第百十六話・尾張統一王手

side:久遠一馬


 伊勢守家の内乱が終わった。


 終わってみれば呆気なかった。伊勢守家の本気の挙兵に、謀叛人は一ヶ所に集まり籠城しようとしたものの、上手くいかなかった。


 謀叛人たちは商人にそっぽを向かれてしまい、兵糧や武具を集められない以上に精神的にダメージがあったらしい。


 弾正忠家が動く。金色砲が清洲に入った。その知らせで上四郡に衝撃が走ったみたい。


 実際に新式の金色野砲二門を、昼間に目立つように清洲城に入れたんだよね。信長さんの兵に護衛してもらい、ウチの兵が玉や火薬を積んだ荷車と一緒に運んだ。実はただの予行演習なんだけど。


 金色野砲の本格的な運搬の訓練をしていなかったしね。丁度いいからテストを兼ねたんだ。船の大砲より運びやすくなったし、評判も訓練成果も上々だ。


 後は簡単だった。清洲と上四郡で弾正忠家挙兵の噂を流した。伊勢守家の信安さんは戦を回避しようと努力しているが、邪魔をしているのは謀叛人だとか適当な噂を、忍び衆や上四郡に実家や縁がある家臣に少し流してもらっただけ。


 結果的になんとか兵を一ヶ所に集めたはいいが、弾正忠家からの兵糧で伊勢守家の挙兵は早く、謀叛人は十分な量の兵糧を集められなかったらしい。


 もっと言えば、今回もまた領民から離脱者が続出した。すぐに村に帰れば罪に問わないと、伊勢守家が集まった敵軍の兵たちに言ったみたい。


 まあ今回は戦らしく、戦いはしたみたいだけどね。ただ、武闘派が多い謀叛人といえど一騎当千の武将じゃない。悪いけど歴史に名前もなく、エルですら誰だか分からない程度の人だ。


 逃げていく兵をくい止め、自ら戦い士気を高めた人もいたらしいけど。兵力差は三倍以上はあったようだし、兵糧不足から籠城出来ない時点で勝敗は明らかだった。


 謀叛人の主犯格は数人が自発的に切腹した。残りは隠居をさせて領地を減らして終結と。甘くないかと思ったが、謀反をされても降伏して臣従したら許すのが、まあよくあるらしい。


 史実でもそういえば、よくあったね。犬山とか。いろいろと。




「久しいの。伊勢守」


「はっ。お久しゅうございます。守護様」


 そして戦から十日もしないうちに、岩倉城主であり尾張上四郡守護代の織田信安さんが清洲に来た。


 上座には守護の斯波義統しばよしむねさん。脇には信秀さんや信長さんが控え、織田一族と弾正忠家重臣が勢揃いした清洲での対面だ。


 信安さんの表情は少し緊張気味か。屈辱とか反骨心は、オレにはあるように見えない。見た目は武士というより、大人しい文官かな。あまり日に焼けていないし、武芸が得意なように見えないや。


