第百四十一話・信秀の想いと一馬の想い

side:織田信秀


「ほう。山科卿がな」


「はっ。随分と困っておられるようで」


 京の都から五郎左衛門に面白い知らせが届いた。


 十数年ほど前か。尾張に来たこともある山科卿の荘園が、公方に横領されたらしい。


 力のない公家の荘園の横領など今時は珍しくもないが、まさか公方がやるとは。困っておるとはいえ体裁を取り繕うことすら出来ぬのか? それとも公家同士の争いでも背後にあるのか?


「うむ。せっかく作った学校だ。山科卿を一月ばかり師として招いて箔をつけるか?」


「それはようございますな。されど久遠家の持つ明や南蛮の知恵が領外に漏れる恐れがありまするが……」


「一部が漏れたところで構わんであろう。いずれにせよ、いつかは漏れるのだ。重要な部分を久遠家の秘伝にすればよい」


「はっ」


 織田も大きくなったからな。朝廷との繋がりはもっと欲しいところ。金色酒を折々に献上するだけでは足りぬ。


 随分と酒好きだからな。礼金と酒を贈ると言えば喜んで来るであろう。


「それにしても公方は理解出来ぬな。なにがしたいのだ?」


「某にも分かりませぬ」


 わしが理解出来ぬのは一馬と公方だな。一馬は次になにをするか分からぬし、公方はなにを考えておるのかが分からぬ。

 

 まさか一度や二度戦に勝てば公方に権威が戻り、天下に号令を掛けられるなどとは考えていまいな?


「今ならよう分かる。公方の下では天下は治まらぬ。どうやら当人たちにはそれが分からぬらしいな」


 そもそも朝廷の権威は落ちたが、それ以上に落ちたは公方の権威ぞ。公方は己の権威を求め、細川は公方の権威よりも己の権威を求める。もっとも近頃の細川は周囲を壊し蝕んでおるようにしか見えんが。


 このままでは上手くいくはずがない。


「殿。そういえば素破の待遇を変えたとか」


「ああ。一馬のやり方に合わせた。このままでは不満が出るからな」


 公方はまあいい。わしにはあまり関わりはないからな。


 しかし一馬たちのやることは理解しておかねばならぬ。あやつらめ素破を厚遇することで、忠心ある家臣を揃えおったからな。


 わしも数は多うないが素破を使うておる。連中が不満を感じる前に一馬たちのやり方に合わせただけだ。


「費用対効果と一馬は言うておったな」


「はっ。下手に土地に固執する武士よりは使いやすいのでしょう。実際久遠家は居心地がようございますからな」


 成果を問わず家族や郎党を食わせて、成果を出したら褒美を出す。また銭がかかるが、戦にしか使えぬ武士よりは使えるのは確かであろう。


 それに八郎を見ておれば直臣に欲しいほどだ。細かい差配は八郎に任せればよい。どうせ銭はまた入ってくる。


「怖い男だ。欲の無さげな顔をして、すべて持っていきそうに見える。あの男が南蛮の間者ならば、わしは一馬に降らねばならんかもしれぬな」


「殿。そのようなことは……」


「戯言だ。されど、そのくらいの男でなくば面白うない。そうであろう?」


 五郎左衛門め。一馬を怖いと言うたら珍しく顔色が変わったか。家中には未だに一馬を疑う者がおるからな。


 だが少なくとも間者ではあるまい。仮に南蛮があの男を間者にするほど強大ならば、織田は降ることも考えるべきだ。


 いずれにせよ、この乱世を生き抜くには力が必要なのだ。一か八か。あのような者たちと心中するのも悪うはない。


 末は天下か滅亡か。わしは最後まで見られるであろうか。




side:久遠一馬


 病院がいよいよ開院することになった。津島神社と熱田神社の皆さんがお祓いをしてくれることになったんで、挨拶に出向いてお願いしてきた。


 この辺の段取りは資清さんにお任せだ。付き合いもあるし、蟹江の港の件もあるからね。こちらのやることには参加してもらって味方にしておかないと。




「では皆さん。いただきましょう」


「はい!」


 それはそれとして、この日は家中のみんなを連れて海に来ている。


 海水浴にはまだ早いが、みんなで貝殻を集めてチョークの材料にする。それと新鮮な魚で浜焼きだ。


 部下を自害させたのは、オレの責任だからな。残された子供たちを立派に育てて活躍させてやらないと。


 あれは失敗だった。資清さんは必要なことだったと言うけど。本当に失敗だった。


 エルたちはこの展開を予測していたらしいが、最終的に選んだのは彼らだと言っていた。犠牲はいつか必ず出る。それに許して、同じ過ちを繰り返したり、追放したりしても、犠牲は出る可能性があった。


 何事も完璧なんてない。もしかするとそのことを、オレに理解してほしかったのかもしれない。


 今更だけどケティたち医療班には、残された子供と奥さんのショックを和らげてあげるように頼んだ。


 そしてオレも率先して、家中が上手くいくように声を掛けていこう。


「さあ、好きなだけ食べていいぞ。味噌汁も焼き魚も刺身もご飯もたくさんある」


 みんな元気だ。お父さんを亡くした子供もオレには悲しそうな顔は見せない。


 その笑顔を見ると余計に胸が痛くなる。


 現在、忍び衆はほとんどが甲賀者で、一部に伊賀の人がいる。


 海がない地域なだけに、新鮮な海の魚は貴重なご馳走なんだそうだ。川魚くらいなら食べられるらしいけど、それも貴重で滅多に食べられないとか。干物じゃない魚の美味しさを、尾張に来て初めて知った人も多いんだって。


 だからこそ浜焼きに連れてきた。身勝手な偽善かもしれない。でもやらないよりは何かやりたいんだ。


 オレは自害した人の分も頑張らないと駄目なんだろう。


 他人より恵まれてるんだからね。




◆◆

 天文十七年五月。


 久遠家において自害が禁じられたことが、『久遠家記』に記されている。


 事の経緯は不明だが、何度も命じたことを守らなかった者を追放処分とした際に、追放の代わりに命を以って償った者がいたことを、一馬がひどく悲しんだと伝わる。


 けじめは生きてつけるべし。そう語ったと伝わるが真相は定かではない。


 どうやら武士ではない下男や奉公人のようだったが、この時の一馬の悲しむ姿に家中が驚いたという。


 なお、この時の自害した者たちの墓は今も名古屋の寺に現存していて、一馬が晩年に至るまで何度か足を運んだことでも知られている。


 寺には供養をしてやってほしいとの一馬の書状が残っている。





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