第百四十三話・信秀、肖像画を貰う

side:久遠一馬


「これは……」


「なんと素晴らしい」


 予想以上の反応だ。


 今日は政秀さんに頼まれていた信秀さんの肖像画を献上しに、エルとメルティと一緒に清洲城に来た。ついでに地球儀も持ってきたけど。


 初めて見る西洋絵画には、信秀さんばかりか近習の人たちも驚きの声をあげるほどだった。


「一馬。その方が描いたのか?」


「いえ、残念ながら。描いたのはメルティです」


 政秀さんも絵が完成するまで信秀さんに内緒にしたんだから、なかなかお茶目な人だよね。驚く信秀さんの顔に嬉しそうにしている。


「南蛮にはこのような絵まであるとは……」


「私たちも本場の絵は見たことないので、なんとも言えませんけどね。向こうでは宗教の絵が多いと聞きますが」


 絵自体は写実的な絵で、信秀さんの威厳というか雰囲気がよく描けていると思う。


 同じアンドロイドでも性格も個性もあるから、同じ絵は他のみんなには描けないだろう。


「気に入った。褒美を出そう」


「ありがとうございます」


 史実だと信長さんは南蛮の新し物好きだったと歴史にはあるけど、信秀さんもそうみたいだね。まあ南蛮を毛嫌いしていなければ、海外の珍しい品物はみんな喜びそうだけど。


「これを絵師やら京の都の者に見せれば、いかな顔をするか見物だな」


 ただ信秀さんはニヤリと少し意味ありげな笑みを見せると、また騒ぎになりそうなことを口にした。


 オレたちも人のことは言えないけど、信秀さんも騒ぎを楽しんでいる部分があるよね。だからこそオレたちと一緒にやっていけるんだろうけど。




「そっちの丸いものはなんなのだ?」


「ああ、世界の地図です」


「世界とは……?」


 肖像画は評定とかやる広間に飾るらしい。そのまま話は一緒に持ってきた地球儀に移るが、こっちは説明が大変なんだよね。


 オレには無理だ。エルに任せよう。


 欧州では地球が丸いっていうのは紀元前から気付いていた人がいるらしいが、日本だと史実では織田信長が宣教師に聞いた逸話が有名かな。


「……以上の理由により遥か西の国では、大地は丸いと考えられています」


「ふむ。興味深いな」


 エルの地球球体説についての説明に、信秀さんたちは少し困惑気味だ。


 オレたちの信頼度から嘘だとは思わないらしいが、いきなり地球は丸いと言われてもね。にわかには信じられないだろう。


 エルも南蛮の学説を語るという言い方で説明しているので、嘘か本当かは証明できないような言い方だ。


 さすがに現状で万有引力などまで説明するわけじゃない。この時代の一般的な説を語っているに過ぎない。



「尾張はこれほど小さいのか?」


「そうですね。明や南蛮に比べると小さいようです」


「これほど狭い土地で我らは争っていたのか」


「明のことは改めて言う必要はありませんが、遥か西より来る南蛮人にも気を付けねばなりません。特に南蛮人の宗教は日ノ本の神や仏を認めません」


 地球儀の説明が終われば南蛮人の説明だ。ただこちらは説明が楽そうだ。話の流れからエルに任せるけど。


 宗教の政治介入や宗派の争いなど、この時代の日本の宗教もカトリックに負けず劣らず酷いからね。宣教師の危険性は理解しやすいはずだ。


 あわよくば植民地にしようというのも、戦国時代だと普通のことだからね。一向宗に乗っ取られた加賀が良い例だ。戦国時代基準で考えると世界も似たようなものだと言えるだろう。


 まあ実際に日本まで攻めてくる力はないらしいけど。こっちも伊達に半世紀以上戦ばかりしていないからね。


 ただ、さすがにこの件になると信秀さんたちの表情は固い。頭では予想していたんだろうが、宣教師や南蛮人の危険性は嫌な予感が当たった感じか。




side:服部友貞


「殿。願証寺がんしょうじはなんと?」


「織田と争う気はないそうだ」


「では願証寺は我らに死ねと!?」


「知らん!」


 事の始まりはあの忌々しい南蛮船だ。あれが来てからおかしくなった。通行税を払わずにわしを無視したあの南蛮人どもめ!


