第二百十七話・大自然の船旅

side:佐治水軍の船乗り


「ん? どうした?」


「弁当、間違ってくれたんじゃねえか?」


「本当だ」


 さあ、関東に行くぞ! と意気込み出発して、しばらくした頃。波が穏やかなうちに飯にしようとしたら、少し騒ぎになってやがる。


 久遠様いわく『船乗りは朝晩に昼も飯を食うものだ』と言われて弁当を貰ったんだが、明らかにオレら向けの弁当じゃねえな。


 なにか分からねえ黄色や黒に、緑の華やかな食材に魚や海老まで乗っているもんな。これは絶対に客人の飯だ。


「届けてやらねえと困るだろ」


「久遠様の家臣、うっかり間違うんだな」


 美味そうだけど、ここは我慢してかしらに伝えねえと。


「それは皆さんの弁当ですよ」


 船は近くを走っているんだ。弁当の交換くらいすぐに出来ると頭に報告したら、沖に出るのに慣れていないオレらのために乗船した久遠様の船乗りがとんでもないこと言いやがった。


 さすがにそれはねえだろ。


「当家の習わしです。船乗りには出来る限りの食事を出してくれます」


 こんな飯、食ったことねえぞ。本当にいいのか?


「うめえ。生の魚と白い飯がこんなにうめえなんて……」


「馬鹿! これは特別だ。酢だって安くねえし、これは海苔だぞ!」


 まあ、いいって言うなら食ってもいいよな? 頭もちょっと迷ってるが、久遠様の船乗りが言うんだから間違いあるまい。


 黄色いやつがなにか分からねえがうめえ。白い飯には酢の味が付いてるけど……。酢ってこんなに甘かったか?


 よく見れば頭も一心不乱に食ってやがる。というか舵はちゃんと取ってるんだろうな!?


「久遠様だから米の握り飯くれたのかと思ったが、こんなうめえ弁当をくれるなんて!」


 そうだろうよ。麦の握り飯でさえ船の上だと喜んで食うからな。まさかこんな、清洲のお殿様が食うような弁当が食えるとは思わなかったぜ。


「おい! 夕飯の前に菓子も食えるみたいだぞ!」


「本当かよ」


「ああ、あとなんか分からんが、美味そうなものが下に山ほどあるぞ!」


 おいおい。こりゃ食った分は必ず働かねえと水軍の名が廃る! 俺たちは客人じゃねえんだ!!




side:久遠一馬


「これは絶景ですな!」


 あの……、佐治さん。危ないですよ。


 南蛮船の差配を学びたいとウチの船に乗ったんだけど、一番はしゃいでる気がするのは、気のせいだろうか。いや、船乗りのバイオロイドと一緒に働いてくれているし、学びたいのは本当だろう。


 ただ、マストに登って見張りまでやらなくても。というか登りたかっただけだよね?


「そうか! 次はわしが登るぞ!」


「危ないですよ。孫三郎様」


「わしは木登りは得意でな。案ずるな!」


 木登りと一緒にしないでほしいなぁ。本当に信光さんって、信長さんと似ているよね。自由すぎる。


 でもこの人は戦になれば活躍するし、内政にも理解がある。この前なんか農業試験村に行ったみたいで、来年からは信光さんの領地でも一部でやらせたいって言ってきた。


 細かいことは家臣任せで自分はやらないけど、理解があるし新しいものを取り入れるのに迷いがない。


 曲者と言えば失礼かな。要領はかなりいい人だ。


「好きにさせておけ」


「これは面白いものですな」


 同じく自由人でもある信長さんは、信安さんと幻庵さんとジュリアとメルティでババ抜きをやっている。


 船に乗ってから気付いたけど、信長さんと信安さんは実は仲がいいみたいだ。そういや、史実でもそんな逸話あったような?


 信安さんは割と落ち着いているね。長旅になるので少し不安でもあるかと心配したんだけど、そうでもないみたい。


 もう少し不安とか緊張感あるほうがいい気もするんだけど。太平洋航路は危険なんだよ。


「無理だと思う」


 ケティさんや。人の顔色を見て突っ込まないでおくれ。オレも無理なのは理解しているから。


 考えてみればリアルな戦国時代って、誰にも分からないんだよね。数少ない記録から推測した姿が本物みたいに言われてるだけなのかも。


 それに、オレたちがそれだけ信頼されている証でもあるんだろう。これはこれで自然な姿だと受け止めるほうがいいね。


「あれ? エルは?」


「鼻歌歌いながらお菓子作ってる」


 オレが神経質になっていただけかなぁ。楽しんだもの勝ちなのかもしれない。


 ちなみに若手の武士たちは甲板で戦う練習をしている。慣れない船で戦になった時のためにって言っていたけど。


 真面目なのが半分に、あとの半分は信長さんたちにアピールしたいだけだと思う。チラチラと信長さんたちのほうを見ているしね。


 可成さんは真面目なほうだなぁ。安心したような。これはこれで不安なような。




◆◆

 天文十七年、晩夏。


 織田家では黒船船団による関東訪問が行われた。これと前後して桑名の一人相撲があったが、黒船船団はそんな桑名をまったく気にすることなく出発したと言われている。


 この関東訪問に関しては、太田牛一による『天文関東道中記』として現代に伝わっているが、その内容は驚くべき部分もあり今もなお議論されている部分もある。


 余談だが、太田の著書は全体として誇張や偽りがなく当時としては面白味がないと言われることもあったが、信長や一馬は彼の著書を気に入り晩年に至るまで手元に置いていたほどだった。


 それによると初日は船上でちらし寿司弁当を食べて、佐治為景や織田信光はマストに登っていたとある。


 他にも信長が織田信安や久遠ジュリアや久遠メルティと久遠絵札をしていたとの記録もあり、信長と僅か数ヵ月前まで守護代だった信安が親しい関係だったことなどが垣間見える。


 加えて南蛮の女性であり、臣下の妻だったジュリアやメルティと信長が気さくに遊ぶ姿に、当時の久遠家と信長の関係が表れてもいる。


 ただし、太田の著書としては異例であるが、本作は内容を一部誇張しているのではとの疑惑を口にする学者もいる。


 当時の造船や航海技術ではそこまでの余裕があるはずがないとの理由と、久遠家が自家の力を誇示するために余裕があるように書かせたのだとの主張になる。


 もっとも久遠家の南蛮船は尾張に来た当初から黒く塗られていて、すでにコールタールを使用していたことは佐治水軍の記録からも間違いない。


 それらの推測と太田の残した記録から考えると、模倣したはずの本場の南蛮船を久遠家がすでに超えていたのだとも言われているが真相は定かではない。




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