それすら出来ていない。
「そのうち勝手に騒ぎだしますよ。次は山城守殿と組んで織田を美濃から追い出すとか企みかねませんし」
史実の戦国時代を見ていると敵と味方が入れ替わることはよくある。そして頼芸が織田に対して不満だという話は、以前から噂されていたことだ。
道三か義龍を抱き込み、美濃内の反織田を使って織田と戦をということを考えても不思議じゃない。
「許すべきではなかったか?」
「構わないと思いますよ。この場には願証寺や大湊からも人が来ていますしね。せいぜい土岐家の傍若無人ぶりを諸国に伝えてやりましょう」
信長さんもこのまま頼芸が大人しくなるとまでは思わないようだけど、まさか道三と組む可能性までは考えていなかったみたい。
実際に道三が動くかはまた別問題だけどね。美濃には旧来の秩序と勢力がまだまだある。織田の台頭を必ずしも望んでいる者ばかりではないだろう。
史実の義龍の謀叛ほど一方的にはならないだろうが、戦になる程度の戦力は集まる気もする。
「若様は土岐家に配慮して寛大な処置をした。それでいいと思います。戦をするには支度が必要ですから」
簡単に許したことを少し早まったかと悩む信長さんだけど、信長さんの判断は間違ってはいない。まだ戦をするタイミングじゃないんだ。
まずは今回の件を利用して、頼芸の無能さと愚かさを美濃国内と周辺諸国に伝えないと。
「戦をする前に勝敗を決めるか」
「幾つかやることがあるんですよね。不破の関を確保することとか六角家と朝倉家対策とか。それに東美濃はまだ手付かずですから」
信長さんはいつだったかオレが口にした言葉を呟いた。
戦国時代でも歴史に残る名将と言われるような人たちは、戦の前に準備をしていることが多い。
織田はまだ美濃と戦をする準備は整っていないからね。
土岐頼芸はどうでもいい。道三と義龍がどう出るか見極めないとね。
side:織田信秀
民も参加する武芸大会など聞いたこともなかったが、これほど上手くいくとはな。蝮の顔色が悪く見えるのは気のせいではあるまい。
「殿。お耳に入れたいことが……」
万事上手くいっておるが、ここで外から入った知らせに耳を疑いたくなる。
土岐家の縁者が酒に酔って
まさか織田と久遠の関わりを壊すための頼芸の策か? いや、あの男にそんな策を考える頭などない。そこな蝮ならばともかくな。
和睦をお膳立てした守護様とわしの顔を潰す気か?
この場におられる守護様にも知らせぬわけにもいくまい。話がこじれれば、織田と斯波は土岐と戦になる。
守護様の近習を通して伝えてもらうが、守護様は驚きと共に呆れたような顔をなされた。
無理もない。織田をいかにかしたいと思うのは理解するが、この場で織田と斯波を蔑ろにするようなことをされてはこちらも引けなくなる。
しかも内容も最悪だ。幼い童の不始末に刀を抜くなど器が小さいと笑われてもおかしくはない。そのうえで身を挺して見知らぬ童を守ったリリーの評判はすぐに広まる。
謝罪がなくば戦にせねばならぬ。
しばらく悩んでおると土岐家の者が現れて、慌てて頼芸になにかを伝えておる。ようやく事態を把握するか。向こうの出方次第では戦になるが……
先に動いたのは意外なことに守護様だった。近習を通して戦にしたいかと尋ねてこられたので否と答えた。今はまだその時ではない。
「美濃守殿。我が民がそなたの家臣に無礼を働いた様子。まことに申し訳ござらぬ」
わしの返答を聞いた守護様は静かに頷き、なんと自ら話を切り出して頼芸に謝罪を始めたではないか。
「あっ、いや……」
「だが、幼子の不始末に刀を抜くのはいかがなものかと思う。聞けばその幼子は我が家臣の下で、此度の和睦のために働いておったのだとか。土岐家は和睦を血で汚すつもりか?」
上手い。先に切り出して話の主導権を握ったばかりか、上手く童と和睦を結び付けるとは。
この場には尾張の有力な者ばかりか、大湊の会合衆と願証寺までおるのだ。これでは謝罪をせねばならぬ。
「まことに申し訳ござらぬ。当の者らの首をすぐにお届け致す」
「それには及ばぬ。わしは和睦を血で汚すつもりはないからの。ご家中の方の装束を汚してしまったとか。こちらで弁済致そう」
ふふふ。蝮も他の者も呆れてものが言えぬらしい。蝮などわしに助けでも求めそうな様子ではないか。
土岐家は
「まことに申し訳ござらぬ」
「尾張では武士から民に至るまで、皆で力を合わせておるのだ。美濃は随分と違うらしいの」
頼芸は一瞬苦虫を噛み潰したような表情で再度守護様に頭を下げたか。
下げねば戦だ。しかも大義名分もある。蝮は頼芸に付くことはなかろう。守護様も最後に嫌みを口にする辺り、昨日からの頼芸の態度が腹に据えかねるものがあったのであろうな。
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