 奴らは織田に仕官しても税を払わぬままだったにもかかわらず、他の伊勢の水軍衆は南蛮渡来の荷を売ることで矛を収めさせてしまった。


 ところが織田と長年対立しておる、わしだけにはなにもない。


 さらにだ。最初は奴らだけが税を払わなかったのが、知多半島の佐治水軍が織田に臣従して以降は、他の商人までもがわしを無視し始めた。


 佐治水軍が津島にまで縄張りを広げたからな。


 なんとしても織田を叩かねばならんが、誰もやる気がない!


 北畠や六角は織田との商いで利があり尾張と争う気がなく、今川も文は寄越すが一向に動く様子はない。


 ならばと一向宗の願証寺に対して、織田にわしを無視せぬように働きかけを頼んだが嫌な顔をされて終わりだ。


 ここは船の通行税を取らねば、やっていけぬにもかかわらずだ。


 欲深い坊主どもめ。織田はいずれ伊勢に攻め寄せてくるはずだ。それなのに誰も理解しておらぬ。


「……殿。形ばかりでも頭を下げて和睦をされては?」


「たわけ! そのようなことが出来るか! あのような成り上がり者に頭を下げるなど御免だ!」


「しかし、このままでは……」


「税を取り立ててこい! 佐治水軍とていつもおるわけではあるまい!」


 我が服部家は元々は津島十五党の一員だったのだぞ! 津島を奪った織田などに頭を下げられるか!!


 クッ。あの忌々しい南蛮船さえなければ……。


 夜中にでも接近すれば沈めるのは成らぬことではなかろう。だがそれをやれば織田が攻めてくるかもしれぬ。


 わしの領地は陸続きではない故に大軍では落ちぬが、佐治水軍が動けばいかがなるか分からぬ。


 今こそ伊勢がひとつとなり、織田を叩かねばならんというのに。


「尾張では信秀も南蛮船も、民に頼みにされておりまする。津島衆も随分儲かっているようでして……」


「あの南蛮船さえなくなればよいのだ。嵐でも来て沈んでしまえばいいものを」


「殿。迂闊に動いてはなりませぬぞ」


「分かっておるわ!」


 クッ。なにか手はないのか?


 このままでは生きてゆけぬ。




◆◆

 天文十七年、初夏。


 西洋絵画による肖像画と地球儀が、織田信秀に献上されたことが『織田統一記』に記されている。


 日本画による肖像画はこの時代より過去にもあるが、西洋絵画による肖像画としては日本初となる。


 作者は日本西洋絵画の先駆者である久遠メルティ。絵画のみならず芸術面で多彩な評価を残している彼女の絵は、贋作が多いことでも有名である。


 現在では美術や歴史の教科書で、誰もが必ず彼女の絵を一度は見たことがあるだろう。


 信秀自身も大層気に入ったらしく、自慢するように清洲城を訪れた者に見せていたとの記録もある。


 なお、この織田信秀公肖像画は、現在は久遠メルティ記念美術館で展示されている。




 地球儀が日本の歴史に最初に出てくるのはこの時になる。


 地球儀は西洋では特段珍しいものではないため、一説には堺や博多の商人や九州の大名が先に手に入れていたとの説もあるが、真偽が不明で明確な記録にあるのがこの件になる。


 この時の地球儀は現存しておらず行方不明であるが、久遠メルティの絵画や『織田統一記』以外の記録にも地球儀のことが記載されており、献上したのは確かだと思われる。


 織田家がいち早く世界を知ったことは、後の歴史に多大な影響を与えたと言われている。


 ただし欧州では久遠家が不必要にキリスト教をおとしめたのだとの主張が現在でもあり、久遠家にいた欧州人が東ローマからの流民だという説や、カトリックに弾圧された知識層だという説と相まって議論が続いている。


 なお日本圏では宣教師は、欧州の海外進出と無関係ではないとの比較的落ち着いた論調で纏まっている。


 尤も日本圏ではキリスト教自体ほとんど見かけないので、大多数の人々は興味すらない。


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