第九十九話・次なる一手

side:久遠一馬


 農業試験村では、いよいよ正条植による田植えを行った。


 なんでわざわざ間を空けるのかと首を傾げる農民たちに、日当たりと風通しを良くして稲が生育しやすい環境にするためと、その後の田んぼの管理をしやすくするためなど、理由をきちんと説明してやってもらった。


 結局半信半疑みたいだけど、村を再建した信頼から反対まではなく、なんとか正条植にて田植えを終えた。


 オレも指導をしながら手伝ったけど、やっぱり手間かかるね。お年寄りから子供まで総出で田植えをするんだから、昭和には田植え休みが田舎の学校であったのも納得だ。


 何気に大変だったのは田植えより、手洗いなんかの衛生指導だった。一応、土をはらうくらいはしているみたいだけど、衛生って概念があんまりないからね。




「天ぷらはやっぱり揚げたてが一番だな」


 春になると旬を迎えるのは山菜だ。戦国時代だと貴重な食料になる。ウチはあちこちに贈り物をしたり往診したりしているから、お返しやお礼にと山菜をもらう機会が多い。


 元の世界では山菜って、あまり食べる機会がなかった。野菜が普通に年中ある生活だったしね。ただ戦国時代だと、保存がきかない食べ物は、旬の物を食べないと食べる物がなくなるんだ。


 この日のお昼は山菜の天ぷらそばになる。


「竹千代。食わんのか?」


「いえ。 これは初めて見るもので」


 ウチのみんなと信長さんたちは蕎麦には慣れているし、天ぷらも前に出したことがあるけど。この日は信長さんのお供として竹千代君が来ている。


 彼は蕎麦も天ぷらも初めてだから、少し驚いているみたいだ。


 そういえば、先日、信秀さんから漆塗りのテーブルを貰ったので、今日はそのテーブルで食事を取っている。見た目も使いやすさもなかなかいいね。


 どうも信秀さんは、以前ウチで見たテーブルを本当に漆塗りで作らせたみたい。とりあえずウチで同じものを幾つか注文しておいた。


 他に売れるかは微妙だけど、大きいテーブルは便利だからな。武家なんかには普及してほしい気もする。


 竹千代君のほうは大人しいながらも利発なようで、周囲の評価も悪くない。まあ自分の複雑な立場を、どこまで理解しているかは怪しいけどね。


 まだ数えで七歳だからな。織田が父親と敵同士なのは理解しているみたいだけど。やはり母親に会わせたほうがいいかもしれない。


 教育も必要だろうけどね。肉親の愛情も必要だろう。


「これは……?」


「天ぷらという料理ですよ。今日は山菜に小麦粉を衣にして油で揚げてみました。美味しいでしょう?」


「はい。美味しいです」


 うん? 竹千代君は天ぷらに特に反応がいい。そういえば史実の徳川家康の好物に鯛の天ぷらがあったんだっけ。天ぷら自体が好みなんだろうか。


 史実の偉人だし将来が楽しみだ。ただあんまりケチなのと疑り深いのは、史実と同じになられると困るな。経済もあまり理解していなかったようだし。


 まあ、教育と環境次第というところか。現代で言えばまだ小学生だからね。




「それにしても金色酒が畿内で十数倍以上とはな……」


「多分水とか混ぜて薄めた物でそれですからね。儲けている人がいるんでしょうね。税もあちこちで取られますし」


 食後はみたらし蕎麦団子で一服していたけど、信長さんは畿内から帰ってきた政秀さんの報告をふと思い出したのか、金色酒の話を口にした。


 堺で十倍以上の値で売っていたと聞き、軽く引いてた気もする。尾張でも安くはないけど、文字通り桁が違うからね。


 ウチではジュリアが家臣とか集めて、よく宴会で振る舞っている程度の扱いだ。蔵には結構な量が常にあるから、手土産に持参したりすることもよくある。


 信長さんもその程度の感覚だろうし、あまりの値段に驚いたようだ。


 エルたちの調査では伊勢の商人がボロ儲けしているらしいけど、伊勢の商人はその儲けで銅塊を堺で買って、尾張に売っているらしい。


 もちろん最終的にどこが一番儲けてるかと言えば、やっぱりウチになるから文句を言うほどでもない。


 それに伊勢に売る量は、あまり増えないようにコントロールしている。伊勢の一向衆の願証寺がんしょうじなんかには、尾張の商人に直接売ってもらってるしね。あまり伊勢に銭が貯まらないように気を付けているんだ。


