第五十二話・冬のひと時

side:久遠一馬


 暦は師走に突入していた。織田弾正忠家の領内では、流行り病の流行は最小限で抑えられていると思う。


 流行り病に掛かるとご飯が食べられると知れ渡ったせいか、患者が自ら申し出てきているからね。まあ中には仮病を騙る者もいるようだけど、その辺りの判断は各地で治療をしている人たちに任せている。


 何事も完璧にはいかないし、オレたちが一から十まで判断する必要も余裕もない。


 現状での流行り病対策は、他国からの訪問者に注意する形にしていて、商人や僧侶に武芸者などの他国の間者を監視するいい名目になっていたりする。


「ご苦労様。これで三河の人たちも少しは、領内統治に力を入れてくれたらいいけど」


本證寺ほんしょうじとの軋轢あつれきも、今のところ予想より少ないです。しかし本證寺ほんしょうじ領の農民の間には不満がくすぶってるようです」


「最後のほうはそっちの患者さんも、結構来ていたよ」


 三河もようやく一段落してセレスとパメラが無事に帰還した。勝家さんには世話になったから、お酒と大福をセットで届けておこう。


 それにしても三河は、本当費用が掛かったな。予想よりも費用が掛かった原因は、本證寺ほんしょうじの寺領や松平の勢力圏から流入した患者が多かったことだ。


 信広さんからは指示を仰ぐ手紙が来たようで、信秀さんは来た者は治療をさせるように指示をした。来ちゃった人を追い返すと恨みを買うからね。


 本證寺ほんしょうじのほうは協力は拒んだが、織田に敵対しているわけでもないし、領民が治療に行くのを止めもしていないらしい。まあ彼らは彼らで祈祷をしたりして、対処はしていたようだけど。


 一方の松平宗家領からの領民は様々だ。わらにもすがる思いで深夜に冬の矢作川を渡り、逃げるようにして来る者もいれば、領主が見逃しているところもあるみたい。


 松平宗家の面目は丸つぶれだよね。織田は侵略者だと戦を仕掛けているのに、領民は助かりたくて逃げてくる。領民からしたら支配者が誰でもいいから、強くて飯を食わせてくれたらいいってことかな?


「三河の力関係、壊しちゃったね」


本證寺ほんしょうじとは、当面はこのままの関係でいいでしょう。まずは矢作川西部での一向衆の影響力を減らすことが必要です。いかに織田を羨んだとて一向一揆は民意がなければ、効果は薄いですから」


 二人が帰ってきたことで、三河の今後をエルたちと分析する。


 現状の三河で飢えなく飯が食べられるのは、矢作川西部の織田領だけ。松平宗家の岡崎も東三河も本證寺の寺領も、多かれ少なかれ食べるものが足りていない。


 少し大げさだけど、川を一本隔てた先では飯が食べられる。その違いは三河を狂わすような気もする。


 一歩間違えれば史実の三河一向一揆は、その矛先が本證寺自身に向くか織田に来るかもな。あれも純粋な一揆と、それを利用する三河の国人衆が混ざっていたらしいしね。


 焦ったらダメか。まずは地道に織田領の領民と本證寺を引き離さないと。


 松平宗家の広忠はダメかもしれない。史実の死因がはっきりしないけど、今の状況だと家臣に殺される気もしている。現状だと頑張ってるけど、相手が全盛期の信秀さんと義元じゃあ出来ることが限られている。




「さっきから焼いてる、それはなんだ?」


「甘くない菓子ですよ。煎餅せんべいって呼んでます」


 師走に入るとまた一段と寒くなった。やっぱり小氷河期なんだろうね。エアコンもストーブもないだけに、暖房は火鉢とか囲炉裏とか行火とか、とにかく火を起こすしかない。実にシンプルだ。


 ただ火鉢があるということで煎餅を作って焼いている。意外なことに元の世界で食べていた煎餅は江戸期発祥らしく、まだこの時代だとないんだよね。


 さっきからウチにある本を読んでいる信長さんは、醤油の焼ける匂いが気になるのか覗き込んできた。


 ああ少し話が逸れるけど、津島のウチの屋敷には怪しげな行商人から他国の商人まで様々な人たちがやってきて、いろんな品物を売り付けようとする。


 さすがに浄水器とか布団とかはないけど、元の世界の訪問販売を思い出す怪しい人も少なくない。


 茶器とか刀剣とか由緒あるなんたらとか、要らないものばっかり持ってくるけど、本だけは中身がちゃんとしていれば買うことにしている。


 信長さんが読んでるのは、そんな本だと思う。全〇巻とかなのに真ん中の一冊しかなかったり、最初しかなかったりとオレは読みたくない本が大半だけど。


「なかなか美味いな。熱い麦湯によく合う」


 信長さんは火鉢の近くでごろ寝をしていて、本を読みながら煎餅をぼりぼりと食べている。政秀さんが来たら行儀が悪いって怒られるね。


 オレもだらけてるから、人のこと言えないけど。


「これは続きはないのか?」


「吾妻鏡ですか。ないですよ。本当、売りに来るなら全部揃えてからにしてほしいですよね」


 信長さんが読んでたのは吾妻鏡だった。意外だな。歴史に興味があるのか?


 この時代は本当に娯楽がないよね。活版印刷で本を量産しようかな。お年寄りも増えたし彼らの仕事にしようか。最低限文字の読み書きできたらやれると思うんだけど。


 ただ、影響は慎重に考えないといけないんだよね。


「若様のとこにないのですか?」


「ないな。沢彦たくげんなら何冊か書を持ってるがな」


「やっぱり書物は増やさないとだめですね。領民に文字を教えるのも必要ですし」


「農民に文字を教えるのか?」


「読み書きは大切ですよ。大半の人は教える人の考え方に染まります。坊主が好き勝手できる理由のひとつだと思いますね。坊主が言うんだからと、みんな信じちゃうんですから。将来的には坊主と学問は分けないと」


沢彦たくげんが間違っておると?」


「いえ、あの方は立派なお方でしょう。ただ坊主の大半は違います。知っておられますか? 仏教では本来は、殺生を禁止してるんですよ。仏教の開祖であるお釈迦様の教えと、日ノ本の仏教はまるで違います。特に一向衆なんてまったくの別物です」


「それはまことか?」


「ええ。そもそも 天竺てんじくのあった場所には、今は別の国があります。仏教そのものが衰退していて、ほとんど信仰されていませんけどね 」


 あれ? 言い過ぎたかな? 信長さんがポカーンとしている。


 正確には明とか東南アジア辺りに行けば、仏教はあるんだろう。ただ日本ほど酷い仏教も珍しいと思う。あんまり詳しくないけどさ。


 日本人が海外から入ってきたモノを、魔改造しちゃうのって昔からなんだよね。いっそのこと日本の生臭坊主は纏めて、インドに勉強に行かせようか。朝鮮から陸路で。


 

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