第百六十八話・周辺情勢

side:佐治為景


「わざわざ済まぬな」


 久遠殿から山に植える若木が届いた。


 織田領内の山々から集めた手頃な若木だという。まずはこれを山に植えればいいのだとか。聞けば畿内ではすでに植林をした場所もあるらしく効果は確かなようだ。


 山に木がないと土砂崩れが起きるのは、わしでも知っておるがな。


「いえ。お役に立てていただければ、なによりでございます」


 使者殿は若いな。なんでも元は農民の出だとか。にもかかわらず久遠殿ところではかような役目を頂けるほど立身出世が出来る。少し羨ましくなるわ。


 織田に臣従してまだ半年なのだが、我らの暮らしは変わった。


 水軍としての税以外の実入りが桁違いに多くなったのだ。いわしを干した物や小魚の醤油煮。海藻に海産物を干した物は、すべて久遠殿が買うてくれる。


 先の戦では銭や兵糧を褒美として頂いたばかりか、拿捕した船まで頂いたほどだ。久遠殿に半分やらなくてよいのかと思うたが、近海でしか使えぬ船故、断ったのだとか。


 あの南蛮船を見ると分からんでもないがな。


 しかし、久遠殿は相も変わらず仕事が早いな。 こちらが怠けておるわけではないのだが。


「そういえば頼まれておった虫除けの香の入れ物が出来たぞ」


「はっ。ありがとうございまする」


「あの香はいいな。本当に蚊に刺されなくなる」


 仕事と言えば久遠殿に頼まれて虫除けの香の入れ物を作った。何故か猪の形をした物をと頼まれたので作ったが。何故、猪なのだろうな。


 まあ入れ物の形はともかく、あのぐるぐる巻きの形をした虫除けの香はいい。夏になると蚊が鬱陶しいが、あれを使えば本当に蚊に刺されなくなる。


 かようなものひとつでも大きな財を成せるであろう。久遠家は恐ろしいところだ。


「ああ、そういえば津島の天王祭への招待状が来たが、久遠殿がなにかするという噂は事実か?」


「はっ。まことでございます。某も詳しくは存じませぬが」


 先日、清洲の殿から津島天王祭への招待状が届いた。面白きものを見せるとの意味深なことが書かれておった。


 市江島のほうからの知らせでは、久遠殿がなにやら支度をしておるとか。清洲の殿が命じたのか久遠殿が言い出したのか。


 いずれにしても、なにが起きるのやら。


 久遠殿も並みではないが、その久遠殿に勝手を許す清洲の殿もまた並みの御方ではない。昨年の今頃にいったい誰が、織田弾正忠家がここまでなると思うたであろうか。


 伊勢商人すら争いを避けて、今川からの威圧はなきに等しい。尾張国内では大和守家が途絶え、伊勢守家は臣従した。三河の矢作川流域の国人衆も一気に織田に傾いたほどよ。


 恐ろしきはろくに兵を動かさずに成しておることか。戦もあるにはあったが、大勝してしまい、すぐに終わってしもうたからな。


「そうか。大湊と桑名の動きにはくれぐれも気を付けられるように伝えてくれ。なにか分かればこちらもすぐに知らせる」


「はっ。確かに伝えまする」


 久遠殿は城や領地で世を見ておらぬ。物品と銭の流れで、すべてを成したと言うても過言ではあるまい。


 今の織田の敵は今川でも斎藤でもない。伊勢商人なのだ。わしが言うまでもないのであろうがな。


 いかに今川が強かろうと、伊勢の海の交易さえ握れれば織田は生きていける。義元がいかに海道一の弓取りと称されておるとはいえ、兵糧攻めは堪えるであろう。


 さて、我らは早々に届いた若木を植えるとするか。




side:久遠一馬


「三河がすっかり大人しくなったかぁ」


「はっ。理由は幾つかあると思われまする。ひとつはお味方の態勢が整いつつあり安易に攻められなくなったこと。もうひとつは織田と今川の戦があると噂になっておりますれば、備えに忙しいのかと」


