第七十六話・頼りになる男と追い詰められる男

side:久遠一馬


「エル。準備は?」


「こちらはいつでも大丈夫です」


 一月も半ばを過ぎて、冬の終わりがようやく見え始めた頃。那古野城の台所ではエルと信長さんの料理人が、宴の支度をしていた。


 もちろんこれは仕事だ。信長さんがワガママを言ったわけじゃない。


 実は今日、とある武士が新しく信長さんの家臣になるらしく、那古野城に挨拶に来ることになっているんだ。史実でも織田家と言えば有名な人だろう。




森三左衛門可成もりさんざえもんよしなりにございます」


「よう来た。楽にいたせ」


「はっ」


 信長さんを筆頭に家老や重臣が集まり出迎えたのは、なんと森可成もりよしなりさんだ。


 彼は史実の森長可もりながよし森成利もりなりとしらの親父さんだ。森成利は蘭丸という名前のほうが有名だろう。


 可成さんの臣従は、史実より随分早い。元々は美濃守護の土岐氏の家臣だったはずだけど、肝心の土岐氏は道三に追い出されていて、今は揖斐北方城にいるからなぁ。


 土岐家の家系もいろいろ争いがあって、昨年末には道三が守護にしていた傀儡の土岐頼純が亡くなっている。道三に暗殺されたと噂があるけど。


 その影響なのか、それとも史実より織田弾正忠家が強いことが影響したのかは分からないけど、臣従が早まったみたい。


 ちなみに親父さんの可行よしゆきさんはまだ元気らしく、信秀さんに仕えるみたいだ。


 可成さんは槍の名手だと史実で言われていた通り、見た目からして強そうな人だね。


 それにしても信秀さん。着実に味方を増やして勢力拡大しているね。可成さんだけじゃない。尾張内部の独立気味の勢力や、岩倉の織田伊勢守家おだいせのかみけに近い国人なんかを味方にしている。


 まあ現状だと緩やかな臣従というのが、かなり多いみたいだけどね。滝川一族の忍びやエルたちが虫型偵察機で調べたところによると、信秀さんの働きかけというよりは国人衆の側が動いたのが大半みたい。


 信秀さんによる尾張統一が近いと判断した人が、それなりに多いのが理由らしい。信秀さんはとりあえず臣従するなら領地の安堵をしているようだ。


 清洲を領有して余裕が出来たこともあって、小さい国人衆相手に一々領地をどうこうする気はないんだろう。


「今日は三左衛門殿を歓迎する宴を開く故、三左衛門殿も諸将の皆も楽しまれよ」


 堅苦しい挨拶はすぐに終わった。信長さん相変わらず堅苦しいの嫌いなんだよね。


 政秀さんの指示で那古野城の女衆が、御膳の料理を運んでくる。今日のメニューは鯛の塩釜焼きをメインに、煮物や汁物なんかを揃えた。


「白い魚!?」


「いや、違う。魚の絵を描いてあるだけだ!」


「これは塩か?」


「それは塩を固めた料理ですよ。固いので、一緒にある木槌で叩いて割ってください。中に魚が入っています」


 塩釜は鯛の形に整えられて、鯛の絵が描かれている。集まった人たちは白い魚に驚き、いいリアクションをしてくれた。


 多めの塩で焼くくらいはあるのだろうが、卵白を使った塩釜焼きはこの時代にはないものだ。まして魚の絵を描いた料理なんて初めてだろう。


「おお!」


「中から鯛が出てきおった!」


 可成さんも驚いてくれたみたいだ。この塩釜焼きはいわゆる蒸し焼きだからね。鯛の身はふっくらしていて美味しい。ふっくらした鯛の身に程よい塩味。毎度お馴染みの金色酒にもよく合うんだな、これが。


 一口食べると、鯛の上品な旨味が口の中に広がる。


 煮物も椎茸や凍み豆腐にじゃがいもなどの多彩な具材を、醤油や味醂で味付けしている。これだけの料理は尾張じゃないと食べられないはず。


「これほどの料理で迎えていただけるとは……」


「存分に食うて飲むがいい」


 可成さんも驚いているが、新参の家臣を歓迎するレベルの料理じゃないよね。信長さんの性格的に出し惜しみとか、そんな細かいレベルで考えていないだけだと思うけど。


 相変わらず口数は多くないし、説明不足な感じも否めない。せっかく来た家臣をもてなすつもりで用意させたんだから、もう少し愛想良くしたらいいのに。


 でもまあ可成さん以外は、みんな信長さんのことをそれなりに理解しているからね。


 こうして、もてなす宴を開いただけでも変わったと見ている気もする。少しずつでもお互いに理解してくれれば、いいんだけど。




side:斎藤道三


「殿。織田と今川の和睦の話は、事実でございまするか?」


「事実であるやもしれぬな。商いを活発に行っておるようじゃ。それに戦の気配もない。今川に先に手を打たれてからでは遅いの」


 今の信秀は日ノ出の勢いだ。清洲を落とし尾張の独立勢力を次々に傘下に納め、三河も美濃も攻め落とせる勢いがある。


 そのうえで今川との和睦の噂。もし本当に今川との和睦が成れば、信秀は後顧の憂いもなく美濃に攻めてくるであろう。


 負ける気はせぬが、今の信秀は不気味だ。例の雷の如く凄まじい金色砲とやらのこともある。ここは信秀と一旦和睦をして美濃国内を固めるべきであろうか。


「されど本当に織田と今川が和睦をするので?」


「三河の織田領は、すでに今川が付け入る隙はあるまい。大垣と同じだ。ならば一旦和睦して残りの三河をまとめるためにも、和睦もあり得なくはなかろう」


 信秀がその昔、今川から那古野城を奪ってから織田と今川は仇敵となっておる。もっと言えば今川が遠江を斯波から奪ったこともあるしの。


 されど、この辺りが一旦和睦で矛を納める頃合いであるはずだ。無益な戦など今川とて望むまい。あそこは武田と北条がおる。


「ですが信秀は、斎藤家との和睦を飲みますかな?」


 懸念はそこだ。信秀がわしと和睦をする理由が必要だ。


 北の美濃か東の三河か。攻めやすいのは北の美濃であろう。二ヵ国を領有して海道一の弓取りとも言われる義元が相手では、信秀も厳しかろう。


 美濃は昨年傀儡にしておった頼純が亡くなり、混乱しておる。美濃を我が手に納めるのは今しかないのだ。


「帰蝶を嫁に出しても構わぬ」


 大垣と織田に付いた国人衆は認めねばなるまいな。その上で帰蝶を信秀の嫡男のウツケ殿に、やることも考えねばならぬであろう。


 このままでは戦をすることすら出来ぬまま、美濃を切り崩されてしまうのだ。戦になれば美濃の国人らが揃って、わしの敵に回ることも有りうる。和睦以外に道はなかろう。


「殿!?」


「口惜しいが政では信秀が上であろう。このままでは戦をする前に負けてしまう」


 恐ろしい男だ。兵を挙げずに国を取るつもりなのだからな。誰の入れ知恵か知らぬが、厄介な者が隣国におるわい。


 奴が抱える頼芸との和睦と、守護に戻すことも考えねばならぬか。


 口惜しい。本当に口惜しいが、戦にならぬ状況ではわしには打つ手がない。



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