第百十九話・梅雨と共に流れるモノと訪れるモノ

side:織田信安


「ええい。さっさと縄をほどけ! わしを誰だと思っておるのだ! わしは……」


 岩倉城の庭に罪人として縄で縛られた、たわけ者が運ばれてきた。


 顔も見たくなかったが、こやつのせいで戦となり亡くなった者もおる。処罰だけはせねばならぬ。


「久しいな」


「おお! 殿! 某の縄を解いてくだされ! 弾正忠家との戦では、必ずや敵を討ち取ってくれましょうぞ!!」


 このたわけが。どうやらなにも知らぬようだな。


 言うに事欠いて、戦だと? 弾正忠家にあっさり捕まった分際で敵を打ち倒すだと? 義兄上に忘れ去られておった程度の分際で……戦だと!


「黙れ! この恥さらしが!」


「何故捕まった時に自害しなかった! しかも己は雑兵に捕まったらしいな!」


 今日は先日謀反を起こした家の者らも呼んだ。戦も終わり降伏した以上は、また家臣なのだ。家中にしこりを残したくはない。


 自害した者らも、元々は伊勢守家を支えておったのだ。負けた以上は責めを負うので一族と兵は許して欲しいと、自害した立派な者らだ。


 それと比べてこのたわけは、牢の中で無駄飯を食らっておったと聞く。


 許せんのだろう。自害した者の家を継いだ者は、殺してやると言わんばかりに睨みつけて怒鳴った。


 自らの責めも負わず、おめおめと捕まり自害もせぬとは。


「皆のもの。すまなかった。わしがかようなたわけを捨て置いたばかりに。あの時、領民に逃げられた時に厳罰に処しておれば……」


 すぐにでも殺してやりたいのはわしも同じ。されど、こんなたわけを放置しておったのはわしなのだ。本当にすまぬ。


「殿……」


「殿! なにを弱気な! 戦で勝てばよいのです!」


「己は黙れ!!」


 いかにも度し難き奴だ。三郎もうつけだうつけだと言われておったが、本当のうつけがこんなに身近におったとは。


 皆が無念さをにじませ静まり返る中、たわけはまだ戦だと騒ぐ。いい加減気付かぬか。戦をする前に負けたのだ。我らは。


「最後に教えてやろう。伊勢守家は弾正忠家に臣従した。戦はない。己の勝手な先走りのせいでな。……連れていけ」


 このたわけは皆の前で処刑せねばならぬ。切腹も許さぬ。


「戦では勝てぬ。先の戦で皆も理解したであろう? 上四郡ですら、民は義兄上を頼り縋らんとしておるのだ。しかも戦う前に、兵を動かさずに勝敗を決めた」


 最早、連れていかれるたわけ者を誰も見ておらぬな。見たくもないのであろう。


 皆も分かっておったのだ。結果は臣従しかないのだと。ただ一戦交えて誇りを見せたかっただけのこと。


「殿。この段階で臣従して良かったではありませぬか。殿は大殿の義理の弟。粗末には扱われておりませぬ。伊勢守家ここにありと、我らで必ず証してみせましょうぞ!」


「そうだ! 次は美濃か三河か! 必ずや手柄首を上げて度肝抜いてやるわ!」


 工業村と言うたか。多くの鉄を作り売るほどあるという。あれは弾正忠家の秘することであろうに。それを我らにあっさりと見せてくれた。


 さらに上四郡の山でも、日ノ本にない新たな取り組みをすると言うのだ。我らだけ冷遇するつもりはないのであろう。


 割れた家中もなんとか纏まった。名目上の領地は小さくなるが、実入りはあまり変わらぬ。ならば一からやり直すのも、またよかろう。


「皆の者、清洲の義兄上より酒を頂いた。今日はこれで飲もうぞ。そして昨日までの遺恨を忘れるのだ」


「はっ」


 清洲から戻った翌日、義兄上から金色酒や砂糖に昆布や鮭などが送られてきた。戦勝祝いと臣従の苦労を労うとの書状と共にだ。


 今や諸国が欲しがる金色酒ですらあれほど送ってくるとはな。義兄上も織田一族での戦は望んでおらぬということであろう。


 皆もそれを理解してくれよう。金色に輝く酒で、すべてを流してしまえばよいのだ。


 そうすべてをな。




side:久遠一馬


 今日も雨だ。毎日続く、屋根瓦や地面に降る雨の音にも慣れてきた。


 この時代に来て思うのは、町も家も静かだということ。確かに人の賑わいはあるし、ウチの屋敷には多くの人がいる。


 でもテレビやラジオの音も無ければ、町を歩けばどこでも聞こえるような音楽も聞こえてこない。


 音楽があったのは花見の時くらいだ。日常から音楽が消えると、少し物足りなさがある。鹿威しとか水琴窟が権勢者の庭に作られたのが良く判る。オルゴールは早いか、駄目かなぁ……。