「畿内は、まだまだ遠いか」


「ですね。この際、交易先を九州に増やすつもりです」


 信長さんはやはり畿内に目を向けていたらしい。


 天下統一するには、畿内を征するのが一般的な考え方だからね。九州とか関東とか奥州は、田舎というか辺境という認識なんだろう。


「何故、九州なのだ?」


「遠いですからね。九州なら硝石を売ってもこちらに使われる恐れはないでしょう。それに畿内からも離れてるので、畿内の勢力に睨まれないで済みます。明や南蛮人に倭寇の利を頂こうかなと」


 畿内から戻った政秀さんも、畿内に商いを広げるのは時期尚早だと言っていた。諸勢力の争いに巻き込まれる懸念を持ったみたいだ。


 歴史的な観点から見ても、現状の畿内に関わるのはリスクが高すぎるしね。


 結果として考えられるのは、畿内から離れた場所で商売を広げること。特に史実で南蛮人から硝石を買うために、目の色を変えた九州は参入しやすい。


 ついでに宣教師の危険性を噂程度でも流しておけば、多少なりとも効果があるだろう。


 すでに宣教師対策は大西洋で白鯨型無人潜水艦が稼働していて、特に宣教師を海に還してる。将来どっかの国で小説にでもなりそうだけど。


 ただそれでも南蛮人は来るだろうし、宣教師もまったく来ないわけではないだろう。


 ウチで硝石を九州に売りつつ、宣教師の危険性を知らせていけば、史実ほど宣教師に好き勝手にされることはないはずだ。


 信長さんと信秀さんに一応報告して許可は取る。ただ実際に売る量は申し訳ないけど、すべて報告は出来ないだろうな。


 大半は織田家とも久遠家とも関係ない南蛮人に偽装してやらないと、さすがに不自然すぎるからね。


 九州から得た利益は、いつか織田家が九州を制したら還元すればいい。


 ああ、大量に日本人が奴隷として南蛮人に売られるのも可能な限り阻止したいな。いっそのこと先に人を買って、どっかで移民として移住させるべきか?


 まあそれは後々考えるとして、九州との交易はそろそろ必要だろう。


「結局、商いをしたほうが利になるか」


「領内の試みも、いずれ大きな利益になりますよ。なにより国内でやれることは国内でやらないと。いつまでも明や南蛮に後れを取ります」


 尾張の人間からすると、九州なんて遠い異国のような感覚だ。日ノ本というひとつの国との感覚は、あまりないかもしれない。


 長期的には国内の産業を育てつつ、短期的には交易で稼ぎ尾張を豊かにして軍事力を強化しなくてはならない。


 まあ、半年やそこらで結果が出るわけがないよね。


 幸いなことに畿内は当分潰し合うはずだし、力を付けつつ幕府が落ちていくのを待つのが今のところの最善策か。


「なかなか上手くゆかぬと言えば、欲を出しすぎか?」


「そうでしょうね。時が過ぎれば過ぎるほど織田は強く豊かになりますよ。今、必要なのは時です」


 信長さんも現状が悪くないのは理解しているよう。ただ若いこともあり、より早い結果を欲しいのが本音か。


 史実に比べると遥かにマシなんだけどね。それを伝えるわけにはいかない。


 まあ大丈夫だろう。今川も斎藤も織田と全面戦争をする気はないみたいだしね。


 交易を拡大して、それを資金源にして尾張を変えていこう。




◆◆

 天文十七年春、農業試験村にて久遠家が新しい稲作を始めたという記録が残っている。


 これが現代農業の基礎とも言えることで、正条植や塩水選、稲の苗を育てることなどほぼ現代の田植えと変わらぬものとなっている。


 この技術に関しては久遠家が独自に試行錯誤し研究した結果のようで、近隣である大陸にも記録がないものであった。


 当初は理解者が少なかったといわれるが、数年後には織田家中で注目を集め、織田家の版図が広がるに従い全国に広まっていくことになる。


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