第百二十九話・山の村と家の再興

side:久遠一馬


 懸案だった山の村の場所がやっと決まった。


 別に米は採れなくてもいいんだけど、集落は斜面や山間の谷に作りたくはない。飛騨の土豪には地震に伴う土砂崩れで一瞬にして滅んだなんて話もあるしね。


「ここでなにをなさるので?」


「いろいろですよ。まずは炭を生産します。あとは桑の木を植えて養蚕もね」


「養蚕ですか。あれはあまり上手くいきませぬが」


「明や南蛮の技を試すんです。多分、大丈夫ですよ」


 案内役は今回も山内さんだ。よほど信安さんの信頼が厚いのか、オレたちが危険な存在だと思われているのか知らないけどね。


 炭に関しては元の世界では当たり前の炭焼き窯による効率的な生産技術は、まだ一般的に広まってはいない。ごく一部ではそれなりの技術があるらしいけど。


 養蚕も蚕はあるみたいだけど質が良くない。生糸すら出来ないで絹綿きぬわたにするのがほとんどだというんだから、もったいない話だ。


 数少ない生糸も質ではみんに劣る。まあ最近ではウチが宇宙で生産した生糸が、東日本を中心にかなり入っているけど。


 金色酒のように物珍しさはないけど、競合相手が明から輸入している堺とか畿内の商人だから十分利益になる。生糸から反物にする工程も政秀さんが畿内から集めた職人の指導で、ようやく販売出来るレベルと量になりそう。


 生糸自体はさほど重くないから、船で運ぶコストが高いわけじゃないんだけどね。国内での生産に切り替えないと日本の銀や銅が流出しちゃう。


 まあその点に関しては、九州や西国に硝石を売る際に生糸も売る予定だ。博多の商人を敵に回しそうだけど、遠いし大丈夫だろう。それに取引自体は久遠家の名前ではなく、見知らぬ南蛮人のふりをして行えば問題ない。


「本当にいい場所を探していただきました。馬が一頭なら通れる道がありますし、それでいて周囲に集落はありません。機密を守るには最適でしょう」


「そう言うていただけると探した甲斐がありました。この辺りは戦に巻き込まれたことも有りませぬ故、人も来ぬでしょう」


 気になるのは村に通じる道が、獣道としか思えないところなんだけど。エルはいい場所だと喜んでいる。あとはなかなか来られないのが難点だけど、まあ仕方ないよね。


 森林資源の管理と効率的な炭の生産は、早めに成果を出して広めないと人口増加に対応出来なくなる。


「湧水があるんですね」


「それもここを選んだ理由になりまする。井戸を掘ると聞きましたが、水はあったほうが良いかと」


 山の村予定地には平地も少しあるが、田んぼにするには水が足りないだろう。ただし湧水もあるので、畑くらいなら作れそうだ。


 米は要らないけど芋でも作れれば、食料事情も安定するだろう。どのみち生産した品物を村の外に売ることが必要だから、完全な自給自足にする必要はない。


 うーん。山内さん。いい仕事しているね!


「それじゃあ、村作りを始めるか」


「そうですね。職人を手配します」


 村の住人は、検討中だ。機密を守れて、将来的に技術を広める役目も担う人材になるかもしれないので、慎重に考えている。


 この場所、元々は近隣の村を治める領主が自領としていたらしいが、山奥だったこともあり放置していたとのこと。その領主も先日の岩倉の内乱で反乱に加担した人だったようで、伊勢守家が取り上げたみたい。


 一連の交渉を上四郡の整理と一緒にやったらしく、伊勢守家には多少の礼金を払って終わりらしい。上手くいけば上四郡の山間部の領地の暮らしが楽になるからね。意固地になる必要はないと判断したんだろう。




side:水口盛里


 三河より戻ると妻も、唯一の従者である六助の妻も息災であった。周りの者たちが随分助けてくれておったようで、ありがたい限りだ。


 報告は紙に書いて提出するように命じられておる。たかが素破に紙を使わせるのかと驚いたものだが、働きを正当に評価するには必要だとのこと。


 六助と共に探ってきたことを紙に書き留めていく。


「他の者は武家の動向を探ったらしいが、我らはつまらぬ噂と商いの話ばかりか。果たしていかがなるのやら」


 探ってきたのは、三河の武家の動向ではない。


 三河における織田家や久遠家に松平家や今川家の噂話と、三河の商いの状況だ。今川領ということで駿河の商人が幅を利かせておるが、三河の商人にはあまり評判が良くないなど商人の事情はかなり探ることが出来た。


 近頃になり松平宗家が織田領から入る商人の取り締まりを緩うした知らせも、久遠家には役に立つであろう。


 結論から言えば三河の商人や松平宗家は、駿河ではなく尾張の商人との取り引きを望んでおる。金色酒などがいい例で安祥の勢力圏の数倍の値で三河に出回っておるのだからな。


 三河の銭や米が駿河にいいように取られておる状況に気付いた者が、三河にも当然おるらしい。


 もっとも今川が織田と戦う気があり三河を統一するのならば、それでも我慢したのだろう。されど三河では今川は織田と戦う気がないというのが、もっぱらの評判だ。


 今川は腰抜けではと噂になりつつある。


 織田が尾張を纏めたことも三河には早くも伝わっておった。次は岡崎だと評判なのだからな。松平宗家も本気にならぬ今川に義理立てしてまで、家を滅ぼすつもりはないと考え始めたのかもしれぬ。




「お呼びでございましょうか」


 報告を八郎様に上げて数日。某は那古野の久遠家の御屋敷に呼ばれた。次の任務かと思うたが、案内された場所には子犬と戯れる若い武士がおった。


 八郎様が控えておるところを見ると、このお方が久遠様か?


「この報告は貴方の報告で間違いないですか?」


「はっ!」


 久遠様は某が部屋に入ると、先日提出した報告を持っておられた。


 なんだ? なにか失態があるのか? 褒美ならば八郎様から頂くはず。何故尾張に来たばかりの某が、久遠様に目通りが叶うのだ!?


 まさか罰を受けるのか!? 背中を冷たいものが流れる。妻と六助らだけは累が及ばぬようにせねば。


「水口殿。ウチに仕えるために尾張に来たんですよね?」


「はっ!」


「では十貫で召し抱えます」


「……ははっ!!」


 信じられぬ。まさか召し抱えていただけるとは。甲賀から来ておる者は少なくないはずだ。何故、某を? 皆を召し抱えておられるのか?


「水口殿は、随分と几帳面ですね。報告書に行商の記録まで書いてきた人は珍しいですよ。三河の村々から品物の流れを通じた状況までよく分かる」


「その方はしばらく尾張を行商して歩け。久遠家に仕える以上は尾張を知らぬでは済まされぬからな」


「畏まりました!」


 商いの記録か。商いの荷はすべて八郎様に用意していただいたもの。それ故に記録を残して、儲けはお返しすべきだと六助が言うたのだ。


 まさか。それで仕官が叶うとは。


「ああ。前回の褒美があるんだ。帰る前に受け取って」


 まるで狐か狸にでも化かされておる気分だ。にわかには信じられぬまま、供をしてきた六助と褒美を受けとる。


「殿。ようございましたな!」


「ああ、そなたのおかげだ」


 褒美は銭と反物だった。絹と綿の反物が二つずつ。銭は一貫もある。


 人目も憚らず涙を見せる六助に、某まで涙が込み上げてくる。まさかこんな日が来るとは……。


 涙は見せられぬ。ここで終わりではないのだからな。


 今後も久遠家のお役に立ち、水口の家を残さねばならぬのだからな。



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