「それで出雲守いずものかみ殿。本日の御用件は?」


 この日、予期せぬ人が訪ねてきた。


 望月出雲守さんと娘さんみたいな十代の女性に、護衛かなんかの集団が二十人ほど。甲賀五十三家筆頭の当主みたい。


 なにをしに来たんだろう? 滝川家との縁組みは資清さんと話し合い断ったんだが。


「是非、久遠様に我ら甲賀望月家を召し抱えて頂きたく、参上致しました」


 ……ん? 召し抱えて? 仕事が欲しいのか? それとも……


「仕事が欲しいのならば、構いませんけど?」


「いえ、叶うならば仕官をお願い致したく」


「仕官って、甲賀に所領があるでしょう? それに信濃にも望月家の所領があると聞きましたが」


 この人、いきなりなにを言い出すんだ。望月家は六角家の甲賀衆の一員だろうに。資清さんもさすがにビックリしている。城とは名ばかりの屋敷と小さな所領の滝川家とは、さすがに違うからね。


「甲賀の所領は某の弟に譲りまする。我らは尾張望月家として分家の上、お仕えしたくお願いに参上いたしました」


「信濃に行かないので? 甲斐の武田家に臣従した本家があると聞きましたが」


 真意はどこにあるんだろう。正直、疑問が幾つもある。


「甲斐の武田家は、いかになるか分かりませぬ。先ごろ信濃であった戦では村上家に敗れておりますれば。禄はいくらでも構いませぬ」


「ウチに来ると滝川家の下になりますよ。申し訳ないけど、誰が来ても八郎殿の下にするのは変わりません。たとえ出雲守殿がどれほどの官位や力があってもです。それでもウチで仕官を望みますか?」


 いったいなにを考えてるんだろう。確かに望月家ほどになれば、一族はそれなりにいるんだろうけどさ。六角家の命令か?


 本当にさ。ウチだと高給で家老になれると思って来る人が多い。悪いけど資清さんの上に人を置く気はないんだ。


 資清さんは適任な人がいるなら、自分は下に付くと言うけどね。オレもエルたちも資清さんを動かす気はまったくない。


「それで結構でございまする。仕官が叶うならば一族を分けて、百名は連れてきましょう。無論、人質も出しまする。某の娘の千代女ちよめを、まずは人質としてお預けいたしまする」


「何故そこまでして? 六角家でいいではありませんか。 管領代様がいる限り、六角家は安泰でしょうに。あれほどのお方は、そうそういませんよ。それにもし織田と六角家が戦になったら、いかがするんですか?」


「五年もあれば、織田様は六角様に並ぶと某は考えておりまする。それ故に。織田様と六角様が戦になれば、必ずやお役に立てると考えておりまする」


 うーん。本気なのね。まさか滝川家との縁組みを断ったら、ウチに仕官しに来るとは。


「返答は少し待ってください。さすがに出雲守殿の出所や立場を考えれば、私の一存では決められません」


「はっ。心得ておりまする」


 望月さん。多分三十代半ばを過ぎた頃か。見た目は切れ者というか、出来る男の雰囲気。結構強そうだしね。


 それと娘の千代女さんって、あの武田の渡り巫女を指揮した望月千代女か? 実在したんだ。てっきり創作だとばっかり思っていたんだが。


 エルたちと資清さん。それと信長さんと信秀さんにも報告して、対応を決めないと。確かに忍びは欲しいけどさ。


 六角家の紐付きだと困るんだよね。六角家の現当主は六角定頼ろっかくさだよりだ。史実で織田信長がやったこととして有名な、楽市楽座の前身である楽市令を、初めてやったと言われていた人のはず。


 戦も強く内政も優れている、全盛期の六角家を作った人だ。


 幕府や畿内にも影響力があり、管領代なんて地位に就いてるし、今の織田家が一番敵に回しちゃ駄目な人なんだよね。


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