 外は夏真っ盛りの晴天だ。


 エルと資清さんに望月さん。それと太田さんなどを集めて、各地に派遣した忍び衆からの報告書に目を通しつつ情勢を分析する。


 畿内には銭雇いの伊賀者がいて、将軍が京の都に戻ったとかいう知らせが届いているけど。そっちは今のところ関係がない。


 そもそも、どっかのゲームじゃあるまいし、情勢を分析するだけで一苦労なんだよね。この後、分析した情勢を信長さんと信秀さんに報告しないといけないし。


「こちらの商人も陸路で三河に入っておりますからな」


 現状で情勢が流動的なのは三河だ。第一に松平宗家があまり動かなくなった。今川に臣従する姿勢に変わりはないが、織田と織田に臣従する国人衆への攻撃は減っている。


 矢作川流域の国人衆も織田と今川の間でバランスを取り始めたのか、食べ物を奪うために小競り合いを仕掛けてくるのも減ってきた。


 史実で織田に味方した西吉良家を筆頭に、織田寄りの態度を見せ始めた国人衆も少なくない。


 まあ連中はあまりアテにはならない。今川が本腰を入れて攻めてくればどちらに転ぶか分からないし、別に今川と手切れにしたわけではないからね。


 ただ、史実と違い矢作川の西側がほぼ織田で固まったので、織田と今川の間で双方の顔色を窺う者が矢作川流域に移っただけだろう。


「商いで優遇するのは殿の命令だからね」


 三河に関しては信秀さんが搦め手で少し動いた。


 松平方が国境の出入りを緩めたこともあり、尾張の商人が西三河を侵食し始めている。もちろん今川を刺激しないように、現状では慎重に個人の行商人を送っているだけだが。


 織田寄りの態度を見せる国人衆には行商人を通じて、僅かばかりの品を贈り商いで優遇している。


 こちらとしては三河の人たちには、織田と今川の戦が起きると煽るのを止めてもらいたい。


 困ったことに織田が強いと知ると、織田と今川が戦をして三河から今川を叩き出せると勝手な妄想をしている人たちが結構いるらしいんだよね。


「こちらから戦を煽るようなことは、しないようにお願いします」


「心得ております」


 エルも念を押さないといけないのが現状だ。織田と今川が争えば漁夫の利を。そんな認識の人もいるのはいいが、史実の足利義昭じゃないんだから。ちゃんと後先考えてほしいんだけどな。


「数年は国内の統治に専念すべきですから」


 現状は悪くない。一年前と比べると領地は広がったし安定しているだろう。ただし、今はいつ砂上の楼閣になってもおかしくはない状況で油断は出来ない。


 実のところそれはオレやエルのみならず、信秀さんとも同じ認識だ。せっかく統一した尾張を固めるための時間が欲しいのが本音なんだよね。


 織田家中には、もう美濃との和睦すら不要ではという楽観論を口にする者がいるとも聞くけど、信秀さんは今こそ和睦が必要だと本気で交渉している。


 ただ史実のように帰蝶姫が信長さんの嫁に来るかはまだ分からない。


 あまり知られていないが、史実では同時に信秀さんの娘か養女を道三の側室にしてるんだ。それも実現しない可能性がある。


 さすがにこちらから人質を出す必要性はないからね。力関係は史実の道三と信秀さん以上に開いているし。


 とはいえ和睦をすれば、織田が保護してる美濃の守護家である土岐頼芸ときよりあきを、道三……この時代でいう斎藤利政に押し付けることが出来る。


 以前にも少し状況を確認したけど、頼芸は守護だったものの利政により守護から降ろされていて、今でも守護に返り咲くことを諦めてないと聞く。


 美濃の揖斐北方城にいて尾張には来ないから、オレは会ったこともないけどね。


 ちなみに頼芸の後に美濃の守護になった甥はすでに亡くなっているから、彼を形式的に守護に戻せば織田はお役御免だ。


 忍び衆が調べてきたところによると、頼芸は信秀さんにも不満があるらしく周囲に愚痴を溢してるんだとか。


 去年予定していた美濃攻めを取り止めて以降、尾張国内の問題に専念する信秀さんが気に入らないのだろう。それに大垣周辺も形式的に頼芸を立ててはいるが、実質的には織田領扱いなのも気に入らないらしい。


 まあ本音は仏と言われて、領民や国人衆の支持が信秀さんにあるのが面白くないのだろうけどね。


 もっとも彼が気に入らないと言っても一切の影響はなく、むしろ斎藤家との和睦の口実にすらなりかねない。


 結局は酒好きで信秀さんが贈ってる金色酒を飲み、趣味の絵を描く日々らしい。


 確か奥さんが六角家の人だから一応警戒しなきゃいけないけど、史実の動きを参考にすると、あまり問題にはならなさそうなんだよね。


 正直、彼の存在が邪魔で美濃の改革とかできないんだ。


 よく分からない人だけど、こちらと協力する気がないなら、敵になってくれたほうがいいくらいだ。





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