 史実で評価が低かったのは、この辺りにあるのかもね。


「そなたには謝らねばならんのかもしれぬな。父上やわしが至らぬばかりに尾張を迷走させた。だが過ぎたことを嘆いても、なにも始まらん。生きて前を見ようではないか」


「はっ。ありがとうございまする」


「わしはそなたの決断。よき判断だと思う。負ければ名誉も誇りもなにも残らん。無駄な戦を避けてこそ名誉も誇りも守れよう。よく決断したな。褒めてつかわす」


 義統さん。やっぱり油断出来ない人だね。御輿は軽くてパーがいいと、かつて言った人がいると聞いたこともあるけど。義統さんは頭がキレる。


 悪い人じゃないけど、この人の影響力が強まると室町幕府に近すぎて困るんだよね。本人も理解しているから、今のところ問題は起きていないけど。


 多分、幕府のことが嫌いなんじゃないかな。そんな感じがする。


「某、尾張上四郡守護代を返上致しまする」


「うむ。よう言うた。この先は弾正忠のもとで、ひとつに纏まることを願う。父上のように、ならんようにせねばならんからの」


「ははっ」


 義統さんの父親って確か。今川に負けて捕まっちゃったんだよね。命は助けられたけど、無理やりに頭を剃られて尾張に帰ってきたんだっけか。


 無駄な戦を避けると考えるのは、そのせいかもね。自身の経験とかもあるんだろうけどさ。




 その後は義統さんが退席すると信秀さんが上座に座り、信安さんは自ら頭を下げて臣従を誓った。


 場の空気は緊迫感がある。織田一族の嫡流の伊勢守家当主が自ら臣従を誓う。やり方次第では臣従に近い、同盟もあっただろう。


 でも多分この時点での臣従が、一番家を残せるはず。下手なプライドで同盟にすれば、いずれ力の差が開いてから臣従するか、実質臣従のまま中途半端な立場になる。


 史実では長年同盟関係だった、水野家が潰されている。


 元々同盟も臣従も曖昧な時代だけに、実質的には臣従だったんだろうけど。まあ水野家の問題は、武田家への内通疑惑と言われるが謀略説もある。のちに水野家が帰参を許されてるところを見ると、訳アリなのかもしれない。


「同じ織田一族の義弟として、これからの働きに期待する」


 昨日までは権威では上の人も、今日からは家臣でしかない。しかし義弟と呼んだことは、信安さんへの配慮だろうね。


 領地の調整はこれからだ。守護代でない伊勢守家にどれだけの家臣が臣従するか。伊勢守家と弾正忠家の両家に臣従していた者は、ほぼこれで弾正忠家に一本化するだろう。


 立場の上下が決まったんだ。より上の人に臣従するのが当たり前だ。


「そういえば殿は、戦支度をされておったのですか? 後詰めの噂がありましたが」


「戦支度などしてはおらぬぞ。伊勢守家で解決するべきことだ。義弟を信頼しておったからな」


「しかし久遠殿が、金色砲を兵でここ清洲に運ばせたとお聞きしましたが?」


「あぁ、あれはただの訓練だ。運びやすいように改良したと言うのでな。運ばせてみただけのこと」


 信秀さんの義弟という言葉に、空気が和らいだようだ。


 重臣のひとりが信秀さんに噂の真相を確認するも、ただの訓練だと少し意地悪な笑みで答えると、信光さんが吹き出したように笑い出した。


「訓練に皆が驚き振り回されたのか! これは傑作だ!」


「某などてっきり戦をするのかと、慌ててしまいましたぞ?」


 みんな当然ながら、信秀さんの策であることは理解しているけど。実は動揺したのは伊勢守家の謀叛人だけじゃない。


 弾正忠家の家中も戦かとの噂が走り、いつ陣ぶれがあってもいいようにと、動いていた人たちもいる。


「状況をよう見よ。それに謀反人のひとりやふたりに、あれは必要あるまい?」


 実は金色野砲の運搬訓練を提案したのは、エルなんだけどね。金色砲はすっかり戦略兵器と化してるから、軽々しく運搬訓練は出来ない。


 訓練ついでに清洲城に入れば、噂はすぐに岩倉領内にも届くだろうと。忍び衆にも噂を広めてもらったけどね。


 元の世界だと爆撃機や艦隊を動かすことで、圧力をかけるのは珍しくない。初歩的な戦略なんだが。




◆◆

 岩倉の乱から僅か数日後、織田伊勢守家は織田弾正忠家に臣従した。


 この時のことは『織田統一記』にも記されていて、弾正忠家は織田一族の嫡流となり悲願の尾張統一に王手を掛けたことを、武士から領民までもが喜んだと書かれている。


 織田信安は信秀の義弟として厚遇され、一族衆に名を連ねたとある。


 なお、『久遠家記』には金色野砲を運搬させることで伊勢守家に圧力を掛けた策を献策したのが、久遠一馬の妻のエルであるとはっきりと記されている。


 後に久遠エルは戦国最高の女軍師として、歴史物や講談でその名を馳せることになるが、最初の献策としてこの一件が扱われることが多い。


 記録に残る限りでも数多くの献策をした彼女は、一馬と共に近代日本の礎を築いた最大の功労者であるとも言われている。

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